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戦艦大和の歴代砲術長は何人いたのですか。
戦艦大和の歴代砲術長は何人いたのですか。 また、黛治夫氏は初代砲術長だったらしいですが、ある本では大和砲術長になりたかった、とあります。 本当のところはどうなのでしょうか。
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- pri_tama
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回答No.1
>黛治夫氏は初代砲術長だったらしいですが、ある本では大和砲術長になりたかった、とあります。 黛治夫氏って大和の副長(厳密に言うと艤装副長←まだ完成していないので)だったと思いますが…。 (氏は連合艦隊の砲術の大家ですから、砲術長をやりたいと言うのは理解できますが…。) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%9B%E6%B2%BB%E5%A4%AB 完成時には既に大佐に昇進してますから、砲術長[中佐級]と言う事は無いと思います。 (まあ副長[大佐級]と砲術長を兼任した例が無い訳では有りませんが…。) 一応、歴代の砲術長の件も手持ちの資料で調べてみたのですが、分りませんでした。申し訳有りません。m(_ _)m
お礼
有難うございました。 言われるように副長で、砲術長を兼任していたのかなとも思いました。 しかし、黛氏はわずか1ヶ月余りで大和を去っていますので、砲術長としての職務は していない。または、砲術長ではなかったかもしれません。 戦艦大和の竣工当時のようすは大変興味があります。 参考になりました。