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英語はコミュニケーションの手段に過ぎない?
英語はコミュニケーションの手段に過ぎない? こんにちは、よく「英語はコミュニケーションの手段に過ぎない」と言われます。このカテでも長年 英語の通訳・翻訳のお仕事をされてきた人も力説されています。 しかし、私はこれだけでは片付けられないような気がします。これを言ったら、車だって移動の手段にすぎなくなりますが、車を愛し、車そのものを楽しんでいる人だって大勢おります。 それと、下品な喩えですが、この論法で行くと セックスだって子孫を残すためプロセスに過ぎなくなります。 そこで質問です。みなさんは、英語はコミュニケーションの手段に過ぎないという考え方に対してどう思いますか?
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1. 英語はコミュニケーションの手段に過ぎない? 2. これを言ったら、車だって移動の手段にすぎなくなりますが、車を愛し、車そのものを楽しんでいる人だって大勢おります。 この二つはいずれも正しいと思います。 1を支える理屈としては例えば「英語だけが言語ではないが何故国をあげて英語ばかり勉強するのかといえば功利的な理由が大きい」ということです。 むろん外国語教育には他国の言葉を通して文化を学ぶという狙い(意義)はあるでしょう。でも何故英語なのか、と問われれば(根っからの英語好き、英語文学好きを除けば)精々「世界をリードしている国の言語だから」といった程度の理由でしょう。これは「コミュニケーションの手段」という功利性と似た正統化の理由です。 文化を学ぶには英語以外の言語でも良いわけです。なぜ英語か?という問いかけは車のたとえで言えば何故「トヨタ」ばかり乗るのかみたいな問いかけと似ています。 「コミュニケーションの手段に過ぎない?」という気持ちの裏にある感情は「何故英語だけを選ぶのか」という問いに答えたいということだと思います。 ただし、文化という観点で言えば、英語と他の欧州の言語やフィーリングには共通部分がありますから、英語がわかれば欧州を理解することにもなる、という部分はあると思います。トヨタに乗れば日産の車も似たようなものだ、と車への理解が深まるのと似ています。ですから「コミュニケーションの手段に過ぎない」とまで言うのは確かに言い過ぎかと思います。
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- Chicago243
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個人的な価値感ということなのでサイド登場しました。 私にとって英語とは、、、、 なかなかまとまりませんね。 確かに仕事道具ではあります。でも道具に教えられたこともあります。 言葉の使い方みたいなものでしょうか。。。わたしはまあ日本語も あんまりできません、、日本人でありながら、、、 で英語も始めたわけですが普段何も考えずにしゃべっていたことが いかにあやふやかということが(日本語のある意味特徴からくるもの) わかりました。別に英語をしなくても立派に日本語を使いこなすかた はいると思いますので、英語をやらないと分からないとかまでいうつもりは ありませんけどね。 そういう感じで仕事道具でありながら道具にインストラクションビデオが ついてきたというか、、、 あとはある意味世界が広がりました、英語のいいかた、日本語のいいかた それぞれそういう世界感というかそういうと大げさですけど雰囲気というか、 学校でやった英語はさんざんでしたが、なんかそういうのを感じだすと、 へえ面白いなぁっていうのがあってちょっと得した気分です。 仕事で使っていてまあ仕事だけではないですが、避けれないものになっても いるので人生そのものとまでいうと言い過ぎですが人生に切り離せない 物になっていますし、あとはそれでいてもなかなかやっつけられないライバル のようでもあります。 個人的にはそんなところですが、どんな言語もそうですが、歌えば芸術になり 書けば文学になるわけですから、道具は道具でもなんとでも化けるような気がします。 仏語をしている人にあなたにとって仏語はなんですかとか ほかの言語でこういう質問するとどういう返事が帰ってくるかなぁと ちょっと興味がありますね。とくにmultilingualのひとはそれぞれ、 いちずけがあるのでしょうかねぇ。 私は英語しか外国語をしてませんが、英語のかわりにほかの言語を習得しても同じような ことをいっているかもしれません。
お礼
再度回答ありがとうございます。 なるほど、一言で言えば、Chicago243さんは英語を通して成長したというわけですね。 >仏語をしている人にあなたにとって仏語はなんですかとか I like English, but I prefer French. Because French is more beautiful and more chic than English. Though I have to admit that French is less rich and less flexible than French.
