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親に反抗することは必要なこと?
こんにちは。19歳大学二年の男です。 高校生のときスクールカウンセラーの人に悩みを相談しているときに自分が親に一度も反抗したことがないことを伝えたら「それは問題ですね」といわれたことがありました。 家でもしかられっぱなしで学校でもうまく行かず暗い学生時代をすごしてきたのですが周り(クラスメートとか)がアホだからしょうがないのかもしくは自分が変わるべきかの二択で考えてきました。 でも最近になって親が悪いという可能性もあるんじゃないかと思えてきました。 当時は反抗期という言葉について、「学生の間で親をいじめるのがはやってんだろ」位に思って軽蔑していました。 しかし親に不満がなかったかといえばそうでもなく、気に入らないことをいうと「誰に学校行かせてもらってんだ」とか「誰に食わせてもらってると思ってんだ」と脅してきます。こちらは可能な限り理屈を立てて説明している(つもり)ですが論理に対して感情で返ってくることが多いです。 そんなことがあって一度も親にはむかったことがありません。一度でいいからぶつかってみたいと思っていましたがその脅しのせいでいつも寸前でひるんでしまいます。 しかし一方で、父に確かに生かさせてもらってることは事実で、それだけでも十分に感謝すべきことだ、という考えもあります。そして父の教えを守り、それを信じて生きていくべきで、今の迷いは単に自分の弱さだ、と思う自分もいます。世間も親を敬うことは大事だといいますし。 父の言うことは正しいのです。(と感じました。)しかしその教えを守ろうとすると、社会の自分の周りの人を敵に回すことになります。今までそうでした。小学校のころも、TVやまんがやゲームを取り上げられて「馬鹿の真似はするな」といわれてきました。ですが、正直もうひとりはいやです。父の教えを守る強さが僕にはありません。父も職場では周りと敵対しています。 それに、大学の次は就職ですが、職場でも人間関係は必要だと思うし、父の考えはあまり得策ではないような、正しいけれど器用でないような気がしてきました。父の教えを守ると逆に、まともな社会人になれないような気すらしてきました。 これからどう生きるのがいいのでしょう。学校を辞めさせられる、家を追い出される覚悟を決めてぶつかって見るべきでしょうか、それともそうするまでもなく父についていくべきでしょうか。自分が悪いのか、親が悪いのか、周りが悪いのか、わかりません。どうすべきでしょう。 大学二年生にもなってこんな初歩のことで悩んでる自分が恥ずかしいですが、今決めなければ次はないような気がしたので相談させていただきました。 よろしくお願いします。
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反抗期…これは、本来ないに越したことはないのです。 反抗期が生ずる理由は親が子に対して与える愛と子が親に対して求める愛が一致しなくなることで起きるからです。愛といっても親が子を愛する場合、1歳は1歳の愛を2歳は2歳の愛を3歳は3歳の愛を…14歳には14歳に相応しい愛を…18歳には18歳の愛をという具合に子供の成長に合わせた愛を与えなければならないのです。親が子の実体を普段から観察しておればこそ、次なる成長のための愛を与えることができるのです。ところが、親側の問題で、ある時期から子の年齢や成長に応じた愛が与えられず子の求める愛とのずれが生じてしまうのです。その時、子から見れば、いらぬ愛として映り、たとえば、もっと突き放してもらいたい年頃なのに、以前と変わらぬべたべた愛で接しようとすると、「俺をまだそんな子供扱いするのかよ!!」とかそんな愛はいらないと反抗したり、子が親に三下り半を下したりする…このようなメカニズムでいわゆる反抗期は発生するのです。逆に言えば、親側が子の年30歳なら30歳までに愛の質を年齢ごとに変えながら(厳密には1ヶ月単位、もっと言えば1日ごとに微妙な成長があるはずだから、よく観察しながら適切な愛に変えつつ)愛を正しく与え続けることができたなら、与える側の愛と求める側の愛がいつも一致していることになり、よって反抗期はありえないのです。実際は甘えを求める幼児期に厳愛を与えたり、厳しさを求める自立期に優しすぎたりと親側がメチャクチャです。あまりに求める愛との差が大きくなりすぎると愛の恨みは恐ろしく、つまり愛が狂ってしまった場合は、必然的に自殺や他殺が発生してしまうのです。愛から生命が生まれたわけですから、生命よりも根本にあるのが愛、愛の歪みの大きさにより、反抗で済む程度のものから親殺しまで行ってしまうものまであるのです。但し、親も可愛そうな面があります。それは、愛というものの性質上、自分が体験した愛しか子にあたえられないからです。