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元の言葉と変化した言葉の意味の違いは?
- 元の言葉と変化した言葉について気になって調べました。寂しい、淋しいを除いて漢字は同じですが、意味の違いはあるのでしょうか。標準語と地方の違いも知りたいです。
- 元の言葉と変化した言葉の意味にはどのような違いがあるのでしょうか。寂しい、淋しいを除いて漢字は同じであり、標準語と地方の使い方も知りたいです。
- 元の言葉と変化した言葉について気になって調べました。寂しい、淋しい以外の漢字は同じですが、意味の違いや標準語と地方の違いについて教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
#1です。日本語の変遷に興味がお在りなら、#2さんのご意見にも絡んで、日本民族学の巨峰柳田國男の如何に紹介する一連の作品を参照することをお薦め致します。これは彼の作品のほんの数例ですが、皆面白くて読み応えのある作品ばかりです。 『国語の将来』の中の、「鴨と哉」:この作品の出だしは、「私の話は思ひ切つて問題が小さい。」で始まりますが、この作品で日本語の変遷の遠大なテーマを扱っています。 『西は何方』:この作品では色々な動植物の名や#1で挙げた虹の例などを分析しながら、徹底的に日本語の語音の変化を論じています。以上の二つは、定本柳田國男集第十九巻に納められています。 『蝸牛考』:カタツムリに対する全国の呼び方の違いを入り口にして、新語の発生、方言の出現、方言転訛の誘因、語音分化などを論じた古典的な名著です。これは定本柳田國男集第十八巻に納められています。共に近所の図書館で手に入りますので、機会があったら読んでみて下さい。 日本民俗学は日本人でなくては出来ない学問ですので、他の学問のように外国物の翻訳ではなく、全くオリジナルすなわち独創的な仕事ばかりです。(ただし、虹と主の関係の発見のように、日本人の妻を娶って日本に帰化したロシア人による重要な仕事の例もない訳ではありません。)他の学問分野では、往々にして、外国の書物を読めることが学問であり、それを日本語に翻訳して輸入することが学問であると、とんでもない誤解をしている学者がいくらでもおりますが、日本民俗学の作品を読んでみると、学問をするとは本質的に独創的な思考を提示することなんだということを良く教えてくれます。質問者さんがたとえ他の分野に興味がある方でも、独創性とは何かを学ぶのに絶好な学問分野ですので、どの学問分野をやる方にとっても役に立ちます。上の作品は、知的にも大変面白いので、機会があったら是非読んでみて下さい。 また、もし柳田國男の作品に興味がもてるようになったら、『遠野物語』などの彼の古典的な他の作品ばかりでなく、日本民族学のもう一人の巨峰南方熊の『十二支考』や『履歴書』や、他の一連の作品を読むこともお勧め致します。西洋には、彼に匹敵するような、これだけのスケールの大きい人物が果たしていたのかと思えるほど、度肝をぬくような生産的で独創的な作品にお目に掛かることが出来ます。 因に私は物理学者ですが、彼らの作品に出会って目から鱗が落ちる経験をしました。
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- cyototu
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#3です。そこに、誤植がありました。 最初の段落では、 如何に => 以下に と読んで下さい。また、もっと重要な誤植は下から2番目の段落にあります。そこでは、 南方熊 => 南方熊楠 と読んで下さい。
お礼
ご丁寧に恐れ入ります。
- SPS700
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挙げられた4つの言葉は、m と b の交替で、m から b に変ったのが2対、b から m に変ったのが2対、したがって、単語によって辿る道が違うことがよく分かります。 両方とも同じ場所の両唇で発音され、 m は、鼻を通す「鼻音」b は口を通る「口腔音」です。 同じような関係は、「おどりゃあ」の d 「口腔音」と同じ場所で発音される「おのれは」の n「鼻音」の間にもあります。 僕は「元の言葉」が標準語だと思います。 父の長崎では、さみしか、sapka、 keptaka、きしょくんわるか、と言います。
お礼
有難うございました。関西ではbが多いようです。気味悪いは方言としては 気色わるい「きしょくわるい」とか「けったいな」を使っているようで、きびわるいもききません。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
>これはどちらを使っても間違っていないということでしょうか。 それは趨勢によるというのが正しい答えになると思います。発音は時代によって変化して来ました。皆がそう発音すれば、それが正しい発音です。これは日本語だけではありません。その好例は、現代の中国語と古代の中国語の違いです。日本語で漢字の音読みが元は中国語の読み方であったことを、多分貴方も教わったことと思います。ところが、その音読みと今の中国の発音と全然違っていますね。実は、日本の音読みは、その漢字を日本が輸入した当時の中国語の正しい発音だったのです。その言葉が外国語だったためにその古代の発音を日本人は保持しつづけたのですが、中国人はそれが自国語だったために、貴方が調べた日本の言葉の例と同じように、時代と共にどんどん発音を変化さえて来てしまったのです。その結果、今の中国語の発音と日本の音読みがこんなにも違ってしまったのです。 日本語の発音の変化の例で面白いのは、「虹」の訓読みです。今ではこれを「にじ」と読みますね。ところが、これを昔は「ぬーじ」とか「にゅーじ」とか「みゅーじ」とか「みょーじ」と呼んでいたようです。その証拠に、つい最近までそのように発音していた地方がありました。 ところで、この「にじ」という字がなぜ虫扁なのか判りますか。昔の中国人と日本人は、池や沼に住む大きな魚が、あるとき龍に変わって空に昇るとことかあると信じていました。そしてその時に空に昇る橋が虹であると考えたのです。だから虫扁なのです。今でも深い池や沼に住む大きな魚のことを、池の主とか沼の主と言って、それを「ぬし」と呼んでいますね。この「ぬし」も、昔は上の「にじ」と同じ発音をしていたようで、同じ意味だったらしいです。 以上の例で分かるように、言葉は時代と共にどんどん変化して来たのですね。
お礼
有難うございました。 中国の留学生の女性と知り合いましたが、彼女は日本語勉強中で、すっかり日本の漢字に 魅せられ中国のあの原形をとどめない簡略化を嘆いていました。韓国にしてもそうです。 日本に残された漢字の文化は大切にしたいですね。
お礼
柳田国男の作品は遠野物語しか読んだことがありませんが、是非挙げられた本も読みたいと思います。 早速文中からメモさせていただきました。ありがとうございました。