- yumetanosi
- ベストアンサー率45% (198/433)
難しい理論を展開するつもりはありません。 私はよく『英語はコミュニケーションの手段に過ぎない』と英語の学習者に伝えてきた元通訳者・翻訳者です。その意味は二つありました。英語が通用しない国民や個人に会った時その言語を使わなければならない現実に直面した時。英語を知っているだけで、専門分野はその知識がない限り英語でも、日本語でも理解に至らないことがある時。この意味から英語も日本語も全ての言語はコミュニケーションの手段と言っています。しかし、このいずれの条件もクリアした場合は、コミュニケーションは違う意味をもちます。コミュニケーションにより、より深い意思や感情の相互理解を深めることができるからです。 車やセックスも同じことが言えると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 あんまりしっくりする喩えではありませんが、「言語」というのは 伝える内容を「料理」とするなら、 それを盛り付ける「器」に似ているかもしれません。 通訳者・翻訳者というのは、料理を器からまた別の器へと移し変える作業に追われるだけで、「器」そのものの趣を味わう余裕がなかったのかもしれませんね。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
逆のパターンを想定してみます。「(外国人が)日本語を学ぶのは、単にコミュニケーションの手段としてか?」という想定です。 現在はJAPANCOOLと呼ばれる日本文化熱が海外のあちこちにあり、「原文(日本語)で漫画を読みたいから」とか「日本語の歌詞を理解したいから」という理由で、日本語を学ぶ人々がいます。このような場合の日本語は文化への触媒であり、コミュニケーションの手段というレベルからは逸脱しているといえます。 つまり、英語や日本語に限らずどのような言語でも、その言語の下地となる文化や風俗の入り口となり、それ自体が教養といえる部分がある、といえます。 ただし、「英語」だけはもう少し考察が必要だと思います。 英語は他の多くの言語と違い、2重の要素を持つ言語です。1つ目の要素は他の言語と同じように文化・風俗の触媒としての英語です。 ただこの場合、本当に英語を愛し、英語文化に浸ろうと思うと英語・米語の仕分けも必要になりますし、各国が公用語として扱っている英語(特にピジンイングリッシュ)をどのように扱うか、の検討が必要になります。英語は国際語でもあるため、日本語=日本文化という単純化ができないからです。 実際、私の周りでも英語をたしなみ英語文化に触れている人がたくさんいますが、中身を見てみると「せークスピアに代表されるような英国文化が好きな人」「米語(ただし白人系)が好きでアメリカ文化が好きな人」「ヒップホップなどが好きで、英語は黒人系のスラングしか知らない人」など、同じ英語でくくれない、という問題が出てきてしまいます。 つまり、英語は文化を内包して触媒となるが、ナニを内包しているかは(日本においては)コンセンサスが無いということです。 これが日本の知識人・教育関係者・英語利用の職業人(通訳など)をして、英語はコミュニケーションの手段である、と力説される根本なのだと思います。 私もよくある「語学留学」に非常に疑問を抱いている一人で「英語を話せるようになった」ということと「その言語で(または母国語で)話す内容がある」ということはまったく別の話だと考えているからです。 語学が出来ても、話す内容(たとえば日本にいる英語通訳なら日本の会社の事情とか)が空っぽなら、まともなコミュニケーションは出来ないわけです。 さらに英語で発表される文化的な内容でも、漫画や映画、音楽など多くのものが各国語に翻訳されて流通するため、ことさら英語を学ばなくても各国語で楽しめますし、わざわざそのために英語を覚えるというのは(文化的な触媒を否定はしませんが)、労力というコストの割りに得るものが少ないといえます。 このように、英語に限ってみれば、外国語としてすでに過剰であり、供給量が莫大にあります。またそれを翻訳して日本人が消費する方法もほぼ確立されているといえます。 2番目の問題は上記にも書いた英語は国際共通語である。ということです。実際、英語を母国語としない人々の会議などでも、英語が利用されますし、日中韓という漢字文化圏の人々が集まっても、英語で会話するほうが多くの人数で会話できます。 このときの英語は、文化的な要素をまったくそぎ落とした、単なるコミュニケーションの手段にすぎません。 また英語自体、自身の国際化に伴って(近隣他国語に比べて)非常に文法が簡素化されてきています。