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日本史、世界史における捏造事件を教えて下さい
皆様ご承知とは存じますが、そう遠くない前に、縄文時代など古代日本史における捏造が、とある専門家の手によって行われました。 何も日本史のみならず、世界史においても捏造の介入の可能性があり得るのかもしれません。 また数十年前でしたでしょうか、ある古代文明の大展示会がデパートにて開催されましたが、何とフェイクが大量に紛れていたことが判明し、それが発端で引責事件にまで発展した事件もありました。 その企画会社の社長の娘がたまたまかつてのクラスメートだったので、いまだにショックで忘れられない記憶として残っております。 美術品をはじめ、歴史に関わる事象を扱うことの複雑さと倫理というものにちょっぴり触れた気分だったと思います。 古代史絡みはロマン溢れる魅惑のジャンルながら、なかなか事実認定や断定をするのが難しいのかもしれません。 ですが、一素人として考古学や歴史を楽しむ分にはいざ知らず、故意の捏造は決して褒められたものではありません。 ただ、いわゆる「正史」とは違うアウトサイダー的な側面と申しますか、「捏造事件」そのものも「歴史」とみなしうると考えるならば、それなりに過去の事件は興味深いようにも思われます。 そもそもいわゆる通説となっている「正史」、ならびにそのバイアスに囚われた見方による副次的な視点を遠ざけると何か面白いものが見えてくるような気もするのです。 もちろん古今東西によって「捏造の動機」すら大いに異なるかと思われます。 そこでこのたびは、研究の末ではなく、捏造が発覚、もしくは洒落で世間を”ひっかけた”というようなお話がありましたら、古今東西を問わずご教授いただきたいと思います。 何も大それた歴史的事件に限らず、骨董品の真贋話でも、絵画のフェイクでも、中世の文献の捏造でも、何でも構いません。 もし御存じの方がいらっしゃいましたら、よろしくお願い申し上げます。
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回答番号:No.20 あぁ、どうも誤解されておられたかも知れませんね、てょいと今になって、ご文章から気付きました。 真実に生きるから真偽の判断ができるのだということです。 真偽を見分ける、批判力と眼光の涵養はまともに、正気でいきていくことによりなされる。 ということについてのご認識がご経験になっておられますか? このようにあざなえる縄のような真偽の状態の世に中と歴史です。 その真偽は自己の冷静な意識で判断するのです。 芥川の藪の中ですか。世の中はあんなものです。 その真偽の判断は自己の冷静な正気性です。 これは夫々の人が自分で体験することです。 論証や理論では在りません。 盟神探湯とは容疑者に課すというのが歴史の勉強でした。 それもあるかもしれませんが、正しく伝わらなかった教えの一つですね。 間にいい加減な人が介在した嘘の伝承でしょう。 これはむしろ判断者の側に課すものでしょうね。 対象に盟神探湯を課して何に為りますか? 馬鹿らしいと思いませんか。 そして人は常に判断者として生きているのではないでしょうか? 昔の賢者の言葉を、理解できない人が介在して現代に伝わるいい例ですね。聖書もそうなんです。そして改竄されてきて。 挙句にみんな翻弄されてきている。 哲学や思想というのはそういう閑な理屈やが関ってきているのですね。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.20 一応、結末の積りで前回投稿しましたが、多少、誤解されたようにも思えるので、再度投稿します。お許しください。 【あどけなく愛くるしいこの時期に、一生懸命お考えになっていらっしゃったのですか。 胸が切なくなります。】 ●投稿:これは性格ですし、そういう風な流れできております。胸の切なくなる話ではないのです。 【人生と労働】 ●生きるというのは、労働です。不労所得でいる人も労働しています。呼吸、消化吸収・排泄、循環、五感作用、四肢身体の動作。これを私は労働の中に入れています。その中で、一定数量の人生時間を他人の指揮命令下において、一定の生産や生産関連、ないし流通などの業務に携わり、時間とエネルギー(つまり人生を売った)対価として賃金を受け取る行為を狭義の労働としております。人生を売ることですので、人生論や人間存在論の対象分野として、この労働を問題にしてきたという事です。貴方から国際法ご披瀝あったので、わたしは労働法でした。そのいわく因縁はこういうことです、ということを披瀝しただけです。余談ですが、私の頃、国際法は安井郁とかいう人が人気でした。全ての授業と演習を選択していた労働は後に学長になった方ですが、執行委員長とは昵懇でした。また、執行委員長は教育学でしたが、この方演習もとり、我が一人住まいにもおいでになったりしました。20~30歳はそういう交流でした。 【正規雇用者側からの彼らに対するバッシング】 ●そうでしたか、事情というのは現場を知らないと、判断が出来ませんが。 【フランスでは今なおデモやストライキが盛んです。~~略~~被害を被る側の市民の反応が依然大らかに映ります。管理職一般職共々、経営者に対峙して一致協力しているかのようでした。】 ●そうなんですね、でもあちらを先進国とは思ってはいませんが。 【日本ではいつ頃から労組が盛んでなくなったのでしょう。】 ●無論戦後であり、60年安保の前後から80年事までではないでしょうか? 【mmky様】 ●そのことは理解しております。示唆の深いご投稿を拝読しておりました。 【>批判勢力の方も所詮は、その中の日本人であり、日本は対外的に一応一色にはなっていました。 それは各人が日本の為に良かれと思って突き進んでいった時代だったということでしょうか。】 ●そうもいえるかもしれませんが、所詮は日本人としての意識と立場を出るなんて事は無論、時代の方としての意識は当然、逸脱はできるわけはない。批判というのはそういう枠のなかでしていたのだと、いうだけのことです。 【>腐敗と逸脱がなければ、仕事は運んでいきませんでしょう。そしてその腐敗と逸脱は過小評価がされるのでしょう。 万事が順風満帆のまま何事も事が運ぶわけではないのでしょう。 腐敗と逸脱は必然かもしれません。】 ●そうではなく、仕事を遂行していく事は必然的に昨日と違うことにであい、対処することなので、常に逸脱であり、意図的な腐敗にもなり、そうでなくても他面的には腐敗といえる様相であるという糊塗です。