もし自分の父親が13歳で死んでいた場合、それ以降は父親の愛を知らずに過ごすことになるわけですから、結婚して自分の生んだ子供が14歳になった時からはもう未経験な領域として悪く言えば適当な愛でしか愛せなくなってしまうのです。親が生きている場合でも、間違った愛しか与えられないなら、死んでいるよりもっと悪いかもしれません。 さて、貴方の父上殿に関していえば、父親として非常にいい責務を果たしておられると感じます。貴方がおっしゃるように確かに不器用なところもあるかもしれません。しかし、単なる不器用ではかたずけられない「信念」を感じます。もし、反対だったら貴方はどう思うでしょうか? 父上が周囲の人間に器用に振る舞い、如何にも世渡り上手だった場合、 貴方の中に父親ならではの何か大切なものが心に残るでしょうか?きっと残らないでしょう?良く感じたとして、せいぜい「世渡りの知恵」ぐらいかと思います。そういう人やそういう風な生き方をしようとしている人は少なくありません。また、そういう人達はどちらかというと自己の信念を通すというより、周りに合わせることから、自分の主体性とかアイデンティティを失ったり、最悪八方美人化してしまいます。そんな父親を見て「ああはなりたくない」などと反面教師的な理解もできますが、決して父を誇ることはできないでしょう。誇るべきは、今の父上殿でしょう。多少周りから浮いているにせよ一本筋の通った生き方はむしろ、世の多くの父親に貴方の父上殿の爪の垢を煎じて飲ませてあげたいぐらいです。正直そう思いました。 さて、貴方の悩みですが、簡単です。貴方は父上殿の言葉に囚われる必要は無いのです。父上殿の信念はしっかりとよきものとして心に刻みながら、その土台の上に貴方の信念、貴方の主体的判断で行動した結果が重要なのです。たとえ父上殿の言葉と正反対の行動になったとしても、なんら裏切ることにはならないのです。大切なのは信念です。信念と信念がぶつかっての結果なら、正反対でもいいのです。きっと父上殿も内心は喜ばれると思いますよ。「やっぱり、あいつは俺の子だ」と。
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- hyuuma8579
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No.13のhyuuma8579です。 結論から言いますと、反抗期は本人よりもその親にとって大きな意味を持つのです。 「お父さん、貴方の愛は間違っていますよ。」とか「お母さん、気付いて下さい、僕は以前の僕じゃない、もっと成長しているのですよ。」とか、「このままでは、あなた方親を尊敬したくてもできないではありませんか」とか「もっと僕の成長に関心を持って下さい」etc.etc. 親の愛の方向性が間違っていたり、足りなかったり、偏愛だったり、不適切な愛であることを誰が知らせてくれるかと言えば、まさにその娘、息子なのです。反抗期には、子から親への無言のメッセージが込められているのです。反抗期は見かけ上は正に親にたいする子供の反逆のように見えますが、生き方の間違った親や子供のような未熟な親に、より正しくあって欲しい、より成長して欲しいと願う子供側の愛の裏返しとも言えるのです。ですから、その反抗期の我が子の姿を通して変わるべきは親なのです。息子娘の前にいかに親として足らなかったかに気付くチャンスであり、どこが間違っているのかを考えさせるチャンスであり、結果として未熟な愛を飛躍させるチャンスなのです。 子供の反抗期によって親が少しでも間違いに気付いただけでも、意味は大きいのです。そして大きな不一致から少しの不一致に変わっただけでも充分なのです。 ですから、貴方の言うような心配は無用です。貴方がいつか、愛する人との間に生まれた子供を愛する時、子供の成長とともにいつしかその愛にも限界が来るでしょう。そんな時、反抗期は訪れ、貴方の愛や夫婦の愛にプラスαを与えてくれるのです。子供の反抗期を誤魔化したり、逃げたりせずに真正面から受け止め、自分の親として、人間としての未熟さ愛の足らなさに気付いて下さい。それだけでも大きな成長なのです。 気付くことが=愛でさえあるのですから。 子供は親を尊敬し、誇りたいのです。あなた方のような父母から生まれた自分であることを!! ちょっとでも親が成長してくれれば、子供は嬉しいのです。 反抗期…いい意味で必要なのです。 反抗期…親の人間的成長にとって必要不可欠なのです。 反抗期…子供側の親への愛の形=厳愛なのです。 反抗期…親にとっての正念場であり、試練なのです。 反抗期…与える愛と求める愛が一致しなくてもいいのです、反抗期によ り、一致していないことに気付くことができれば。ずれがわか ればいいのです。 反抗期…親が成長する絶好機です。 反抗期…自分の親を誇りたいがために生ずる子の親を思う愛の裏返しな のです。
お礼
