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近代の物理学について
古代・中世の物理学と近代の物理学の自然の見方、研究の方法などの違いについてお聞きしたいのですが、近代の物理学ってミクロとか話が複雑すぎてあまりよく分からないので、物理学の魅力とかなにかいいページがありましたら紹介してください。
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>なにかいいページがありましたら紹介してください。 いいHPは見つからないのですが、参考URLにある 「物理学と神」という本をお勧めします。 タイトルが誤解を生みそうですが、別にあやしい 宗教本ではありません。紀元前4世紀のギリシャ、 16,17世紀のヨーロッパ、そして20世紀までの 自然科学の世界観について述べられています。 >古代・中世の物理学と近代の物理学の自然の見方 物理学というと17世紀にアイザック・ニュートンが 確立した力学以降を指し示すようなので、 自然科学、自然哲学という見方で見直したほうが いいでしょう。 因みに物理学とは何かと言えば、ニュートンの 書、プリンキピアのフルタイトルがそれを物語って います。「自然哲学における数学的諸原理」、この 本のタイトルが物理学の始めまり、つまり力学の 定義と言っていいでしょう。 現代の哲学はプラトンにつけられた注釈に過ぎない という言葉があります。つまりいろいろ難しい 議論が今でもあるが、全てはプラトンら紀元前 4世紀ころの古代ギリシャの哲学の延長に過ぎない というもの。自然哲学も例外ではありません。 >古代 時代、場所:紀元前4,5世紀のギリシャ 自然哲学:主に言葉により自然を理解しようとした。 イデア論のような言葉による理想論が 数学にも影響し、独特の幾何理論体系が 出来上がっていった。 1)自然現象の要因は全て、物の中にあると いう考えが主流だった。 2)自然は連続的存在であると言う考えが 主流で、デモクリトスの自然は不連続 な存在であるという原子論は少数派 だった。 >中世の 時代、場所:16、17世紀のイギリス、フランス 自然哲学:ルネッサンスの影響で、古代哲学が 見直されたことから、自然(主に天体の運 動)を理解するために古代ギリシャの幾何学 を積極的に用いるようになった。 コペルニクスやケプラーも古代ギリシャ人 の考えた円錐曲線で惑星の軌道を考えた が、物理学の祖としてニュートンの名前 が出てくるのは、ニュートンが単に幾何学 を使っただけではなく、軌道計算の必要性 から、微分法という19世紀の解析力学など 古典力学全般の基礎になる数学まで一気に 編み出したことによる。 1)-1ニュートンは古代ギリシャの主流で あった、現象の要因を物質の内部の性質 求めることをやめ、運動は万有引力という 物質外の要因によるものであると明言 した。 ニュートンの万有引力の発見というのは 自然哲学の概念の大きな変化の1つで、 この影響で、遠心力とか求心力いった力の 種類についての議論が始まった。 これが現在、自然界には4つの力が 存在するという結論への発端になって いる。 1)-2フランスの物理数学哲学者 ルネ・デカルト及び彼の考えを 支持するデカルト主義者たちは、この ニュートンの万有引力の考え方に 否定的だった。 2)デカルトは主に古代ギリシャの 主流理論を支持していたので、原子 論にも否定的だった。 物質の根源が原子のような粒だと、 必ず粒と粒の間に何も存在しない空間 が存在することになり、これはデカルト が嫌っていた無の存在を認めることに 繋がるものだったから。 主にキリスト教など、宗教の影響が強く現れる ようになった。 >近代の物理学 時代、場所:19、20世紀前半 自然哲学:産業革命の影響で、測定機器が格段に進歩し 実験科学の分野が発展し、特に20世紀に 入ると、これまで未知の領域だった、目に 見えないミクロの世界の研究が進んだ。 1)ニュートンの言った万有引力とは 空間の歪みであるという考え方が進み 相対性理論の完成に到った。 2)実験結果から、電荷や質量には一定 の単位があることがわかり、ここで 初めてデモクリトスの原子論が主流と なった。 デカルトの考えていた無の存在について は、量子力学の理論から、無と思われる 空間にはプラスとマイナスのエネルギー の揺らぎが存在し、全体としてエネルギー 零の無のようだが、本当に何もない わけではないという結論にい到った。 宗教の影響は小さくなったが、創世記の物理学版 と言われるビックバン理論が、エネルギー保存の 法則を破り、実験的根拠もないのに、主流理論の 1つとして認められるなど、まだまだ宗教観 から抜け出してはいない。 >今の物理学 時代、場所:20世紀後半から現在 自然哲学:19世紀後半から、現代数学と呼ばれる 新しい幾何の理論が発展した影響で、 リーマン幾何学を応用した相対性理論が 大きな成果を上げることができた。 この高等な数学の理論を物理学に 積極的に応用しようとする動きが活発化し イデア論とか宗教思想等、人間の言葉による 理想論をはるかに超えた自然の解釈が 進行中である。 1)現象の要因は物質の外か中かというのは 人間の勝手な感覚で、空間と物質と 力は同じものの、状態の変化に過ぎない かもしれない可能性が出てきた。 2)1960年代までの実験結果から、 物質の究極の姿が粒子であるとすると いろいろ無理があることが分かり始めた。 デモクリトスの原子論信仰は終わりを つげ、新たに自然の真の像の追求が 始まった。現在、その次の最有力候補は 超弦理論である。
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- SCNK
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具体的なページなどはわかりませんが、そもそも古代および中世には物理学はありませんでした。 古代には、といいましてもグレコローマンの話になるのですが、自然哲学という分野が興ります。哲学というものは、数学の証明の問題のように一つ一つの事柄を考えて、その真理を組み立ててゆくわけですが、それを自然に当てはめたものが自然哲学です。そうはいっても今日のようにいろいろなことがわかっているわけではなく、多くは想像を組み立てて行き、矛盾を解決していったわけです。 しかし物質の粒子論など、大きな意味で正当を得ているものもありますし、物事の矛盾を解決して、系統的に考えてゆくという進め方自体が現代の科学・技術全般に大きな影響を与えました。 グレコローマンでは、ローマ帝国がキリスト教を国教にするまで多神教の世界だったこともあり、自然に対して畏れを抱く一方で自然を観察するという面があったことが自然哲学発展の背景にあるでしょう。 ところが一神教のキリスト教が入るに従い、すべての物事の説明は神を元にするようになりました。そうなりますと自然哲学は廃れ、スコラ哲学が隆盛を極めます。 ルネッサンス期になり人間中心の世界となったため、再び神や聖書から離れ、自由に考えをめぐらすようになって自然哲学は復活しました。 ここまで哲学といいましたが、神学、医学、法学、修辞学以外の学問は当時は哲学と同義語でした。 それではどうして自然哲学から科学が生まれたのかというのは、そう簡単な話ではありません。19世紀初頭にサイエンティストという言葉が作られたのが最初であろうといわれています。おそらく17世紀から18世紀にかけ、それまで頭の中で想像してゆくしかなかったことが、次第に実験などで実証的に証明されるようになったからでしょう。 特に英国を中心とした帰納的な考え方は実験の必要性を後押ししたと思われます。ルネッサンス期においてもガリレオは科学実験をしていますね。 さらに数学の知識が後押ししたかもしれません。砲兵隊の将校だったデカルトは砲弾の運動などから、物理と数学を関係付けました。ライプニッツやニュートンも微積分において大きな影響を残しています。 こうしてみると 古代 想像を検証 中世 神と聖書から導き出す 近代 実験と数学的説明 といったところでしょうか。