そういう中で、腐敗と逸脱が生まれ、育ち、思いもしない状況になっていくのだということです。 【職人】 ●職人の仕事の日常は上記のあり方とは質と側面が違う、ということをいったまでです。 【>好事魔、多し(こうず ま おおし)という事とは又別に、組織と権力というものの性格はその構成員の人間性の如何に関らず、各個人が画く像とは異なる姿を現すでしょう。 そうですね、結果はどうあれ仮にも政権を担った暁においては、道半ばでの無責任な辞任劇だけは避けていただきたいと願います。】 ●そういうことは申し上げてはおりませんで、権力というものの日常は好事(こうず)の魔(ま)の集散離合とは別に、必然的に主義主張とは異なる論理と事実の展開をしてくるものである、ということです。旧・ソ連、中華人民共和国、朝鮮民主主義・・国における、興国や創始の理念・理想は、歴史の中で変改させられてきているという側面があるのではないでしょうか。毛沢東と周恩来の関係、複雑多面、激動の歴史展開。そういう中でのそれぞれの人間存在ですからね。スターリンが出てきたとき、社会主義ソ連はもうなくなったのですね。そういう歴史展開の必然性を、『鴨川の流れ』、そして、『子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜(先生が川のほとりでじゅっかいされたことがあったなぁ。「あぁ多くの人を見送ってきたものだ。それにしても逝く者は昼夜をおかざるものよなぁ」と)』などに托しながら、現在は、そして仮想でしかない、そしていつかどうかはわからない革新政権成立について拙い所感を申し上げました。みな必死なんですが。実現しても、画いた理想と現実はどうしても、・・・。という歴史の例がありますね。 【>言葉としては、高い境地とか、聖者の境地という場合に使います。 】 ●語感は個人の問題でもあり、私の主観を僭越を冒して陳べました。 【孤独】 ●一家の責任の大きな一端を背負られてのお立場で、感じられているのかなと存じました。人はどうしても孤独ですね。そして実は孤独にはなってはいないのですね。そして死さへも孤独にはしてくれません。人という存在の開始と終了は人がもともと存在しているものではないという事を教えていますね。哲学カテでのことで敷衍されただけでしたら、わたしも通り過ぎます。 【「書を読むこと」「自ら考えること」「自らに生かすこと」各々当然別物と弁えておりますし、今後はどのようにそれらとつきあっていったらよいかと、ゆるゆると模索している状態なのです。】 ●ほんとうに難しいことですね。 【、とにかく万事につけ必要に迫られて身を処遇してきた受け身の姿勢から徐々に本来の自律した生き方に変化してきているのかもしれません。】 ●はぁそれはいいことでしょうね。いろんな都合に合わせていってくれるお方が大事なんですけれども。 【深刻に考えずに気分転換をして生活を楽しむことに関しては自分でもかなりの自信がある楽天家ですが、殊に思索することに関しては、いつもと勝手が違ってとまどっている状況です。】 ●はぁそうですか。私は神経をあまり上手には使えないし、楽天的でもないし、苦労性でもないのですが。変な投稿をして、もうしわけありません。 止め処がないので、お書き込みを賜るかも知れませんが、私の投稿は一応これにてお許しいただきます。 言葉だけでのやり取りの難しさについて、又、更に痛感しておりおります。 いつか又どこかでお話できるでしょう。 マシュマロさんとご家の皆様のご健勝と平安を祈っております。
お礼
krya1998様、数多くのご教授ご助言を本当にありがとうございました。 また拙文のせいで大変歯がゆい思いをおかけしたことに対しお詫び申し上げます。 わたくしとしましては、krya様との「教養と歴史認識の膨大な差」が露呈しながらも、懇切丁寧にご教授くださったご厚意に感謝の気持ちで一杯です。 >言葉だけでのやり取りの難しさについて はい、数行での質疑では表現し尽くせないテーマばかり、更に拙文により一層困難に拍車をかけてしまいました。 「誤解」というよりkrya様のご認識が、わたくしのそれを遥かに超える長期展望ゆえに、自らがいかに近視眼的であるかを重々認識するに至りました。 (例えば【好事魔、多し】の場合、次の選挙に絡み過去における保革逆転・細川元首相の退陣劇による失望をわたくしは思わず想起しました。ですがkrya様のそれは旧ソ連等各国の興国や創始の理念・理想といった広範多岐に渡りましたので、想起するもの一つにしても改めて雲泥の差というものを痛切に感じました。) 人生の先輩でいらっしゃるkrya様から賜りましたお言葉は、どれも本当に得難いものばかりですし、わたくしなりにそのまま素直に頂戴しております。 そしてまた、末長く頭の片隅に残るよう最低限のキーワードを刻み、事あるごとに紐解きたいです。 「真偽を見分ける、批判力と眼光の涵養はまともに、正気でいきていくことによりなされる。」が一番印象に残りましたので、これに決めさせていただきますね。 ご多忙な中折角頂戴したお話、これをどう生かすかが今後の自らの課題です。 krya1998様、今後とも得難くも貴重なご教授をよろしくお願い申し上げます。 そして今年の夏はちょっと天候が不順ですね、どうか御身体をご自愛くださいませ。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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【20年以上も前、わたくしは国際法のゼミ】 ●投稿者:私は労働法です。ラディカル革新の大学労組を15年ほどやっていました。その途中、ラートブルッフと労働法に塗りつぶしました。60年安保を挟んで。 小3から、人生と人間、世界を一生懸命考え作文したりしていました。師範学校最後の卒の恩師は驚き、近所に引っ越してきて何かと私を自宅に連れて行きました。 労働。そういう中での労働への焦点です。 これは時間と生命。人間の生きるエネルギーであり、それを企業や歴史がどうするかが、私の課題でもありました。 【表現に神経を使う微妙な話題ですが、】 ●投稿者:やはり気にされましたね。や、若いのにしかもいっちゃ不適当だが、的確な語彙用法と脈絡でして、出来すぎています。そしてやはり一、二、どうもご自分の表現をされているにしては、伝わりにくいところがありました。