またお返事が大変遅くなってしまい申し訳ありません。何度もご丁寧な回答ありがとうございます。 そういう面ではうちの父親は、「未熟すぎる」かも知れません。主張はある見方からすれば正しいのですが、周りを否定することでしか自己を保てないようなもろさもあります。 多分父にとっても厳しい試練になると思います。が、やらないほうがこの先おそらくもっと悲惨でしょう。 何とか知恵を絞ってやっていこうと思います。 ありがとうございます。 そして今回でご回答を締め切らせていただきます。 皆さんの丁寧なご回答が本当に参考になり、また決心も固まりました。本当にありがとうございました。
- pac-pac
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>>「親の義務」ですよ。 >そうですね。今冷静に考えてみたら、たとえば未成年で子供を追い出して家に入れてもらえなくて路上で生活していたとしたら、明らかに保護者に法的に責任がありますよね。 >ああ、もっと早くに気づいていれば・・・。 そう取られると・・・ 私自身、小学校、中学校時代けっこう荒れていた時期があって、家出したこともありました。 >小一時間取っ組み合いのケンカをやりました(嫁さんはそばでねっころがって一部始終を観戦していました)。 奥さん冷静すぎですよね!?止めないんですか!?(驚) まったくわかっていないのか、男同士ってのはこういうものだ、と理解しているのかのどちらかじゃないですか。下手に仲裁に入ると、嫁さん自身も怪我しかねませんから(こっちとしては傍観してもらっていた方が安心です)。 >父は・・・肩幅が僕の2倍くらい(ホントに)あるような人なので、父が本気を出したら、当たり所が悪ければ死ぬかもしれません。それくらい覚悟がいります。 おんなじくらいですよ(あなたと同じように私の子どももわかっているようです。本気でケンカをふっかけたらどうなるか)。 ただ、私はそこそこ手は抜きます。 「老いては子に従え」とか書きましたが、肩幅から筋肉から技から負けるつもりはさらさらありません(そんなんだったら家族を守れないじゃないですか)。 ただ、怖いのは子ども自身が「どこまで、相手をたたき伏せても大丈夫だ」と感じてしまうことです。だから手を抜いて、「疲れたふり(場合によってはわざと怪我をします)」 むかしは、先輩や友達同士の取っ組み合いでそれがわかっていましたが、今はなかなかそうではないような気がします。 じゃ、代わりはというと父親が一番身近な存在かと。 腕相撲とかよくやっていますよ(技のかけあいとか)。 私自身も子どもにどれくらいの力がついてきたかわかりますし、子どもも親父にどこまで追いつけたかわかるでしょうし。 いじめられっ子にならないだけのものはつけて欲しいと思っています。かといって、いじめっ子になるのは私自身が絶対にゆるさないです。 ただ、世間一般的な考え方とか世渡りについては外食するときに多少のマナーとかは教えますが、やっぱり自身での経験が一番かなと思います(最初はビクビクだと思いますが)。 自分の人生です。 大勢の方々の意見を聞いていると、少しずつでもあなた自身が納得できる部分があるのではないでしょうか。それを取り入れていけばいいのではと思います。 私は後輩に「私のまねをすることは絶対にゆるさないし、できないはずだ。だって、人生経験の長さも、生活環境も何もかもすべてがちがうはずだから。だから、参考にして、自分に合うところだけを取り込めばいい。他の人に対しても同じでいい。」と言っています。 もし、「あいつは俺の言うとおりにやらない。」とか文句言うやつがいたらいつでも言ってこいって言っています。 自分の個性を作るんだから、人と一緒じゃおんなじことしか思いつかないでしょ。それじゃおもしろくない。いろんな立場のいろんな考えの人が集まるからおもしろいことができていると思うし、それがいろんなジャンルの発展の源じゃないですか。 長文、失礼しました。
お礼
再びお礼が遅くなってしまい申し訳ありません。ご回答ありがとうございます。 >腕相撲とかよくやっていますよ(技のかけあいとか)。 うらやましいと思いました。ケンカみたいに、相手は本気であろうとなかろうと、自分はフルパワーで相手に挑むことができたら(悪意を持って痛めつけてやろうというのではなくあくまで「衝突」ですが)、そのあとなんだか「安心」できる気がします。ぶつかれるから、仲良くもなれるんだろうと思います。一方的な関係だと、やはり「恐怖」や「不信」がぬぐえません。 >自分の人生です。 大勢の方々の意見を聞いていると、少しずつでもあなた自身が納得できる部分があるのではないでしょうか。それを取り入れていけばいいのではと思います。 結局それにつきますね。父親も、あくまでその「部分」でしかないという事ですね。 >私は後輩に「私のまねをすることは絶対にゆるさないし、できないはずだ。だって、人生経験の長さも、生活環境も何もかもすべてがちがうはずだから。だから、参考にして、自分に合うところだけを取り込めばいい。他の人に対しても同じでいい。」と言っています。 ある意味父とまるで対称的な、すごく理にかなった教えだと感じました。すごく納得しました。ありがとうございます。
