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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:反抗期とは)

反抗期とは

このQ&Aのポイント
  • 反抗期とは、自我が芽生える時期であり、昔から存在しているものである。
  • 昔の家庭では、威厳ある父親のいる環境が反抗期をまともな意見のぶつかり合いにし、現代の馬鹿ガキのような反抗期青年は生まれなかった。
  • しかし、最近は喧嘩も知らない、殴られた経験もないというガキが増え、まともな教育ができていないため、ガキの知性や知能が減っていると感じられる。

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  • ginga3104
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回答No.1

前段に関しては個人的な意見だそうですから、後段について私見を。 昭和初期生まれの養父母と暮らしています。養父はとても我がままです。(笑) 多分に性格に起因する処が大だと思いますが、彼の同世代の方々を見ても似たり寄ったりです。どうしてそんなに我儘なのか?と考えた時に思い当たる要因に世襲制の弊害が挙げられます。 どういうことかと申しますと、養父たちの幼い頃は家単位で生活を生活をしていました。その単位の長である家長の決定は絶対です。だから、子どもは生物的に自我の芽生えである所の反抗期を迎えても、家長に従わなければなりませんでした。勿論、その頃でも反骨心のある子どもは居たと思いますが、一般的でなく「変わり者」「はみ出し者」扱いです。目に余れば勘当です。 こうして、自分の好みや希望をスポイルされて家長として教育をされると、結局、同じ事を次の世代にもするようになります。結果的に他者の意見を聞こうとしない我儘な人間の出来上がりです。(他の家との比較には敏感であるので、見栄を張りたがります)このような自己をスポイルされた人間が継ぐと家は前世代と同じような形で継承されますが、時代の変化に対応できないと思われます。 このように、昭和初期のように見せ掛けの威厳を持った家長に育てられると、今のような顕著な反抗期は見られませんが(見せられなかった)、弊害も有ると考えられます。 ただ、昭和初期でも全ての家が、親たちがそうだった筈がある訳も無く、もともと世襲しなくても良い家で自分の自由にやってきた方だとか、屋号は同じでも商売の業種が一代限りである家や、何十代と続いた家柄で「世襲とは変化に対応する柔軟性である」と気付いている家で、育てられた方々等は、養父と同じ年代とは思えないほどに謙虚で、したたかであるように感じます。 最後に。 反抗期とは前の世代を否定する事だと思います。それは人間と言う生物が、時代や環境の変化に対応する為に備えられた、成長過程でのプログラムの一つだと思います。よって、私は「反抗期」は遥か太古から存在していたと思います。 おまけ。 馬鹿なガキも昔から居たと思います。 戦中戦後は食べる為に社会全般が恥知らずでした。ただ、その頃はまだ「ムラ」と言う相互監視の効果により、節度が保たれていました。子どもは、大きくなったら腹いっぱい食べようと考えました。 高度経済成長下では、豊な物資を求めて、我先に働き、その物資を溜め込み、腐らし、捨てるの繰り返しを行いました。人々は物資の為に働き続けました。子どもは、大きくなったら一度きりの人生を楽しみたいと思いました。 バブル期には、享楽が生きている証とばかりに、様々な娯楽を探し、無ければ作り出しました。最も人々が熱中したのが株と土地のギャンブルです。仕事もギャンブル的な発想で行うようになりました。だから、負けが込む人たちが増えました。子どもは大きくなったら、自分は胴元になろうと思いました。 そして今、人々がなりたかった胴元が相次いで破産。それども人々は胴元になりたがっています。胴元でない仕事は嫌です。だから、働けない人が増えました。子どもは大きくなったら、ここ(日本)を出ようと思っています。それまでは、疲れるので休憩です。無理は禁物、電車の中でも一休み。あんまり疲れるのでこのままずっと一休みにしようとする人も増えました。でも、独りじゃ寂しいからメールで仲間を探します。 この物語の続きはどうなるか判りません。でも、僕らが先ずやらなければいけないのは、「今」を自分の足で立ち、自分の手で物に触れ、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で感じて、自分の頭で「明日」を考えて、行動する事だと思います。 昭和40年代の「馬鹿なガキ」より。

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