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柳田国男全集の中に「ありがとう」の語源を書いた1節を知りませんか。

柳田国男全集の中に「ありがとう」の語源を書いた1節を知りませんか。 昔、柳田国男の全集を読んだとき「ありがとう」の語源を考察した章を読んだ記憶があります。 「ありがとう」は神様にお願いしたことがかなえられた時、ありえないことが起こったと思ったことに「ありがとう」の由来がある可能性がある、という主旨の内容でした。 図書館からその本を借りたいのですが本名と巻またはその章の題名がわからないと借り出せないので困っています。どなたかご存知の方はいませんか。 

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noname#122292
noname#122292
回答No.1

『毎日の言葉』のなかの一節ですね。 『柳田國男全集』のばあいは何巻に収録されているのかわかりませんが、 手持ちの『定本 柳田國男集』では第十九巻に収録されています。 この定本の後に全集が出版されたので、たぶん構成も同じだろうと 思うのですが一度確認してみてください。 一部引用しておきます。 ーーーー 日本人は案外のんきに、たとへば禮といふやうな大切な言葉でも、二つの殆ど別な意味に、 使って居るやうなことがありました。(略)アリガタイといふ言葉などもその一例で、 一方には神仏を尊む場合にも、アリガタイと謂って居りながら、他の一方には毎日の小さな事にも、 女は殊にアリガタウを連発して居ります。双方とも感謝を表すのだから、差支へ無いじやないかと いふかも知れませんが、それでは神様の方へ少し失禮になるのであります。(略) 最初は言葉通り有り得ないもの、有るのがふしぎなものといふ意味で、人間わざを越えた神の御徳御力を讃へてさう言って居たのが、いつから叉人と人との間の御禮の言葉になったものか、 少なくとも後の方は中世以前の記録には無いやうです。 多分は神仏に對して、しきりにこの言葉を口にした時代を通って、何でも嬉しい時には 毎にさう謂ったのが、後々之を御禮の言葉に使ふやうになった起こりだらうと思ひます。                             筑摩書房刊『定本柳田國男集』十九巻402pより

mo6644
質問者

お礼

早速にご丁寧な回答ありがとうございました。 よほどの柳田国男のファンなのですね。 おかげで図書館にて柳田国男全集と「毎日の言葉」を頼りに「ありがとう」を見つけることができました。

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