幻の暦 ~ 暦のない日々 ~
── 《日本書紀 06901217 持統 4.1111》に「奉勅始行元嘉暦與(と)
儀鳳暦」とあるが、どのように併用あるいは移行したか、未解明である。
そもそも編集期間中に、唐において元嘉暦は廃暦となり、すでに新暦
の儀鳳暦(唐名は麟徳暦)が登場していた。
── 《天孫降臨余歳の元旦 19920211 阿波文庫》
上の日付から、儀鳳暦を逆算して“建国記念の日”が制定されました。
もし、日本独自の古代暦が実在したとすれば、上の日付以前の暦日も
あるはずですが、いまだかつて裏付ける史料は発見されていません。
かつては、日本文化を称えるあまり「はるか昔に暦法が完成していた」
と主張する学者もいたようです。しかし、どのような文字で記録したか、
いかなる計算手順(アルゴリズム)によったのか、説明できないのです。
このような学者を沈黙させたのが、渋川春海(163912‥~17151101)
の逆算した《日本長暦 -6660130~16850216-0203 貞享暦》でした。
やがて日本の暦法宗家も“家元免許”を返上し、後継者を失います。
結論をいえば、暦の計算方法には、神秘的な要素がなかったのです。
はてしない端数計算をつづけて、なおかつ人為的な操作を要するのが
天文学の宿命だったのです(いまなお閏秒が出没するように)。
つぎの二部作が、初めてコンピューターを用いて検証しています。
内田 正男《日本暦日原典 19750710 雄山閣出版》
内田 正男《日本書紀暦日原典 19780110 雄山閣出版》
暦の研究は、しばしば人を虜囚にします。いままで気づかなかった謎
が解けはじめると、つぎからつぎに興味が湧いてくるのです。
しかし、あまりに膨大な記録を前に、ほとんどの人が挫折しています。
なお、現在も発行・販売されている各種の“旧暦”の編集者たちは、
毎年の官報で春分・秋分を知り、あろうことか東京天文台に電話をかけ、
毎月の朔日を教わってから、もっともらしく配分しているのだそうです。
お礼
回答ありがとうございます。 分かりやすかったです。 暦の記録って膨大ですよね。 研究が進むことを楽しみにしています。 新たな発見がないかな( *´艸`*)