- hyuuma8579
- ベストアンサー率29% (326/1097)
No.7のhyuuma8579です。 お礼の言葉、ありがとうございます。 多少なりとも誤解をお招きしたようなので、補足させていただきます。 愛という概念と完璧という概念は正反対に近いぐらい一致しません。 わかりやすく言えば、完璧とか完全は存在しません。もし人がそういった世界を求めるなら、存在しないことをめざすことになるので、破局への道を歩むことにほかなりません。愛は形にとらわれませんが、完璧は形に囚われます。愛は自由ですが、完璧は呪縛です。 完全主義に対して愛は6割主義です。 考えて見てください。ありえないことですが、世の中に万が一にでも「完璧」が存在したら、それは、誰も相手にしないほどのくだらないもの、価値がないものにしか映らないでしょう。「完璧」に意味はないのです。私の言葉を受けての誤解ですから、私が悪かったのですが、愛の世界は言葉や数や主義に囚われぬ性質上、逆に言葉で説明することが愛の概念を狭めてしまったようですね。「1歳は1歳の愛…、…」の文がいい表現ではありませんでした。これに加えて与える愛と求める愛の一致ときたので、なにか脅迫的なものに聞こえたかもしれません。一致という言葉も誤解のもとかもしれません。多少の誤差も一致にはいるのです。かなり大きな差になった時に反抗が起きるのです。愛は与えるといっても何か精密機械のような与え方はしません。 親が子の幸せを思うとき、何かを与えたくて与えたくてしかたがない情の衝動から生まれるのが愛だし、どんなに苦労しても犠牲になっても悲壮感はありません。世の中に子育てほど楽しく面白いものは存在しないので、死んでもいい(=我を忘れる)ほどに無我夢中で与えようとするのです。ですから、話は全く逆です。「1歳は1歳…18歳は18歳の愛…」これは無我夢中で愛したら結果こうなっていたということであり、 親だから、子をこう愛さねばならないといったような、義務感、使命感、責任感、潔癖主義を強制するものではありません。 もし、義務感や責任感でしか愛せないなら、もはや、「愛」とは呼べません。喜びが愛の中心だからです。 もっとわかり易いたとえで言えば、例えば法律というものがありますが、愛のない人は法律を仕方なしにいやいやながら守ろうとするから苦痛でしかないのです。愛のある人はそれを守ることが喜びだから、主体的自由意志で守ろうとするのです。同じ守るのでもいやいやと自由意志では苦痛と喜びの天地の差を生み出します。 家庭の親の愛も同じだということです。 親が子を育てる時に、苦痛があってはいけないですよ。苦痛は義務感や潔癖症、完全主義、責任感に囚われることによって生ずるのです。 喜び…世界中の親にとって子育て以上の喜びはありえないのですから。 男女が愛し合って結婚するのも、子をたくさん産もうとするのも、全ては愛する喜びを味わいたい一点に尽きるのです。
お礼
再びお礼が遅くなってしまい申し訳ありません。ご回答ありがとうございます。 >完全主義に対して愛は6割主義です。 すみません。僕の方が捉え方が短絡的でした。完全主義ほど結果としてパフォーマンスの悪いものはありませんしね。 >もし、義務感や責任感でしか愛せないなら、もはや、「愛」とは呼べません。喜びが愛の中心だからです。 再度お訊ねして申し訳ありませんが、それは返していうなら「自分の気持ちを押し付ける」ことになりませんか?そして求める愛と与えられる愛の不一致が生じ、そこから反抗心が生まれる・・・とするならやはり反抗はたとえそういった「正しい」愛からも必然的に生まれる、ということではないでしょうか。 だとしたらもし、自分が子供に望まぬ愛を与えているのではないだろうか、という自分自身への疑いは「正しくない」のでしょうか。「与えたい愛」を与えようとするのと、「与えるべき愛」を与えようとするのは、どちらが正しいのでしょう。 話題がずれてしまい申し訳ありません、しかし、先のことを案じてる場合ではありませんが、もし仮に将来自分が逆に育てる側となったときに、子供をどう育てればいいのだろうと思いました。 何度も意見して申し訳ありません。そして毎回ご丁寧なご回答ありがとうございます。