つまり「英語ができるようになったら・・」ナニがしたいのか、という点で英語の文化・風俗を学びたい(文化の触媒)というより、海外で通用する人材になりたい、海外旅行で不自由しない、などの実利的な要素のほうが大きいと思います。 このような国際的に実用として通用する英語のほうが現実的なため、英語(と日本の関係性)をよく知っている人々は「コミュニケーションの手段以上ではない」と言い切るのではないでしょうか。 車の比喩が出ていますが、日本の免許総数から見たら車雑誌を買ったり、洗車したりパーツを買ったりする車愛好家はそれほど多くありません。それ以外の普通の人にとって車は移動の手段にすぎません。 日本語なら勉強家=日本文化愛好家ですが、国際語としての英語の役割のほうが強い現在では、コミュニケーションの手段としての英語以上の英語愛好家はむしろ少なく、大多数の日本人にとって「コミュニケーションのための英語」という実用が大きいのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。至極真っ当なご意見ですね。 >日中韓という漢字文化圏の人々が集まっても、英語で会話するほうが多くの人数で会話できます。 折角共通の文化を共有しているのにね。昔は筆談も可能でしたけど、今では難しいでしょうね。 私は 日中韓という漢字文化圏の人の集まりで中国語で会話したことがありますが、英語よりは親近感を感じました。でも、普通は英語を仲介する方が圧倒的に多いでしょうね。 >車の比喩が出ていますが、日本の免許総数から見たら車雑誌を買ったり、洗車したりパーツを買ったりする車愛好家はそれほど多くありません。 割合から見たらそうでしょうけど、何百万人という車愛好家がいるわけですから絶対数としては多いわけです。それに、車愛好家が必ずしも定期的に車雑誌を購入するとも限りませんし。phjさん自身は車にあまりご関心がないのかもしれませんが、20代、30代で地方の男性は車好きが多いですよ。でも、今は 車よりもパソコンに関心が移っているようですが。 >日本語なら勉強家=日本文化愛好家ですが、国際語としての英語の役割のほうが強い現在では、コミュニケーションの手段としての英語以上の英語愛好家はむしろ少なく、大多数の日本人にとって「コミュニケーションのための英語」という実用が大きいのだと思います。 日本人でも英語以外の外国語だと、コミュニケーションの手段よりも 文化的な関心が学習のモチベーションになりますが、英語だとやはり、文化的な関心は2の次に来るでしょうね。
No7です。 >回答ありがとうございます。5845428さん自身はいかがお考えですか? もしかして、質問者さんは、けっこうお年をめしたお方なのかな? そういえば、昔は「お上の言うことに従え。」でしたね。 >このカテでも長年 >英語の通訳・翻訳のお仕事をされてきた人も力説されています。 質問者さんが、尊敬している方から自分と真っ向反対の意見をいただいてショックだったのでしょうが、その方を「お上」と考える必要はありません。 今時は個性の時代です。 個々の価値観を尊重しましょうよ。 ところで、私への「5845428」てどういう暗号なんでしょか? No6さんへの「fff」もサッパリ分かりません。 もしよければ教えてください。
補足
>今時は個性の時代です。 これは、花は何が好きですかという質問と似ているかもしれません。みんなが同じ花を好きになる必要もありません。結局、Gatikotiさんはご自分の意見をお持ちでないようですね。 >ところで、私への「5845428」てどういう暗号なんでしょか? No6さんへの「fff」もサッパリ分かりません。 もしよければ教えてください。 意味はありません。気にしないでください。
>コミュニケーションの手段”は「役に立つ」ものとして一般に考えられます。しかし、それ以外の目的は「役に立たないもの」として考えられがちです。 「一般に」というだけでしょう。 僕はそう考えているわけじゃありませんし、そう書いてもいませんよ(笑。 >日本でも外国語の扱いではありませんが、「漢文」を習います。漢文なんかよりも中国語を勉強した方がよっぽど役に立ちますが、学校で漢文を教えるのには それなりの意味があります。 「役に立つ」というのを、「実利的である」と了見が狭い解釈をするのであればそうでしょうね。 僕はもっと広くとらえています。 それから、「それなりの意味」があるというなら、具体的に書かれた方がいいと思いますよ。 僕は、漢文を習うのには実利的ではない意味があると思います。 漢文を理解することは日本語の成り立ちや日本文化の理解に「役に立つ」し、漢詩を味わうこともできます。 昔の漢詩を味わうということは、古の作者との時を超えた「コミュニケーション」だと思います。 漢文という「コミュニケーションの手段」を学ばなければそれは難しいですよ。 どうやら「コミュニケーション」の意味の解釈でもズレがあるようですね。 「"コミュニケーション"は"実利的"なものに限られる」と決めつけていたら、議論はいつまでも平行線ですね。 ところで、「アイルランド語を学ぶ目的」はどこに行ってしまったんでしょうかね・・・。
