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チェ・ゲバラはなぜ革命をしたの?
チェ・ゲバラはなぜ革命をしたの? チェ・ゲバラを調べているのですが、なぜ革命したのか(なにが気に入らなかったのか、なにを助けたかったのか)がよくわかりません。 どうかおしえてください。 できれば今日中におねがいします
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1951年、グアテマラでアルベンス(前政権の国防相)が大統領になり、農地改革進める。1953年ユナイテッドフルーツ社の土地国有化すると米国はCIA使い、ホンジュラスから反革命軍侵攻させ首都制圧、大統領は辞任する。土地は返還された。 このときチェゲバラはラテンアメリカの革命は武力闘争しかないと気付く。 ゲバラはアルゼンチン人で妻子はメキシコにいた。1956年妻子残しカストロらとキューバに上陸、政府軍に待ち伏せされ散々だったが、反政府勢力と合流、1959年バティスタ独裁政権倒しキューバ革命。このときは社会主義ではない。 1961年、ケネディ政権がCIA使い傭兵部隊でキューバ侵攻、カストロやゲバラはこれを撃退する。カストロが社会主義革命いい始めるのはこのあとです。 当時のソ連は度量狭かったのでゲバラが社会主義批判するとキューバへの支援打ち切り示唆する。察知したゲバラは1965年国防相辞任し、キューバ出る。共産党大会でカストロが「別れの手紙」公開する。 ゲバラはCIAに支援されたモブツがクーデタ起こしたコンゴに行き、現地の革命勢力に軍事指揮権渡せば協力してやると持ちかけ、当然にも断られ翌年キューバに逃げ帰る。コンゴ現地勢力の士気に嫌気さしたとウソついたが(^^) ローランカビラは1967年、山岳地帯で人民革命党結成し武装闘争開始して勢力広げていく。中華人民共和国の支持受け1997年、32年続いたモブツ政権打倒し、初代大統領になる。 当時のソ連ゲバラの構想ではコンゴ(隣国ウガンダからフツ革命によりツチ族流入)、ルワンダ、ブルンジ解放から南アフリカ打倒まで展望。ゲバラはコンゴのウガンダ人(ツチ王制派)と組もうとした(旧ベルギー植民地だから一応植民地主義反対派反西欧派だが) フツとツチはのちルワンダ内戦する。経済実権握るツチ族と多数派で政治権力得たフツ族が争う。ツチ族は旧支配勢力で長身、軍事(移動)能力あったのでフツ族の土地の動物はツチのものと収奪。外国勢力の支援受け少数派が国奪おうとしたから大虐殺も当然に見えたが欧米の介在で停戦、フツ族は奴隷状態になる(戦争犯罪とされた人はツチの下で無償労働させられる。NHKテレビでも家族殺され家壊されたといい住宅再建受けるツチの女がフツ人を2年も働かせていた) コンゴのあとゲバラはチェコスロバキア情報機関の手配でドイツ人の愛人(ドイツ情報機関のスパイ)とチェコスロバキアの保養地でぜんそくの療養する。このときソ連型社会主義に絶望し「失敗」とみなした。 ボリビアに行ったのは南米の中心地だから。ボリビアからアルゼンチン、パラグアイ、ペルー、ブラジル、チリで革命起こすためだった。当時のボリビアは軍事政権だったが、ボリビア共産党はゲバラに協力せず、ボリビア革命で土地得た農民はそれ以上望まずゲバラ支持しなかった。わずかに鉱山労働者が共鳴示したが政府軍は虐殺で応じ、ゲバラの支持者いなくなった。CIAの支援受ける政府軍はもとナチス親衛隊幹部を顧問にし体制整えた。 1967年ゲバラ死亡。はじめ現地軍(特殊部隊)はゲバラ知らず殺害とされたが、捕らえたあとゲバラ殺せとCIAから指示されていたことがわかる。 ゲバラの記憶も甘く遠ざかる記憶になったので1997年、キューバとボリビアは共同で捜索、遺骨見つけ、30年ぶりにキューバにいる遺族のもとに返された。 石油があるベネズエラではチャベスが大統領になり、特権層ではなく広く貧困層に石油収入の恩恵分けたので絶大な支持得る。農場主の土地は農民に分配した。米国は「世界最悪の独裁者」呼ばわりするが、チャベスも負けていません。ブッシュは「悪魔の象徴」といい、公然とキューバ支持し、イランロシア中華人民共和国と友好深め、北朝鮮とも貿易する。 米国はキューバ政権に批判的です(敵対ともいえる) しかし経済危機、停滞でもでもキューバ政府は腐敗していると批判出来ない。キューバ国民が苦境でも政府支持するのは異常ともいえる「政府高官の潔癖さ」です。
お礼
ありがとうございます ただ文の文字が所々抜けているようにおもえて、若干わかりにくいところがあるのですが・・・