私も以前に、中学のスクールカウンセラーをしていました(相談員程度のたわいも無い存在でしたが(笑)) そして、私自身、30代になって、やっと!!親に反抗できた?という経験の持ち主でもあります。 質問者様と同じように、漫画は駄目、お笑い番組は見せてもらえず、当時流行っていた歌手の名前と歌も知らなかった!相当なAC(アダルトチルドレン)です。 反抗期は遅いほどに根深くなるようで、相談者様のような厳しい環境を与えた親に、暴力まで振るった事があります。 親もいきなりで驚いたようで、神経症になり入院(逃避ですね)してしまいました。 ですから、これがいい例とはいいませんが・・・ 「問題だ」と言う事は無いと思います。お父さんへの、批判精神を持っていて、質問も、至極まともな青年だと思います。 理性が働いて、言動に出せない部分もあるのではないでしょうか? 気がついていないのは問題ですが、充分に分かっているのですから、これからは、大学は近くても、家を離れる(私は、通えましたが下宿しました)事を考える。など、親との距離のとり方を質問者様自身で、工夫される事が、一番良いと思います。 追い出されるというより、あなたから、冷静に話して、出て行くのです。 今、出来る事(行動)と言えば、それが一番いいように感じます。
お礼
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。ご回答ありがとうございます。 >質問者様と同じように、漫画は駄目、お笑い番組は見せてもらえず、当時流行っていた歌手の名前と歌も知らなかった!相当なAC(アダルトチルドレン)です。 僕も歌手の名前とかは全然知りません。そういう人のことをACというんですね。やっぱり成長の過程では流行を知ってみんなと共有することも重要なんですね。 >「問題だ」と言う事は無いと思います。お父さんへの、批判精神を持っていて、質問も、至極まともな青年だと思います。 とんでもないです。まともでは、まずないです。ギリギリで理性を保って隠してる感じです。中身はものすごく荒れていて、混乱しています。 >気がついていないのは問題ですが、充分に分かっているのですから、これからは、大学は近くても、家を離れる(私は、通えましたが下宿しました)事を考える。など、親との距離のとり方を質問者様自身で、工夫される事が、一番良いと思います。 追い出されるというより、あなたから、冷静に話して、出て行くのです。 今、出来る事(行動)と言えば、それが一番いいように感じます。 そうですね、出て行くだけでも十分な意思表示ですね。 ありがとうございました。
- pac-pac
- ベストアンサー率21% (9/42)
「食わしてもらっている」とか「学校いかしてもらっている」とかとあなたが思うこと感謝することは否定しませんし、いいことだと思いますが、「親の義務」ですよ。私自身も進学時、就職時には親と大喧嘩しましたし(自分のやりたいことがあったから)。 数ヶ月前、子どもにあることで注意したらねっころがったまま聞いていたので、こちらも腹が立ち「『このやろう』と思い、手が出ました」。そうすると子どもも突っかかってきたので、小一時間取っ組み合いのケンカをやりました(嫁さんはそばでねっころがって一部始終を観戦していました)。 こちらも、体力等は相当自信のあるほうでしたが、さすがに歳には勝てないようで、「引き分けにしよう」で収めました。 次の日から、子どももその注意内容はちゃんと守っているようですし、家族としての付き合いも普通です。 今後は、現役時代の体力に戻すか、「老いては子に従え」にするか、どちらかですね。 ふぅ。
お礼
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。ご回答ありがとうございます。 >「食わしてもらっている」とか「学校いかしてもらっている」とかとあなたが思うこと感謝することは否定しませんし、いいことだと思いますが、「親の義務」ですよ。 そうですね。今冷静に考えてみたら、たとえば未成年で子供を追い出して家に入れてもらえなくて路上で生活していたとしたら、明らかに保護者に法的に責任がありますよね。 ああ、もっと早くに気づいていれば・・・。 >小一時間取っ組み合いのケンカをやりました(嫁さんはそばでねっころがって一部始終を観戦していました)。 奥さん冷静すぎですよね!?止めないんですか!?(驚) 父は・・・肩幅が僕の2倍くらい(ホントに)あるような人なので、父が本気を出したら、当たり所が悪ければ死ぬかもしれません。それくらい覚悟がいります。 でももしそういう流れになったらやると思います。殺られる前に殺ります。(嘘です) ありがとうございます。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
今は夏休みだ! 馬鹿になれば良いんじゃね??^^ 何かやろう。とにかくやろう。よし、作戦会議だ!!でw そして何が何でも放棄するのではなくやり遂げること。 理想的なのはぶつかりながら前へ進む事です。 単にぶつかるだけでは後ろへ後退するだけですよ。 たしかに親には疑問を持っている。 だからこそ、学生を卒業して大学をやり遂げるって物じゃないかな。 転がりながら卒業するといいよ。
お礼
