ポスト・コロニアルですか。そうですね、ガヤトリ・スピヴァクとホミ・バーバが次に読むべき文献ではないですか。ただスピヴァクもバーバも、英語からして、意味がわからないのですよね。バーバは悪文の賞を受章したくらいですから、訳者が頑張っているのは認めますが、翻訳は正確じゃないです。原書と突き合わせて読まないと、意味が取れないです。スピヴァクが宗主国に徹底抗戦の構えなら、バーバは妥協の視点を出していると言えます。二人は対極なので、好みが分かれるだろうと思いますが、一応、この二人を抑えると、他の人との話に混ざれます。
それから入門書なら、ジョナサン・カラー著『文学理論』冨山・荒木訳が、イチ押しです。ポスコロからカルスタ、ソシュールからデリダまで網羅という、非常に無茶なことをやった本です。しかもわかりやすい文章です。さらに強力な一冊なら、フランソワ・キュセ著『フレンチ・セオリー』(邦訳あり)でしょう。網羅的に、各理論家の説明がある事典です。ざっと目次を見るだけでも、どういう文学理論家がいるのかとか、そもそも文学理論とは何かなど、詳しく書いている良書です。
文学理論は流行があって、何を自分の座右の書とするのか難しいです。サイードは簡単です。が、たぶんもう終わりだと思います(ごめんなさい。でも、彼の言う話を真に受けても、何も進展がないのだもの)。デリダとドゥルーズは人気があるけれど、精密に読めるようになるには、恐ろしいほどの時間がかると思います。入門向けではないので、概説書を頼った方がいいとおもいます。
僕個人はジャック・ランシエールがお勧めです。翻訳も出始めているし、次の流行になりそうな思想家の一人です。(学問ということではないかもしれないが)腹を抱えて笑いながら読みたいなら、スラヴォイ・ジジェクです。文章もさることながら、彼自身がコントをやっているかのようなユーモラスな人で、本当に笑わせてくれます(You Tubeなどで動画を見ても面白いです)。
でも、誰にせよ、もうまた古くなって、文学理論自体がもう機能しない時代は来るだろうなと思います。なぜかというと、文学理論は問題提起をすることが重要で、論証することはあまり重視されていないからです。問題提起することに意味があった1970年代は過ぎてしまって、仮説を叫ぶだけなら、今や大学院生にでも出来るのです。その先が欲しいなと思うと、また保守的になってしまいますが、文献学に回帰ということになってしまいます(文学理論と文献学の対立など歴史的経緯の説明は、上記のフランソワ・キュレの著作にあります)。
文学理論に憧れるって、二十歳ごろの僕もそうだったのです。何か包括的なことがわかったような気になる。けれど、一通り学んでみた結果、あまりよいものではないなというのが、結論でした。楽しい文学作品を、もっと楽しく読めるのではなく、因縁をつけているだけとも思えるのです。サイードが批判しているフランス文学者の作品、実はそんなものじゃないんですよ・・・・・・。
ともあれ、学ぶのはいいことですから、よい理論家に巡り合えるといいですね。