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1940,50年代のアメリカ黒人の職業(どのような職業に就いていたか)
1940,50年代のアメリカ黒人の職業(どのような職業に就いていたか)についての資料を探しています。レポートの参考文献として使用したいのですがなかなか良いものが見つかりません。 なにかよい文献をご存知の方、回答よろしくおねがいします。
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その頃だと二次大戦で従軍していた人が復員してきます。軍隊で手にしたスキルを活用する仕事につく人が増えました。 ・自動車整備工場(町工場) とくに、白人の工場でイヤな目にあったカラードの人を相手に商売します。 ・コックさん 下町の安いレストランや、路上のホットドック売る人が増えます。 ・そのまま軍人。このあと朝鮮、ベトナムとアメリカは戦争しますが、とくにベトナムで黒人兵士が増えます。マルコムXの言葉ですが、白人・黒人・カラードが戦場で生死をともにしたことによって、人種差別のハードルが一気に下がる現象がおきます。 ・変化球ですが、アメコミ業界というのは、いちばん最初に黒人・カラードが差別をうけなくなった業種です。アメコミは、線画を描くラインナー、色をぬるペインター、あの独特のフォントを書き込むポインターの分業制で、黒人・カラードがこのジャンルに進出しました。誰がやっても結果がでればよかったからです。 ・人がいやがる仕事。ゴミ収集、汚物処理、トイレ掃除、炭鉱などもそうです。 ・単純機械作業 流れ作業の工場ですね。北部で多かったパターンです。 例外的に、ハリウッドや、音楽業界で成功した人もいます。ブルースは黒人労働歌が元で、そこからジャズがでます。ハリウッドではエキストラ、大道具小道具の雑役などの仕事がありました。
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- pri_tama
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1914~1950年にかけてアフリカ系アメリカ人の北部への移動(Great Migratio)が行われていましたから、工場勤務者やその黒人達へのサービス業も増えていたと思います。 (アメリカ史では結構重要な出来事らしい…。) 北部の工業地帯へ移っていた理由としては ・南部の人種差別的な環境 ・1910年代後半、ワタミゾウムシが南部の綿花畑に蔓延し失業 ・ヨーロッパ人の移民の停止で、工場労働者が不足 ・1927年のミシシッピ大洪水とその余波で失業 ・1940年以降の第二次世界大戦への再軍備 ・戦後の好況 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%A7%BB%E5%8B%95
お礼
遅くなってしまい申し訳ありません。 ミシシッピの大洪水は初耳でした。 ありがとうございました^^
- qbtkgda
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当時は南部のプランテーションで小作が主流だと思います。 楽しみは、ジュークジョイントというライブハウスみたいなところで、ブルースを聴きながら、コーンウイスキーをのむ。若い物はシカゴにあこがれ、旅立ってゆき、成功するのか、しないのか、 当時のブルースシンガーを調べるだけでも、多少わかるような気がします。
お礼
遅くなってしまって申し訳ありません。 ブルースシンガーって新しい視点ですね!! ありがとうございました。
お礼
遅くなってしまい申し訳ありません。 アメコミですか。面白いですね!! ありがとうございました。