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。ご回答ありがとうございます。 そうですね夏休みですもんね♪どっか旅でも行こうかと思います♪(多分ひとり) >理想的なのはぶつかりながら前へ進む事です。 単にぶつかるだけでは後ろへ後退するだけですよ。 >転がりながら卒業するといいよ。 そうですね。中退とかも考えてましたけど、さすがにそれは逃げかもしんないですね。何年休学とかしようとも、形はどうあれ、卒業することが大事ですよね。 わかりました、それだけはがんばります!ありがとうございます。
- 0430
- ベストアンサー率23% (217/923)
もう自立している子供を持つ親です。 貴方の年齢の頃には、親の方に全く目が向いていませんでしたね。 アルバイト・女の子に忙しくて。 父の教えというのが、よく分からないのですが、自分のことは自分で考えられる年齢でしょう。 自分の人生は自分でつくるものです。 家を追い出されて、転がり込める友達(女性でも)がいないとしたら問題です。本を読んだり、社会勉強・経験をすることです。 自分のことは自分で決め、自分で責任を取れれば良いのですよ。 今更、ぶつかって喧嘩をすることもないと思いますよ。 只、アルバイトが駄目だとか、男女交際も駄目、成人になっての飲み会も駄目は、親がごちゃごちゃ言っても無視です。 就職は貴方の判断です。ここは譲れませんね。 親が働く訳ではないのですから、貴方の希望を通しましょう。 その時に出て行けと言われたら、出て行ける位のお金をアルバイトで貯めましょう。 大学卒業までは大丈夫。貴方が中退なんてお父様にとっては許せません。 周りがアホだとか悪いとかの考えは、お父さんに毒されたのかな。 周りを敵対するような教えなら、お父さんの教えがいけませんね。 生きていくのが大変です。ノーベル賞を取れるような天才ならいざしらず、協調の中で、自分を出していく方が楽な人生を送れますね。 過ぎたことを云々しても仕様が有りません。 これから先、自分がどんな人間になりたいか、自分の利点や能力を考慮しての希望の職種などを考えましょう。 ご両親もこれからの人生を考える年齢です。 貴方がいつまでも家に居ると、貴方の就職後の収入も期待されたりで結婚も難しくなったり、同居とかを押し付けられそうです。 さっさと家を出ましょう。
お礼
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。ご回答ありがとうございます。 >大学卒業までは大丈夫。貴方が中退なんてお父様にとっては許せません。 そう思っていいでしょうか。実際自分の学費が家計をかなり圧迫しているのは事実なのでそれがなければ家計はかなり楽になるのであちらにとっては都合がいいはずです。(やりかねないです。自分の思いが通じないと見捨てるので。)それに自分がもし出て行ったとしても学費を払い続けてくれるでしょうか。そして払ってもらえたとしてもそれは自立しているといえるでしょうか。またそのネタを使って僕を脅してきたりするような気がします。 >周りを敵対するような教えなら、お父さんの教えがいけませんね。 生きていくのが大変です。ノーベル賞を取れるような天才ならいざしらず、協調の中で、自分を出していく方が楽な人生を送れますね。 そうですね。やはりやり方がまずいですよね。自分が持たなくなったら意味がないですし、そのやり方で効果を生むかどうかも怪しいんじゃないかとも思います。 それに、実際には天才の気持ちはわかりませんが、そういう人たちも孤独で苦しんで生きていたのではないかと思います。彼らはきっと、彼らを理解する、理解しうる「仲間」をえることなく、生涯孤独だったんじゃないかと思います。
- kadowaki
- ベストアンサー率41% (854/2034)
質問者さんと同学年の愚息(アパート暮らし)を持つ父親です。 幸か不幸か、私はわが愚息に対して、思春期前後から私の意に反する言動をするたびに厳しく叱責してきました。 私は平均的な父親よりも理屈は得意でしたから、愚息も口では反論できない分、かえって反抗心を募らせたり、ずいぶんと悔しい思いをしたりしてきたはず、と当時の彼の心中を推察しております。 ただし、現在では、愚息も父親に何を言ったら否定的な言葉が返ってくるかに関する経験則程度は学習してきたはずですし、本人には悔しいところでしょうが、多少は親の言い分も理解できるように成長しただけに、また互いに毎日顔を合わせなくなっただけに、たまに帰郷しても、以前ほど角突き合わせて口論することもなくなってしまいました。 その点では、平均的な家族における平均的な父子の関係とさほど違わないプロセスを歩んできたのかな、と自己評価しております。 >父の言うことは正しいのです。(と感じました。)しかしその教えを守ろうとすると、社会の自分の周りの人を敵に回すことになります。 ちょっと気になったのは、質問者さんの「父の言うこと」や「父の教え」の受け止め方がやや狭すぎるのではないかという点です。 