それだけのことです。 【mmky様から】 ●投稿者:めんどうくさいお話が続いておりましたね。あの方も面談することができれば、大変示唆的なお話を賜れるとは存じましたが、私には哲学の他の方々同様、どうでもいいことだと存じました。申し訳ないが哲学のコーナーのお話には意味がないと評価しました。 【「特高」「治安維持法」「開戦」に駆り立てていったものとは一体何だったのでしょうか。】 ●投稿者:新聞などの論調や報道は大きなファクターを醸成していたと存じます。 批判勢力の方も所詮は、その中の日本人であり、日本は対外的に一応一色にはなっていました。またコミンテルですか。未熟な世界観だったと存じます。それやこれや、国民学校一年生の私も強烈に当時や当時の人の気持ちを思い浮かべることができます。 ≪「権力上部では、工夫と試行という表とともに、腐敗と逸脱は、他の時代同様に付きものであった」のお言葉は早速心得させて頂きます。【崇高な職務理念とは裏腹に、やはり権力に腐敗と逸脱はつきものなのでしょうか。】≫ ●投稿者:庶民は只管ら、日々を野心なくきちんと背負って生活するだけです。それに引き換え、仕事の現場は工夫と試行でしょう。なんでもどこでも。 その延長や鬼っことして腐敗と逸脱があるのでしょう。腐敗と逸脱がなければ、仕事は運んでいきませんでしょう。そしてその腐敗と逸脱は過小評価がされるのでしょう。これが仕事でしょう。職人の仕事はちょいと違いますが。我が家は浅草、聖天町の先、職人の家ですから。 【浅間山荘事件】 ●投稿者:私は、誠実的確に正義に則って、遂行する権力の日常現場のことを申し上げたつもりでいます。歴史の聖域というのはなく、野心と欲望、妬みと力関係の中のことです。 【「日米安保」「自衛隊と9条」といった日本の自律性を欠く現状。これこそが「昨今の政治的な膠着状態」の元凶だと考えておりまして、その意味において「政治的混迷」と形容した次第です。~~~三島関係に関するお話】 ●投稿者:そういう見かたもありますでしょう。 【もし仮に日本の革新政権がもし誕生したならば、腐敗と逸脱は少しは減るとお考えでしょうか。】 ●投稿者:理想に近い国政運営をするのだという、お気持ちをみなさん吐露されはしますが、私の語る次元ではないようです。でも仮にそうなったとしても、多くの人ががっかりもすることが多々生ずると存じます。好事魔、多し という事とは又別に、組織と権力というものの性格はその構成員の人間性の如何に関らず、各個人が画く像とは異なる姿を現すでしょう。 >薩長土肥という藩閥政権がその後の近代日本の今日までの在り方を規定してきている事は功罪ともありますね。【はい、大変世知辛いことだったのですね。】 ●投稿者:理想や理念ではなく、建前としてはそれもあったかもしれないが、歴史的権力欲が大きな主役でありましたでしょう。 【自己をどう真剣に生きるか、主体性をどう確立するか、という点につき哲学や信仰が絡んでくるということでしょうか。】 ●投稿者:嘘かほんとうか、きちんといきている、そういう積み重ね。それでできてくるものでしかないのでしょうね。名のついた信仰や哲学は関係ないでしょう。 【必ずしも自らを孤独の境地に追い込まなくとも、哲学や信仰は傍らに携えていけるものでしょうか。】 ●投稿者:こういうところで、境地という選語は不適当です。意味は通るし、別に間違いではないが、間違いです。 言葉としては、高い境地とか、聖者の境地という場合に使います。 孤独にしていく必要も、されていくことも関係はないのでしょうね。 孤独でも孤独でなくてもいいのではないですか。 哲学や信仰、そして思想も無用でしょうね。 そして“傍ら”とか、“携える”とか、どうも私には奇妙です。 孤独が恐ろしいですか? 孤独を嫌悪しますか? 宇宙って自分のことですね。 宇宙の中に全てがあり、全ての中に宇宙がありますね。 この表現には論理が通っていませんか?
お礼
krya様、ご丁寧なご教授並びにご指摘を下さりましてありがとうございます。 >小3から、人生と人間、世界を一生懸命考え作文 下のわが子が小3です。 あどけなく愛くるしいこの時期に、一生懸命お考えになっていらっしゃったのですか。 胸が切なくなります。 日々の労働。 一人一人にとって異なる思いと意味合いを込めた生きるエネルギーですね。 社会との大切なかかわり合いの場とも考えられると思います。 以前は日本も労組の活動が活発だったような気が致します。 幼少より越境通学でしたので、毎年一時期、休校になるのが楽しみでした。 今春非正規雇用者の中途打ち切り問題が話題となりましたが、こちらのサイトで、正規雇用者側からの彼らに対するバッシングを見かけ驚きました。 フランスでは今なおデモやストライキが盛んです。 雇用率が日本以上にシビアであることが大きな要因と思われますが、被害を被る側の市民の反応が依然大らかに映ります。 航空会社のストに遭遇した際など、管理職一般職共々、経営者に対峙して一致協力しているかのようでした。 総じて日本ではいつ頃から労組が盛んでなくなったのでしょう。 >ご自分の表現をされているにしては、伝わりにくいところがありました。 はい、この歳になってご助言いただけますことをありがたく思っております。 わたくしの能力の中で読解、記述の類は最も不得手としているところですので精進致します。 またmmky様からは面倒な話など今まで一度も頂いたことがございません。 百花繚乱、読み手の一筋の真理を見出す努力等々、どれもわたくしには本当に得がたいご意見ばかりです。 次回の哲学の拙問に是非ともご回答をお願いしたい大切なお方です。 度量が深く忌憚のないご指摘を下さる方が好きです。 この度はまた誤解を招くようなことを記してしまい、大変申し訳なく思っております。 >批判勢力の方も所詮は、その中の日本人であり、日本は対外的に一応一色にはなっていました。 それは各人が日本の為に良かれと思って突き進んでいった時代だったということでしょうか。 「特高・治安維持法・開戦」「浅間山荘事件」等に関しましても、krya様の率直なご意見をお伺いすることができ大変ありがたく思っております。
補足
