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鳥が「鳴く」と、子供が「泣く」、日本語では同じ「なく」ですが古代から区
鳥が「鳴く」と、子供が「泣く」、日本語では同じ「なく」ですが古代から区別していなかったのでしょうか? もしそうなら繊細な日本人にしては随分荒っぽいと思うのですが。
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昔本で読んだ記憶だけですが、古代日本はまだ言葉が発展途上だったうちに漢字を導入してしまったが故に、日本独自の言葉というものの数は少ないのだと読んだことがあります。 ずっと鎖国状態だったら、独自に発展してまた今とは違った言葉になっていたかもしれないですよね。
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「コトバの区別は言語や文化によって違う」だけのことです。 例えば「魚の名前」や「雨の状態」を表す日本語は多いけれど、英語はそうではない。 逆に日本語では単に「牛」「豚」だが、英語では細かく区別する。 というように、文化の違い、生活に対する密着度の違いによるものです。日本人は魚や雨が気になった。西欧人は牛や豚をよく食った。それだけ。 たまたま日本語では「なく」、中国語では「鳴」「泣」だったというだけで、どちらが「繊細」とか「荒っぽい」とかいう話ではないでしょう。 ちなみに今手元の大漢和辞典の索引を見たら、「なく」と訓読みする字は「鳴」「泣」ばかりでなく「啼」「哭」「涕」など49あります。中国人が繊細だから? 日本語は助詞によるニュアンスが豊富です。「そう」「そうさ」「そうよ」「そうだ」「そうだな」「そうだね」「そうだよ」「そうだわ」「そうとも」。それに対して中国語は助詞によるニュアンスが一切ありません(と人から聞きました)。日本人が繊細だから? 生活に対する重要度の違いによるものです。
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回答ありがとうございます。鳥の場合日本では「さえずる」もあると思うのですが、中国の49は凄いですね。
- SPS700
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『時代別国語大辞典・上代篇』の「なく」泣、鳴の項に。 (1)「人が泣く」と(2)「鳥獣が鳴く」とはもちろん同語であるが、「泣・哭・涙」などは(1)、「鳴・喧」などはたいてい(2)というように文字はほぼ使い分けられている。これに和名抄の記事をあわせて考えれば、(1)と(2)を区別する意識があったらしい。泣クに対する下二段の泣クはもちろん、鳴ルも関連深い語で、名詞音(ネ)との関連が推定できる。ネの交替形ともいうべきナが動詞化し、意味の分化を起こしたものであろう。(2)に対しては、トヨム・ホユなど類義の語があるが、ナクはこれらを総括した意を表わすものとみられる。 とありました。ご参考までに。
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回答ありがとうございます。
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