言い換えますと、お父さんがどういう動機、意図、目的で、これまで質問者さんを教え諭そうとしてきたのかを考えず、お父さんの発した言葉の指示内容ばかりに囚われすぎたり、その是非、正邪、当否ばかりにこだわりすぎたりしているような印象を受けます。 >これからどう生きるのがいいのでしょう。学校を辞めさせられる、家を追い出される覚悟を決めてぶつかって見るべきでしょうか、それともそうするまでもなく父についていくべきでしょうか。自分が悪いのか、親が悪いのか、周りが悪いのか、わかりません。どうすべきでしょう。 ここを読みながら感じたのですが、質問者さんはこれら一つ一つの課題に対応した正解があるはずという発想に囚われすぎておりませんか。 あるいは、それらの答はかならず○か×かのどちらかに決まっていると信じ込んでいませんか。 だとしたら、こういう発想は間違っていると断言できます。 お父さんの言い分の中身(内容)だけを取り上げて、それが是か非か、それに従うべきかどうかを考えるという発想はそろそろ終わりにしませんか。 これからは、繰り返しになりますが、お父さんの言い分よりも、その真意が何であるかについて、自分自身の頭を用いて、より深く考えてみませんか。 その上で、お父さんの指示に従うべきか、否かを判断するという姿勢が、これからの質問者さんには求められているはずですから。
お礼
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。ご回答ありがとうございます。 >言い換えますと、お父さんがどういう動機、意図、目的で、これまで質問者さんを教え諭そうとしてきたのかを考えず、お父さんの発した言葉の指示内容ばかりに囚われすぎたり、その是非、正邪、当否ばかりにこだわりすぎたりしているような印象を受けます。 父はおそらく僕に、正義感を保ちつつ、かつ社会的に健康な立場でやっていけるようにしたかったのだと思います。そしてそれらを自分の経験や知識を生かして僕に教えてきたのだと思います。そしてそれは素直な親切心からきているのだと思います。 しかし、父は先の「加減・やり方・器用さ」もそうですが、「時代」を考慮に入れていません。これは強く感じます。 おそらく今の時代(主に自分の周りの世代)は、昔よりも「冷めた」時代になっていると思います。自分の意思も、人間関係も。礼儀や道徳の質も以前より低下し、心の学習が劣ってきているように思います。 そして多くの大人の方は、それを知りません。知る術がないからです。学校の担任の先生ですら把握できないですから。 昨日までの友達が簡単に今日から敵になったりします。 ほとんどの子供が、積極的な理由というよりは身を守るためとか人より優位に立つためといった、消極的な理由で友達を作り、グループを作り、多数派に所属しようとします。そして、そうなれなかったものは餌食にされます。先生も守ってはくれません、めんどくさいので。 そんな(父の知らない)秩序の中で父の教えに沿って行動するのはかなりのリスクがあります。悪という秩序の中で正義を貫けば当然、「浮き」ます。なので身を守るだけのスキルがないと、社会的にかなりの不利があります。 ただ、自分のしようとしていることはそういう見方をすると「悪に染ま」ろうとしているということになり、それと父の考えとの間に葛藤があります。 周りが悪いのではないか、という考えはこういうところからきていると思います。もし周りが礼儀を重んじて正義感のある人たちだったら、父を疑うこともなかったろうと思います。
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
50代の男です。 僕は、人間って、生まれてから死ぬまでに、何度か「システムチェンジ」しないと先々持たない時期があるような気がしています。 その大きな節目が、10歳ごろと思春期、そして「中年」と呼ばれるころ、死ぬ直前、というイメージがある。 まあ、親に反抗しなくても「システムチェンジ」が可能なら、良いのかもしれない。 しかし、「システムチェンジ」せずに30代に突入すれば、健全な社会人になれるはずがないと思う。 今、そういう人、結構多いでしょ? あまりにも多いので、自分が不健康で人間として劣っていると言うことに気が付かないほど多い。 しかし、「出来損ない」には違いがない。 親に迷惑かけないで育つなんて、つまんない。 たこ八郎の墓碑銘を見ろ! 「めいわくかけてありがとう」だぞ!(笑) めいわくかけてごめんなさい、、なんて言葉は、親子や夫婦のの情愛を一生理解できない劣った人間の話。 しかし多いね、例えば「たかが」浮気で人生終わってしまう劣った男女♪ めいわくかけてありがとう! っていえるような優れた人生を送ってみろ! まあ、劣った出来損ないには無理だが、、、♪
お礼