>腐敗と逸脱がなければ、仕事は運んでいきませんでしょう。そしてその腐敗と逸脱は過小評価がされるのでしょう。 はい、仰る通りかもしれません。 万事が順風満帆のまま何事も事が運ぶわけではないのでしょう。 腐敗と逸脱は必然かもしれません。 そして日本の技術立国を支えてきていたのは、紛れもなく職人の方々の誇りと技術力なのだと思います。 生み出す以上にそれを受け継ぐということは、部外者からは決して測り知れないほど困難なことのように想像致します。 >好事魔、多し という事とは又別に、組織と権力というものの性格はその構成員の人間性の如何に関らず、各個人が画く像とは異なる姿を現すでしょう。 そうですね、結果はどうあれ仮にも政権を担った暁においては、道半ばでの無責任な辞任劇だけは避けていただきたいと願います。 >こういうところで、境地という選語は不適当です。意味は通るし、別に間違いではないが、間違いです。 >言葉としては、高い境地とか、聖者の境地という場合に使います。 はい、わたくしは言葉づかいに無神経過ぎるのだと思います。 このようなところが浅はかなところだと気をつけているのですが…。 >孤独でも孤独でなくてもいいのではないですか。 >哲学や信仰、そして思想も無用でしょうね。 >そして“傍ら”とか、“携える”とか、どうも私には奇妙です。 >孤独が恐ろしいですか? >孤独を嫌悪しますか? >この表現には論理が通っていませんか? はい、krya様の表現は論理が通っていると思います。 そしてわたくしは孤独が恐ろしくもなく独りでいることが苦ではありません。 ましてや嫌悪などするしないの問題ではなく、いつかは孤独に生きることになるのだと思えば極めて自然なことのように思われます。 「孤独」を申し上げたのは哲学カテでこの言葉を良く目にするから、ただそれだけで深い意味はありませんでした。 数か月前まで哲学カテの門外漢だったわたくしは、かつてサブゼミで扱った書をこちらのサイトを介して再び手に致しました。 そして新たに、といいますかこの歳にしてようやく「書を読み物を考えることの楽しさ、他人の考えの面白さ」をちょっぴり味わったかのように感じたのです。 但し「書を読むこと」「自ら考えること」「自らに生かすこと」各々当然別物と弁えておりますし、今後はどのようにそれらとつきあっていったらよいかと、ゆるゆると模索している状態なのです。 親の都合で否応なく渡仏したり、家族最優先であったりと、とにかく万事につけ必要に迫られて身を処遇してきた受け身の姿勢から徐々に本来の自律した生き方に変化してきているのかもしれません。 深刻に考えずに気分転換をして生活を楽しむことに関しては自分でもかなりの自信がある楽天家ですが、殊に思索することに関しては、いつもと勝手が違ってとまどっている状況です。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.18 mashumaro2さん、おしゃべりの対面コーナーにならない事に留意し、多少敷衍をお許しください。 1)昨今の政治的混迷:伝説でしょうか、鼓腹撃壌の尭舜時代はともかく、政治的混迷のなかった時代は古今東西にないものだという思いにおります。 かの、天皇制と富国強兵を第一の国是としての軍事国家時代、価値観が一定していたかのようですが、必ずしも多様な価値観がなかったわけではないと存じます。 そして日々営々と呼吸している庶民とは異なる世界の権力上部では、工夫と試行という表とともに、腐敗と逸脱は、他の時代同様に付きものであったことを知るべきです。 私も46年にわたり、権力の関係する大学にいて、些細ではあるがそれなりに墓場に持っていくことにも関ってきており、そんなことよりももっと大きなスケールでのことが、どの時代にもあったことを念頭に置くべきです。 かの女性局長が関ったとされ、且つ、所管団体への激励督励の話、下山、三鷹等々、ちょいと一部の氷山の頭が水面に出たくらいでしょう。 日本での革新政権はいざしらず、およそ古今東西どこの権力機構においてもこれは宿命でしょう。 2)急激な「政体改変」:伝説かとも存じますが、せごどんの薩摩、下村湖人の肥前は親しみを感じております。しかし、薩長土肥という藩閥政権がその後の近代日本の今日までの在り方を規定してきている事は功罪ともありますね。 幸運にも列強他国の介入を避ける事は出来ましたが、これは薩長土肥藩閥の功績ではないと存じます。 慶喜や安房守も、無論下野した隆盛も快く参画できる体制であったとすれば、特高や治安維持法も無用であったかもしれません。 何時の時代も、どこの国も、草創の英雄が去った後、継受の優秀な維持勢力が、波乱に対処するときの、大事なところでの選択を誤っております。 民族大移動、十字軍、大航海から世界分割の軍靴で踏みにじる西欧列強との関わり方も或いは大きくかわったであろうと存じます。 急激な政体変化での犠牲もことばでは数言ですが、多岐に亘り、根の深いものであったと存じます。 3)捏造、真相の洞察:高等教育機関での知の伝達と訓練だけでなく、自己をどう真剣に生きるか、関っていることにどう主体性を確立するかは、嘘とほんとをみる力を与えてくれると存じます。 のんべんだらりはどちらにしろ、いけませんね。 4)人の手:意識を通さないなにものもありえないのですね。 5)ご家族のこと:お立場ではそうですね。仰せのご表現中に、多少文句を付けたく存じることもありますが、マシュマロさんはえらい方だと存じております。 長くなりすみませんでした。 ご家族様、皆様のご健康と平安を祈ります。
お礼
krya1998様、重ねてのご教授に心より感謝申し上げます。 20年以上も前、わたくしは国際法のゼミに参加した非常に出来の悪い学生でした。 この度はkrya様から数々の含蓄深いご助言並びに励ましのお言葉を頂きまして気恥しくも嬉しく思います。 表現に神経を使う微妙な話題ですが、であるからこそ、この機会を生かしてもう少々、krya様の忌憚のないお考えを賜りたくよろしくお願いします。 その前に一つお願いがございます。 わたくしはmmky様から「官僚的ゴミ回答」と絶妙かつ的を射たコメントを頂いて心底気に入って自戒しております。 krya様からも「多数のご指摘」を頂戴出来たらと切に願っております。 (わたくしがgooに参加する理由の一つなのです) >かの、天皇制と富国強兵を第一の国是としての軍事国家時代、価値観が一定していたかのようですが、必ずしも多様な価値観がなかったわけではないと存じます。 はい、わたくしもそのように推察致します。 「特高」「治安維持法」「開戦」に駆り立てていったものとは一体何だったのでしょうか。 これらを回避するべく尽力した人々の存在も含めて考えてしまいます。 「権力上部では、工夫と試行という表とともに、腐敗と逸脱は、他の時代同様に付きものであった」のお言葉は早速心得させて頂きます。 