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エドガーケーシーは、新約聖書の愛読家でしたが、聖書に書いてあることはす

エドガーケーシーは、新約聖書の愛読家でしたが、聖書に書いてあることはすべて真実で正しいことばかりでしょうか。 聖書も所詮人間が編集したものだから、キリスト教徒みたいに盲目的に信じたり、鵜呑みにはできないと思うのですが。 もちろん、すばらしい教えなどもいっぱい載っているのですが。

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  • tomabc
  • ベストアンサー率11% (2/18)
回答No.2

聖書を疑ったので様々な宗派が出たのではないですか?人を殺してはならない、と書かれているのに戦争をする宗派の聖書は正しいとは思えません。他人を愛する「犠牲愛」が聖書の主題です。人間の道徳としてこのことに疑いは無いと思います。聖書の内容を何処まで知っているか、どう解釈するか、で聖書は変わると思います。

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その他の回答 (3)

  • rurubonpp
  • ベストアンサー率26% (128/488)
回答No.4

仏教もそうなのですが、残念ながら、時の指導者によって自分の都合よく変えられた箇所もあります。 その良い例が、黙示録です。また、外典になってしまったものもあります。 それでも、完全に創作経典を作ってしまった仏教よりはマシですね。 エドガー・ケイシーを知っているのならば、ケイシーがリーディングではっきり言っていると思います。

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

>エドガーケーシーは、新約聖書の愛読家でしたが ヒルデガルドという人が昔いて、彼女は幻視を何度も体験した。 神の降臨を見たとされる人。 私が大好きな人に、脳神経関係の専門家オリバー・サックスがいる。 他の人が見えないものが見えると言う人がいて、それ以外はまともだが一度見て欲しいといわれ訪問。 その人と話をして「シャルルボネ・症候群ですね」と診断。 その彼は神の降臨を見たというヒルデガルドの残した絵を見て「偏頭痛の前兆に起こる幻視ですね」と診断。 で、オリバーサックスやら、ラマチャンドランのファンな私は、エドガー・ケイシーが子どもの頃どんなに努力しても本がぜんぜん読めず、父親から激しく叱責されてもそれでも本を読むことが不可能だったという話を聞いて「ディスレクシアじゃね?」と思った。 失読症、脳の障害により文字を認識することができない。だから読めない。 父親は子どもがまさか脳の障害により本が読めないとは思わなかったと思う。 信仰を深くすれば、怠け癖も治ると思って、聖書を読め読め読め読めと強要したんだと思う。 でも無理、どんなに信仰を深くしたところで、障害が治るわけじゃあない。 それに新約聖書は奇跡物語が書いてあるわけじゃないと普通に読解力があればわかる。 ケイシーの父親も新約聖書は奇跡物語ではなく集団の方針が書いてあるとはわからなかったので、やはり脳に障害(精神遅延)があったんじゃないかと。 ということで、私はエドガー・ケイシーさんは発達障害を負った人だったという認識です。 文字が読めない人はアメリカに多くいるそうです。 教育を受けれなくて本が読めないのではなく、脳の発達障害で読めなくてドロップアウトしてしまう。 アメリカで1割と言われているので、日本も同じくらいのディスレクシアな人はいると思う。 子どもが他の子のように本を読んで知識を高めることができなくて、それで嘆いて宗教にすがる親も多いと思う。 ディスレクシアの人は普通の人の10倍時間をかけて1語を認識するそうです。 あの聖書の文字の多さ、、、ディスレクシアの人にとっては拷問。 それをやれと父親が強要したのだから、ケイシーは壮絶な幼少時代を送ったのだと思う。 信仰を深くしても障害が治るわけじゃない。 それに新約聖書は奇跡物語でもなんでもなく、集団の方針について書かれているもの。。。 それが障害があったために親子ともに理解できなかった。 ディスレクシアは遺伝も関係しているらしいので、父親も脳に障害があったので読めたと思うが、奇跡物語だと誤読してしまったんじゃないかと。 まあ それでも発達した文明の中で生きながらえることができたわけで。 エジソン・アインシュタイン・トムクルーズ・ロックフェラー・黒柳徹子、、、 みなさん障害がありながら、活躍した人達ですね。 つまり障害と幸福は相関関係が無いんじゃないかと。 運が大きく幸福に関係していると思う。 運が悪かろうとハッピー(満足)な人生は送れる、、、ということが聖書に書かれているわけで。

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  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3506/7251)
回答No.1

A) エドガーケーシーは、新約聖書の愛読家でした B) 聖書に書いてあることはすべて真実で正しいことばかりでしょうか 理屈をこねるなら、この A と B とは、別々の事柄だと思います。 また、エドガー・ケーシー 「にとって」 聖書は・・・ ということですね。 私は「聖書」は信者にとっての信仰の「よりどころ」であるのではないか、と考えます。 信者でない私にとっての「聖書」は文献に過ぎません。 X という事象があって、それが「事実」かどうかと問うことはできますが、それが「真実」であるかどうかは、それを「真実」であると「信じる」人にとっては「真実」なのだろうと思います。 > キリスト教徒みたいに盲目的に信じたり、鵜呑みにはできない それは常識的にそうだと思います。そうでなければクリスチャンですね。 > 聖書も所詮人間が編集したものだ これは鋭い指摘だと思います。 とかく忘れがちなことです。 けれど、その成立には成立するまでの歴史があり、それを必要とした人たちがいたということは事実でしょう。 また、「新約聖書」のパウロなどの書簡の場合、書いた人の名前まで出ていますから、明らかに「人」の書いたものですね。 現在の形になるまでには、さまざまな文書が存在したみたいで、ある時にそれらのばらばらな文書をまとめて「聖書」の形にまとめられました。 イエスを裏切ったことで有名なイスカリオテのユダの名前を冠した「ユダの福音書」というものまで存在したようです(近年になって偶然に発見されました)。 何事もそうでしょうが、信者でもない人が「鵜呑み」にするとしたら、それはそれで問題ではないかという気がします。

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