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。 >めいわくかけてごめんなさい、なんて言葉は、親子や夫婦のの情愛を一生理解できない劣った人間の話。 わかる気がします。迷惑をかけるのは裏を返せばその人に気を許すってことですよね。度合いにはよりますが僕も(数少ない本当の)友達にはそうされて悪い気はしなかったりします。 でも今の世の中、ちょっとメール返すのを忘れたりとかちょっと集合時間に遅れたりするだけで縁を切られるようで、そういう付き合いはすごく疲れます。(まあそんなのぜんぜん友達とは思ってませんけど。) すみません話がずれました。 >しかし、「システムチェンジ」せずに30代に突入すれば、健全な社会人になれるはずがないと思う。 本当にそう思って、そうなるのが一番怖いです。 そうなるまで過去のツケを溜め込んで、大人になってから周りも自分も潰してしまうパターンが一番怖いです。 そうなる前になんとか「大人」になりたいです。 でも「親に迷惑かけるなよ」という声にはこれからは耳を傾けないようにしようと思いました。 ありがとうございます。
- damdo
- ベストアンサー率31% (18/58)
自分が間違っていたと認めるのは本気でぶつかってみてからでも遅くはないと思います。 本気でぶつかってもいないのに「自分がおかしいんだ、間違っているんだ」と勝手に納得してしまうのが一番良くありません。 それにあなたの親も厳格とはいえ、人の親です。 自分の子が本気で反抗してきたからといっていきなり学校を辞めさせたり家を追い出したりはしない・・・と思いたいですね。 基本的に親は自分の子供が不幸になるようなことはしません。 自分の子を虐待するようなバカ親は別として、ね。 そして皆さんがおっしゃっているように親だろうが教師だろうが間違いはあるんです。 反抗して自分の間違いに気付き、考え方が変わることもあるでしょうし、自分が正しければ自信にもなるでしょう。 それを繰り返してみんな一人の人間として自立していくんです。 というわけで、ぼくの意見としては一度本気でぶつかってみて欲しいですね。 良い結果が出るように祈っています。
お礼
ご丁寧な回答ありがとうございます。 しかし、この期に及んで二の足を踏むようで申し訳ないのですが、僕の親はどちらかというと、虐待するような馬鹿な親ではまずないのですが、自分の子供がぶつかってくることが成長の過程で必要であるという意識がなく、親に歯向かうような子供はその辺のチンピラと同じだという感じの考えがあるようです。というかそう言ってます。 なので僕が本気でぶつかったら、本気で失望してしまうと思います。あんたを恨んでるからじゃない、僕が将来ちゃんとした大人になるために必要な過程なんだと理屈で説明してもきっと届かないでしょう。 父は根は弱くて、自尊心と正義感が強く、人に弱さを見せまいと周りを威嚇するような傾向があるように思えます。職場でもうまく言っておらず余計に消耗しているでしょう。 なのでおそらく父が「自分が悪かったのかも」と思うことは、というかそんな精神的な余裕はないように思えますし、僕がもし「なら出て行く」といえば本気でそうするでしょう。 そういうわけで、かなりの覚悟と準備は要ります。 ですが、やるしかない、ということは強く感じました。なんとかやってみようと思います。 ありがとうございます。
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お礼
>愛といっても親が子を愛する場合、1歳は1歳の愛を2歳は2歳の愛を3歳は3歳の愛を…14歳には14歳に相応しい愛を…18歳には18歳の愛をという具合に子供の成長に合わせた愛を与えなければならないのです。 >愛を正しく与え続けることができたなら、与える側の愛と求める側の愛がいつも一致していることになり、よって反抗期はありえないのです。 確かに、反抗する要素がなければ反抗することもないだろうなというのはわかります。 ですが、反論する気は毛頭ないのですが、親に完璧さを求めるのもどうかと思います。なのであくまで理想だと思います。親がそこまで気負ってしまえば今度は親がつぶれてしまいかねないと思います。 そうなると反抗することになるのはやはり必然になるのでしょうか。 >父上が周囲の人間に器用に振る舞い、如何にも世渡り上手だった場合、 貴方の中に父親ならではの何か大切なものが心に残るでしょうか? そう言われてみると・・・確かに、「現実的で器用な人だな」とは思うかもしれませんが、憧れることはないかもしれません。 >父上殿の信念はしっかりとよきものとして心に刻みながら、その土台の上に貴方の信念、貴方の主体的判断で行動した結果が重要なのです。 そうですね。父の考えを真っ向から否定せずに、良い部分は評価するというのが正しいと思います。 なのでやはりそうするためにも、自立して親と子としてでなく対等にひとりの人間と人間として話せたらいいと思います。 ありがとうございます。