崇高な職務理念とは裏腹に、やはり権力に腐敗と逸脱はつきものなのでしょうか。 それとも自分の信条的に善かれと成すことが、誰かの不利益になり下がる恐れがあるとでも言うべきでしょうか。 >もっと大きなスケールでのことが、どの時代にもあったことを念頭に置くべきです。 仰る通りと思います。 わたくしは就学前に浅間山荘事件の中継を見た世代です。 激しい闘争、武力衝突の雰囲気を直接経験しておりません。 ですから上の世代の方々よりも、どうしても政治意識・認識、共に希薄が甘くなるのだと思います。 2年前に韓国を訪れた際に米系ホテルに宿泊していたところ、ホテルの玄関外で対米FTA交渉に対する抗議デモが繰り広げられていてその緊迫感に圧倒されたことがあります。 その後帰国後焼身自殺者まで出たと聞き及び驚愕しました。 かの国は一昔前まで戒厳令が敷かれ渡航も制限されておりましたし、中国の現状は言わずもがなです。 改めて昨今の日本は両国に比べて安穏と平和を享受している(きた)と思います(補足へ続きます)。
補足
(続きます) ですが、今の日本の「平和」は自立国としての、本来の自律性に因るものではありません。 「日米安保」「自衛隊と9条」といった日本の自律性を欠く現状。 これこそが「昨今の政治的な膠着状態」の元凶だと考えておりまして、その意味において「政治的混迷」と形容した次第です。 例えば三島事件。 彼は自らの死にゆく命題を探していたのでしょう。 「盾の会」を通じて「右翼化」に活路を見出し事件を決行しました。 その行動は無茶苦茶で甚だ時代錯誤です。 彼の最期は国内外において相当奇異に映ったと容易に察せられます。 ですが、昨今の日本の閉塞感を鑑みても、一体誰が彼を笑えましょう。 ある意味において、彼はあの敗戦をも含めた激動の時代を、欧米列強に対するコンプレックスと憧憬のジレンマを抱えながら、必死に対峙する姿勢を示したとも少しは言えるのではないでしょうか。 そして今の日本の「平和」の状態に甘んじているうちは、日本の政局も「事なかれ主義」で誰が首をすげ替えても大差がなく、彼の亡霊も成仏出来ないように思われるのです。 以上は右翼でもなく戦争すら知らない厚顔無恥な一介の主婦の戯言に過ぎません。 ご批判を御受けしたいと思います。 大変失礼致しました。 >日本での革新政権はいざしらず、およそ古今東西どこの権力機構においてもこれは宿命でしょう。 もし仮に日本の革新政権がもし誕生したならば、腐敗と逸脱は少しは減るとお考えでしょうか。 >薩長土肥という藩閥政権がその後の近代日本の今日までの在り方を規定してきている事は功罪ともありますね。 はい、大変世知辛いことだったのですね。 その「功罪」とは、政体改変に伴う「枝打ち」のような意味合いでしょうか。 それともこちらにつきましても、強力な指導力が求められる以上はやはり致し方ないことなのでしょうか。 >民族大移動、十字軍、大航海から世界分割の軍靴で踏みにじる西欧列強との関わり方も或いは大きくかわったであろうと存じます。 そうですね、数百年に渡る鎖国状態だった極東の小さな島国が、ロクな外交ノウハウの蓄積もないままに西欧列強に屈しなかった事実はまさに驚嘆に値します。 >自己をどう真剣に生きるか、関っていることにどう主体性を確立するかは、嘘とほんとをみる力を与えてくれると存じます。 自己をどう真剣に生きるか、主体性をどう確立するか、という点につき哲学や信仰が絡んでくるということでしょうか。 先に家族を理由に自らの姿勢の言い訳を申し上げましたが、やはり家族云々ではなく、個人の生き方としてそれらが求められてしかるべきのように徐々に思えてきました。 必ずしも自らを孤独の境地に追い込まなくとも、哲学や信仰は傍らに携えていけるものでしょうか。 以上の拙文につきまして、ご一笑下さると共に忌憚のないご教授ご指摘をよろしくお願い申し上げます。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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mashumaro2さん、 拙文へのご丁寧なご対応に感謝いたします。 【私は日本の文化や日本語の言葉につき「誇り」を持っております。 もちろん諸国のそれらをも尊び各々良さがあるのだろうという姿勢ではおりますが、負けず劣らずそれ以上に固有の素晴らしさがあると確信しているのです。】 ◎投稿者:短文のため、多少ぎこちなさが感じられますが、私も同じように感じ、且つ、民族と文化の中に人間として通底するものも同時に感じております。この日本を離れたのは、数月前、初めて飛行機で中華民国に義兄の分骨にいっただけですが。 【先週舅姑を連れて三世代で旅行をしたのですが、色々と考えさせられました。例えば「もったいない」という言葉。】 ◎投稿者:米一粒、お百姓が汗水たらし、天地の恩恵でなったもの。一滴の水も東洋人としての日本人には大事にするように生活でしつけられて来ましたね。 【80歳近く少女期を戦争中に過ごしているせいか、】 ◎投稿者:間に逝った兄を挟んで、姉が81歳ですし、若い姪のお世代だと存じます。甥がもう57歳ですからね。思想やことば、観念は困難はあっても伝承できましょうが、心や気持ちはの伝承はもっと難しいことです。46年小さな大学にいましたが、私自身も先輩の気持ちを受け継ぐのは充分ではなく、今古巣にいっても、他国みたいです。 【日本語は欧米言語等と相対比較しますと、曖昧で多義性に富み、発し手以上に受け手に対し、より感受性豊かな印象を与えるのだと思います。】 ◎投稿者:法律専攻で、長くかかわり、思想や文学に子どもの頃から生活の中心でしたので、言葉にはとりわけ、関心があります。仰せの分析とご所感には更に思いを以って考えて生きたいと存じます。ありがとう御座います。 【「大東亜戦争」という呼称を「戦後とある意図のもとに」うやむやにするのは、当該戦争の勝敗や是非とは別に、当時の各々の筆舌尽くしがたい「想い」までをも否定するかのように思えてしまい、嫌悪を感じます。】 ◎投稿者:お若いマシュマロさんから、私の思いと同じ思いと言葉を承り、思索の深さと思想生活の高さを感じます。 【勝てば官軍負ければ賊軍、日本は「負けた」のだと素直に認めております。かといって、大江氏の北朝鮮に対する低姿勢に対しては懐疑的です。】 ◎投稿者:仰せのとおりです。