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日本語と英語の論理展開の重要視の度合いがかなり違うのはなぜでしょうか?
日本語では文と文、パラグラフ間の関係が英語に比べてはっきりしないと聞きます。また英語は文のはじめのほうで言いたいことが言われるのに対して日本語では最後まで話を聞かないと言いたいことがわからないともよく耳にします。 1.上記の2つの日本語と英語の違いはどうして生まれたのでしょうか?言語の構造上なのか、考え方の違いなのか、地理的、環境的なものなのか、、、 2.英語の論理がしっかりしてると上にも書きましたが、私の勉強不足故あまり実感がわきません。このことに関してなにか体験(実感)されたことのある方、教えてください。 お願いいたします。
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今度は、こんばんは。朝、私が書いてから、たくさんの方々が回答しておられたので吃驚しました。もう一つ驚いたことは、私が後で述べようと思っていたことをズバリと書かれた方が多いということです。 #2さんの「一般的には和文と比較して英文の方が論理的にしっかり書けているものが多いですね。これは文章の書き方について日本の学校などではあまり教えないのが原因のようです。」については、同感です。日本もこれからは情報発信型のコミュニケーションを目指さなければならないので、大事なことですね。 #3さんの、狩猟民族Vs.農耕民族説も大変面白いのですが(ひょっとして真実かもしれませんよ)、世界中の民族とその言語にそういう傾向があることを誰か証明して欲しいですね。 #4さんは全体に鋭い指摘が多いのですが、特に以下の部分に唸りましたね。「ある言語は外国人のために作られたり発達してきたわけではないので、自国民が意志の疎通が出来れば、論理性云々という問題はないと思います。」 実は私も、砂漠の民(遊牧民)は砂の種類を表す語彙を豊富に持っていること、イヌイットは微妙な雪の違いを表現できることに触れようと思っていたのです。つまり、文化によって、その言語の得意分野が違うということですね。 #5の方の指摘も大事だと思います。日本語の得意分野ですね。「英語では、I/youとしか書かないものを、日本語では、言っている・言われている人の背景をその単語ひとつで示す事が出来ます.男女の差だけではなく、その時の状況、また、としなりを知ることが出来ます. また、人間関係ですら示す事が出来ますね。」 日本はほぼ単一民族で、他民族との抗争も割と少なかったため、集団的、ムラ的社会を形成した。だから、その言語は「状況言語」となった、と私は考えるのですがどうでしょうか?主語が何であるかも状況で判断しますよね。いわゆる、以心伝心でよしとしたのでしょう。 一方、他民族との抗争を避けることが出来ない民族は、主義主張をはっきりさせることが必要だった。つまり、論理性を要求されたと思うのです。これからは日本も、より論理性を求められると思いますね。 #6の方の、『一言で言うと、英語は「誰が使ってもそれなりにうまく操れる車」、日本語は「うまく使わないとエンジンもかからない、でも走り出したらすごいポテンシャルを発揮する車」ではないかと私は思っております。』を読んだ時には、いやー参りました。 #7の方の、「欧米では何でも白黒はっきりさせるという傾向があり、日本を含むアジア文化では、多様性を重んじて灰色を認める文化の違いがあります。この事からあまり言い切る形を取らず、曖昧な部分を許容する傾向があります。」も重要な指摘だと思います。 これは、宗教によるところもあろうかと思います。つまり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は兄弟宗教の関係にあり、ともに一神教です。一方アジアの仏教や、日本や韓国などにも影響を与えた中国の儒教は、それに比べれば寛容的ですね。 などと、仕切ってしまいました。皆様、ごめんなさい。 で、私は今回は(1)に対する考えを述べるのでしたね。そうですね。 上に述べたことをまとめますと、キーワードは、『自立的社会』対『ムラ的社会』あるいは『相互依存社会』、『交渉言語』対『状況言語』、地理的、風土的違いにより生まれた宗教の違いでしょうか。 長々と書きました。では。
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- elkiti
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こんにちは。 私が考える、まったく無責任な英語と日本語の違いを述べてみたいと思います。 1.英語を話す人たちは、元々狩猟民族だった。とっさの状況で自分の気持ちを伝えるためには、ゆっくり会話をするよりも、手短にまず自分の言いたい事を先に言い、それから修飾語を付けていくようになった。 反対に日本は農耕民族であったため、田植えの時など時間は山ほどあった。だからいいたい事の前にいろんな修飾語をつけて話を伸ばした。 私はこんな事思ってますが、まったく根拠はありません。フィクションです。 2.に関しては、先に回答された方のおっしゃる通りだと思います。日本語だってきちんとした文章になりますよ。
お礼
根拠はなくても興味深かったです。いろんなこと考えるとおもしろいですよね☆ありがとうございました。
- 1784
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既に模範的な回答が示されていますので補足を少々: 一般的には和文と比較して英文の方が論理的にしっかり書けているものが多いですね。 これは文章の書き方について日本の学校などではあまり教えないのが原因のようです。 なお、世界には無数の言語がありますので「日本語と英語の違いはどうして生まれたか」というような質問には答えようがないと思います。
- konkichi
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こんにちは。今はちょっと時間が無いので長い文章は書けませんので、また追加説明をさせて下さいね。今は、一般論だけを書きたいと思います。 日本人は外国語特に英語は論理的な言葉だと思いこんでいる(思いこまされている)ことが多いと思いますが、これは間違いのようです。外国語を学ぶ時にはどうしても、その言語を習得しやすいように、論理的に文法的に説明がされるからです。 言葉の扱う分野によっても、英語より日本語の方が論理的(文法的に統一がある)なものもあります。(例えば、指示代名詞の使い方です。それ、そこ、これ、ここ、どれ、どこ、あれ、あそこ等。)私は、日本語を学んでいる何人もの外国人の人から、日本語はとても文法的だ、論理的だ、それに比べ英語はいい加減な言語だと言うのを聞いたことがあります。そして、驚くことに言語学者の中にも、論理的な言葉を順に並べて英語より日本語の方が論理的だと主張する人もいます。 いくら論理的な言語でも、使用する人がいい加減な態度で使うと論理性は失われます。逆のことも言えます。使う人が言語を大事にしてどのように使うかが最も重要だと言えましょう。私は多くの外国人と主に英語でメールのやり取りをしていますが、全く文法的でない英語を書く人はたくさんいます。しかも、大文字小文字も綴りもいい加減なのですから、分かりづらいですよ。日本語で書かれた随筆などにも、非常に論理的で分かりやすく、全く隙の無いものもありますね。 次回は出来るだけもっと具体的に、あなたのご質問に答えればと思います。では、また。
お礼
ばっちり英語は論理的だと思いんでいる側でした。確かに指示代名詞のことを考えると日本語も論理的な感じします。勉強になりました。
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お礼
1つ1つにコメントを入れてくださったので総括というような感じでとてもわかりやすく、おもしろかったです。私もこんなに多くの方に書いてもらえるとは思ってなかったので大変うれしく満足しています☆ありがとうございました。