戦後は終わったといわれる今、代々水戸徳川のものということでもないのですが、やはり薩長土肥という方式がお江戸と日本を変改した事に、或る面では憤り(いきどおり)を持続しております。 【いわゆる敗戦後の視点からすると、そして現在の実証主義的見地をストイックに究めていくと、敗戦前の歴史教科書は「捏造」と言えるのではないでしょうか。】 ◎投稿者:何か隣国の南北の国や中国の歴史構想に二重になりますね。 【但し、当時の国民がおかれていた境遇に想いを馳せるならば、krya様のおっしゃるところの「個人の回想っていうのも、一番よく知っている人が表すのでしょうが、捏造ではないにしても、何か触りたくないですね。」に素直に共感致します。】 ◎投稿者:はぃ。人間を離れることができないのですが、人間のいやなところでしょうか。 【世の多義性に対し、わたくしはそれを知れば知るほど、畏怖の念を痛烈に感じてなりません。若かりし頃の方がもっと尊大で自己主張が強かったように思われます。今は何が真理で何が…と全てを突き詰めていきますと、結局は定義などない、ここに行きつくのですし、他への同調同化というより他との共存、尊い感謝する気持ちに辿りつくのです。】 ◎投稿者:そういうことになりますか。ことばでの表現では私とは少し違うように受け取れますが、実際の内容としては共通のこともあるかもしれません。私はインド的な一つの思想を信仰する人生を生きることで、この問題を乗り越えようとしています。 【それは決して相対的な世界の中に自分を埋没させているわけではないのです。ですが、他の人からみたら、随分と内なる自身、心の「核」が小さいなあ、と映るかもしれないことも十分承知致しております。】 ◎投稿者:埋没にはなりませんでしょう。普遍性の中での多と個の確認がされていかないでしょうか。人生や宇宙には大小は全く問題に為りませんね。ありがとう御座いました。
お礼
krya1998様、身勝手な我儘に快くご回答下さりましてありがとうございます。 >米一粒、お百姓が汗水たらし、天地の恩恵でなったもの。一滴の水も東洋人としての日本人には大事にするように生活でしつけられて来ましたね。 仰ることの意味合いはとても大切だと感じ入ります。 特に「お百姓が汗水たらし、天地の恩恵」に「自らが恵まれている事を悟り他者や自然に対する【感謝の気持ち】」が込められているようです。 「いただきます」「行ってまいります」等、当たり前な日常の感謝や礼節の習慣は日本人の美徳であり、未来へ受け継がれるべきものと思われます。 >心や気持ちはの伝承はもっと難しいことです。 全くその通りです。 奇跡的な復興に尽力された年配の方々の複雑な想いは如何ばかりでしょう。 経済復興を為し得たからすごろくゲームの「あがり」ではないと思われます。 「受け継ぐ世代」の身で恐縮ですが、今の政治の混迷ぶり一つにしても、未来の世代への土産をどこかに置き忘れてきているように思われます。 >薩長土肥という方式がお江戸と日本を変改した事に、或る面では憤りを持続しております。 >何か隣国の南北の国や中国の歴史構想に二重になりますね。 急激な「政体改変」には相当無理な負荷や犠牲を強いるものなのでしょうか。 歴史構想につきましては、程度問題はあるにせよ、古今東西変わらず「知の格差」が潜んでいるように察せられるのです。 高等教育機関に進むにつれ「真相」「捏造」への一考に際してのヒントがより得られ易くなるのではないでしょうか。 歴史に関わらず如何なる情報も人の手を通す以上、何らかの主観の介入は必然で、自助努力こそ肝心と思われます。 >人間を離れることができないのですが、人間のいやなところでしょうか。 >インド的な一つの思想を信仰する人生を生きることで、この問題を乗り越えようとしています。 いえ、科学、信仰、歴史、哲学、芸術等々、いずれをとってみても人間を離れることなど決してあり得ないのではないでしょうか。 自らの信仰に関しましては、家族親戚中心の生活で家族の健康と平安を願うことが至上命題となっており、自らを顧みるのが後手に回っている未熟者です。 いつかはkrya様を始め皆様方のように信仰を見出せるように願っております。 今後ともご教示頂けましたら嬉しいです。 こちらこそありがとうございました。
変換ミス、失礼しました。 語源といえば、日本語の語源よくわかっていないようですね。どの語族にも属さないらしいです。日本人について、よくわかっていないのは、縄文期に白色人種がすんでいたり、古代にギリシャ人、ローマ人、ペルシャ人がたくさんやってきたという話も有りますし、各地の伝承や言葉の発音に名残があるようです。 こういう風に見ても面白いですね、話がずれましたが、 明石書店 シリーズ名:世界の歴史教科書シリーズ を読むと、他の国の視点で、わが国見ることができるので、一読を進めます。
お礼
ismath様、重ねてのご回答を本当にありがとうございます。 そして、こちらこそ申し訳ありませんでした。 決してismath様の変換をあげつらう意図は微塵もなく、純粋に漢字文化におけるタイピングの誤変換の「妙な面白さ」に気づかされただけでした。 この誤変換もまた別の日時であったなら、気にも留めずやり過ごして済んだかもしれません。 不思議です。 そして何より、ismath様がわたくしの驚きを受け止めて下さったからこそ「世界の歴史教科書シリーズ」を御紹介頂けたのですから、何とラッキーなことでしょう! そうですね、他国の視点で我が国の歴史を顧みるというのはとても興味があります。 でも率直に言って少し気分が乗らない、でも怖いもの見たさ、といった複雑な心境です。 ちなみにわたくしは韓国人男子生徒から「日本がしたことと君の先祖が僕たちにしたことについてどう責任を感じているのか。」と問われて「は?」と仰天したことがあります。 だって、いきなり初対面でこれでしたから。 今から20年以上も前の話、韓流ブームなどの文化交流に乏しかった時代のことです。 で、たまたま父方の祖父は役人、母方の祖父は近所を代表して近衛として皇居へ馳せ参じたと聞いておりましてその旨をざっと拙いなりにも伝えたところ、逆に「戦地に赴いて戦っていないのなら戦犯じゃないか!最低だ!」と罵られてしまい、その場に遭遇していた友人達ドイツ人、フランス人女生徒に「まあまあ」と仲裁に入ってもらった何とも嫌な記憶が残っているのです。 たまたまその男の子がへんてこりんだったのかもしれません。でも今思うと、その当時の対日意識としては、まんざら主流だったのかもしれません。 これももしかするとかの地の教科書が影響していたのかもしれません?!
補足
なるほど、日本語の語源もいまだ定かではなく、遥か西方から異人達が来訪していた可能性があるのですね。 とても面白いと思います。 シルクロードを辿ったのでしょうかね。 また、松本清張氏の「砂の器」などにおける出雲弁も周囲の方言とは一風変わっていたと記憶しております。 どうだったかしら。 そうそう「あるわけ無いところに無理やり建てた歴史的建造物」の存在を御存知でしたか。 「西の正倉院」と言います。 今思い出しました。 http://www.kanko-miyazaki.jp/unit/kaido_09/page03.html 主人の親戚が宮崎県に住んでいるので近くをドライブすることがあるのですが、風光明媚ながら大変山里深い場所のようで、まだわたくしも訪れたことがありません。 サイトによると村おこしのために奈良の正倉院を収蔵品ごとそっくり模造してしまったというから、驚き以外の何物でもありません。 だって、いかに百済にゆかりがあるらしい土地柄とは言え。 「100%あるわけない場所」にそのような「あるわけがない建物と収蔵品のレプリカをまるごと模造する」というのは、一体どうなのでしょうね。 う~ん…。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
ご回答もほぼ出揃いましたのでしょうか。 歴史の実証性、歴史の認識って難しいですね。 あえて大東亜戦争の敗戦と呼称する頑固でいますが、敗戦前の歴史の教科書って、事実がどうのでなく、観方や構成、紡ぎとして捏造でしょうか。 記紀はどこかに典拠があるという話もよく聞くし、多くの国津の神話、伝説、語りが抹殺されたということも聞きますね。 史の官が死を賭して、職を尽くしたという、よその国の国史はどうなのでしょうか? 書紀はみことのりの後、事情を知る方々がもういなくなった後に差し出されたのですか、そして発表されたのですか? 全部が捏造ではないでしょうけれども、何か意図と疑惑を感じますが。 具体的個別の話ではなく申し訳ないですね。 個人の回想っていうのも、一番よく知っている人が表すのでしょうが、捏造ではないにしても、何か触りたくないですね。 歴史書はどこまでが本当に歴史なのか。 それははないのでしょうね。 何が人生か、神とは、信仰とは。この定義もないのと同じに、一定の意図のもとで形成し、紡ぎ、捏造するのが歴史なんでしょうか?
お礼
krya1998様、ご回答をありがとうございます。 仰る通り、歴史の実証性、歴史認識は難しいと痛感致します。 実は、この質問をたてた後、krya様の「偽史」というご質問に気づきました。 まさに漠然と胸の内に抱いていた事柄でしたので、有り難く大変参考にさせて頂きました。 >あえて大東亜戦争の敗戦と呼称する頑固 krya様のお言葉を受け、昭和40年代生まれで40代前半の一主婦として、大変僭越ながら私見を率直に述べさせていただきます。 当時日本が「大東亜戦争」と称していたのであれば、その戦争の性質や他国の助言などの外的要因によって、「大東亜戦争」という呼称を曖昧にしたり変更することは大変意味のないことだと思います。 和気清麻呂が別部穢麻呂と改名を賜った時のように名を変えて禊をする文化は日本独特なのかもしれません。 ですが、本質的にはこれはむしろ逆効果だと考えます。 私は日本の文化や日本語の言葉につき「誇り」を持っております。 もちろん諸国のそれらをも尊び各々良さがあるのだろうという姿勢ではおりますが、負けず劣らずそれ以上に固有の素晴らしさがあると確信しているのです。 先週舅姑を連れて三世代で旅行をしたのですが、色々と考えさせられました。 例えば「もったいない」という言葉。 わたくしなどは昨今主流の「ECO」という資源的、地球環境的意味合いでもって子供たちを諭します。 ですが姑は晩婚で80歳近く少女期を戦争中に過ごしているせいか、どうもその辛い体験を通して「もったいない」と諭しているように感じたのです。 そしてこの「感覚」は後世に伝えていく必要があるのではないか、とも。 日本語は欧米言語等と相対比較しますと、曖昧で多義性に富み、発し手以上に受け手に対し、より感受性豊かな印象を与えるのだと思います。 そして当時の国民が共有したであろう「大東亜戦争」という呼称を「戦後とある意図のもとに」うやむやにするのは、当該戦争の勝敗や是非とは別に、 当時の各々の筆舌尽くしがたい「想い」までをも否定するかのように思えてしまい、嫌悪を感じます。 ましてや日本人としてあえて自国を貶めるような戦争呼称をつけることなど容認出来ないのです。 そして戦争には勝敗がつきものであり、勝てば官軍負ければ賊軍、日本は「負けた」のだと素直に認めております。 かといって、大江氏の北朝鮮に対する低姿勢に対しては懐疑的です。
補足
続きです。 >敗戦前の歴史の教科書って、事実がどうのでなく、観方や構成、紡ぎとして捏造でしょうか。 いわゆる敗戦後の視点からすると、そして現在の実証主義的見地をストイックに究めていくと、敗戦前の歴史教科書は「捏造」と言えるのではないでしょうか。 但し、当時の国民がおかれていた境遇に想いを馳せるならば、krya様のおっしゃるところの「個人の回想っていうのも、一番よく知っている人が表すのでしょうが、捏造ではないにしても、何か触りたくないですね。」に素直に共感致します。 >歴史書はどこまでが本当に歴史なのか。 >それははないのでしょうね。 >何が人生か、神とは、信仰とは。この定義もないのと同じに、一定の意図のもとで形成し、紡ぎ、捏造するのが歴史なんでしょうか? はい、そのように考えます。 世の多義性に対し、わたくしはそれを知れば知るほど、畏怖の念を痛烈に感じてなりません。 若かりし頃の方がもっと尊大で自己主張が強かったように思われます。 今は何が真理で何が…と全てを突き詰めていきますと、結局は定義などない、ここに行きつくのですし、他への同調同化というより他との共存、尊い感謝する気持ちに辿りつくのです。 それは決して相対的な世界の中に自分を埋没させているわけではないのです。 ですが、他の人からみたら、随分と内なる自身、心の「核」が小さいなあ、と映るかもしれないことも十分承知致しております。 自ら拙い表現しか出来ずに歯がゆい思いでおります。 何か御教示いただけましたら嬉しいです。
大変失礼しました。間違い、 挑戦→朝鮮です。
お礼
僭越ながら、変換ミスとはいえ、なかなか面白い誤変換だと思いました。 「挑戦」「朝鮮」という組み合わせの同音異義語など、日頃はとても思いもつきませんから。 「挑戦する朝鮮」って何なんでしょう? なんて。 wikiで恐縮なのですが、あらためて「歴史」という言葉の意味について調べてみました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2 「歴史」と「history」の語源の差が歴然としております。 「史」は古代中国皇位の正当性を意味し、我が国では明治時代に"history" の訳語として「歴史」という造語が生まれ、 かたや「history」は、古典ギリシア語で「探求して学んだこと、知り得たこと」を意味する語彙に由来し戦争の記述史料を意図したもので、 のちに人間の創造以前を扱う自然史と人類史へ枝分かれしていったとのこと。 随分と洋の東西で意味合いが随分異なるのですね。 面白いと思います。 結局、人類の文明の発展、そして各々の文化の差を形成するのは「言葉」なのでしょうか?
失礼しました 宗氏であって書き間違えました。 家光の時代になって、柳川氏は主家から独立したかったそうです(旗本になりたかった)。柳川氏は相当朝鮮との貿易を牛耳っていた様です。それに危機感覚えた他の家臣が幕府へ訴えますと、柳川氏も逆に往時の主家が、国書偽装をしたことを訴え返しました。 柳川氏は国書改ざんに深くかかわっていた、一説によればやりたくなかった(誰もいない国書がおいてある部屋へ、忍び込んで、摩り替える役目をやらされた。ばれれば殺されるではすまない。気が気ではなかった)。 これを逆に訴え返したのが柳川一件という出来事です。家光が宗氏を許して、逆に柳川調興を島流しにしたのは、柳川氏を朝鮮との交易から遠座ける為と見るのが正しいと思います。事実その後幕府は宗氏と挑戦との交易に深く介入するだけでなく、他の海外貿易制度をさらに磐石なものに作り変えました。
お礼
ismath様、重ねてのご回答に感謝申し上げます。 「柳川一件」ですか。 国書改竄に絡んだ対立の末、ついに大一番が江戸城大広間にて繰り広げられたのですね。 全く知りませんでした。 ありがとうございます。 時の将軍を前にしての宗氏と柳川氏との直接口頭陳述。 さぞかし傍観者側の大名たちには見ごたえがあったことでしょう。 ismath様がおっしゃる「柳川氏を朝鮮との交易から遠座ける為と見るのが正しいと思います。」に加えまして、 下剋上的概念を全否定するために柳川調興を流した可能性も否めないと思いました。 通常、国書・親書改竄というものは秘密裏に行われるでしょうから、外部の人間には推し測ることすら非常に困難ですよね。 「国益擁護」という名のもと、確実にある特定の人の利害権益に絡んでいることには、古今東西、何ら変わりがないのでしょうけれど。
- yumi698
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有名なところでは東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)があります。東北の古代王朝を記した古書で、旧家の屋根裏から落ちてきて発見されたとされていましたが、旧家事態がそれほど古い建物でなかったり、近代になって知られた天文に対する記述があったりという偽書でした。歴史家の古田武彦氏がこれを真書と支持したことも混乱を招いた原因だったようです。
お礼
yumi698様、ご回答をありがとうございます。 「東日流外三群誌」という偽書。 数年前に寝台特急カシオペアに家族で乗車しましたが、夜更けに青森駅で停車した際「ああ、あの十三湊の近くをたったいま、通ってきたのだなあ…」と感慨にふけったことを思い出しました(つまり寝てた)。 安東氏だったでしょうか、有力な地方豪族のもと、アイヌのみならず大陸諸国との貿易で潤っていた幻の港ですよね。 或いは遥か遠い国々との交易が偲ばれるかもしれません。 今の「裏日本」と蔑称されうる日本海側の地域が逆に日本の「表玄関」であったことの一例としてロマンを大いにかきたてられます。 偽書作成により世間を騒がせることは決して褒められたことではありませんし、かえって当該地方史が被る損害、風評被害を想像すると、本当に困るどころの話ではないでしょう。 これを真書として支持した歴史家もいたのですね。 「無いところにある(あった)ものを見出したい」と願う心情、殊に郷土愛もあまりに度が過ぎてしまうと、社会通念上の道徳、倫理観のタガが外れて暴走してしまうものなのでしょうか。
補足
失礼致しました。 ×「東日流外三群誌」 ○「東日流外三郡誌」 「捏造」ならぬ「誤字脱字」は、どうしたら治るのでしょうか(涙)
- k16399638
- ベストアンサー率33% (342/1035)
ちょっとズレてますが、明るいお笑いネタを。 偽エチオピア皇帝事件。 1910年、英国の学生数人が勝手にエチオピア皇帝とその一行と称し、英国海軍当局は当時最新の戦艦ドレッドノートで公式に接待する、という事態となりました。さらに海軍はエチオピア国歌と間違えて、ザンジバルかどこかの国歌を吹奏したのですが「皇帝」たちもわからないまま、この接待は終了。 後日ロンドンで学生一行は全部ネタバレをしてしまい、海軍は大恥をかきます。この学生の一行に、のちに高名な作家となる、ヴァージニア・ウルフがおりました。イタズラもここまでやればアッパレの、代表みたいな一例です。 ですが、英国がこのように「エチオピア皇帝」を遇した背景に、当時唯一アフリカで植民地になっていなかったのがエチオピア、という背景があります。それを考えてやったのでしょう。
お礼
k16399638様、ご回答をありがとうございます。 「偽エチオピア皇帝事件」ですか。何とも痛快なイタズラですね。 当の学生一行は何のお咎めもなかったというわけですか。さすが! で、wikiの写真を凝視したのですが、ヴァージニア・ウルフらしき人物が見当たりません。 さすがに男装…ではなくて、女性の随行員として一行に加わった形だったのでしょうか。 ”英国がこのように「エチオピア皇帝」を遇した背景に、当時唯一アフリカで植民地になっていなかった”というのは、やはりエチオピアの長い栄光の歴史の賜物でしょうか。 今なおロンドン市内中心部では数多くの旧植民地系の人々を見かけますし、インド料理をはじめ様々なエスニック料理店が点在します。 馬鹿に高い回転寿司屋に入るよりもレバノン料理店に入るほうがマシのようにも思われます。 この感覚、日本にいては味わえません。 エチオピアの歴史も奥が深そうですね。 「ラリベラの岩窟教会群 」なんて、なんじゃこりゃ?!という感じ(おまけに岸壁すれすれで立ってる人もいるし)。 日本だとすぐに防護壁や柵で周囲を囲んでしまいそうな。 捏造、詐称という言葉からは、つい綿密性、計画性を想起してしまいがちです。 しかし「行動の持つ意味の重大さ」の割には、やってる事そのものが学生のノリというかおまぬけで、そこが余計にたまりません(笑)
お礼
krya1998様、重ねてのご回答を本当にありがとうございます。 >真実に生きるから真偽の判断ができるのだということです。 >真偽を見分ける、批判力と眼光の涵養はまともに、正気でいきていくことによりなされる。 >ということについてのご認識がご経験になっておられますか? とても「わたくしは真実に生きている、正気で生きている」とは公言憚られますが、いつもわたくしなりに実直に真っ直ぐに生きているのだと思います。 といいますか、それくらいしか何も成しえません。 それでも他人様から見たら、わたくしは真っ直ぐどころか曲がっているのかもしれませんが…。 krya1998様の仰ること、良くわかります。 大切に受け止めさせていただきますね。 親身なご教示、痛み入ります。