お礼
なるほど、「コミュニケーション」を広い意味で捉えられたんですね。詳しくは後で補足で書きます。
補足
> 漢文を理解することは日本語の成り立ちや日本文化の理解に「役に立つ」し、漢詩を味わうこともできます。 漢詩は「韻」も重要な要素の一つなんですが、日本式の訓読法では完全に殺してしまっていますね。 >ところで、「アイルランド語を学ぶ目的」はどこに行ってしまったんでしょうかね・・・。 アイルランド人がアイルランド語を学ぶのはアイルランド人としてのアイデンティティーを守る為でしょう。下手するとイギリス人と完全に同化してしてしまいますからね。
>学校では必修でアイルランド語を学ぶそうです。コミュニケーションの手段ではなく、それとは別に重要な目的があるんですが、ohirasさんにとっては単なる無駄にしか思えず、馬鹿馬鹿しいでしょうね。 そう偏見を持たずに、その「目的」というのを書かれてみたらどうですか? 「ある」と言っても、その「内容」を書かないと単なる独りよがりにしかなりませんよ。
お礼
>そう偏見を持たずに、その「目的」というのを書かれてみたらどうですか? 偏見を持っているのは、むしろohirasさんの方だと思いますが、手取り足取り説明しないといけないですか?“コミュニケーションの手段”は「役に立つ」ものとして一般に考えられます。しかし、それ以外の目的は「役に立たないもの」として考えられがちです。 日本でも外国語の扱いではありませんが、「漢文」を習います。漢文なんかよりも中国語を勉強した方がよっぽど役に立ちますが、学校で漢文を教えるのには それなりの意味があります。 これ以上、ohirasさんに意見は求めさん。
「英語はコミュニケーションの手段に過ぎない」と言われる背景については、1番の答えが的を射ていると思います。 そのように言う人は「コミュニケーションの内容が重要だ」と言いたいんでしょう。 コミュニケーションが成立するのが前提であれば、その通りだと思います。 ただ、それをどう思うかと言われれば、英語に限らず、すべての言語はコミュニケーションの手段である以外に何があるんでしょう? 車は移動の手段である以外にも鑑賞の対象になることがあるのは認めます。 移動できない車にもそういう「価値」はあるでしょう。 だけど、言語はコミュニケーションの手段であって、それだけですよね。 言語表現というのはすべからくコミュニケーションでしょう。 単なる事務的な連絡でも、ラブレターであっても。 文学作品だって作家と読み手とのコミュニケーションだと思います。 そして、いくら「内容」がすばらしくても、伝わらなければコミュニケーションは成立しないし、そのような内容は存在しないに等しいと思います。 その点が車とは違うと思います。 解読されない言語で書かれたすばらしい文学作品あったとして、それに意味がありますか?ということです。 逆に、コミュニケーションが成立しても、「内容」が大したことがなければ、それそれで意味が薄いと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >だけど、言語はコミュニケーションの手段であって、それだけですよね。 多分、価値観の問題ですね。私はそれだけだとは思いませんが。例えば、アイルランドでは英語が日常的に使われていますが、学校では必修でアイルランド語を学ぶそうです。コミュニケーションの手段ではなく、それとは別に重要な目的があるんですが
十人いれば、十通りの考え方があります。 そのどれをも正しいとも、間違っているとも言えません。
お礼
回答ありがとうございます。5845428さん自身はいかがお考えですか?
- Chicago243
- ベストアンサー率38% (401/1043)
こんにちは。英語に関する考え方を色んな観点からいつも質問されていますね。 あえて冷めた回答をしておきます。 そんなの本人の価値感で決めれば良い 別に感情的になっているわけでも、反撃しようとしている訳ではないですけどね。
お礼
回答ありがとうございます。 >そんなの本人の価値感で決めれば良い 一人に客観的で総合的な判断は求めません。Chicago243さんご自身はどのようにお考えですか?
- wishworks
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英語は幸せになるひとつの手段だと私は思います
お礼
回答ありがとうございます。
- 1
- 2
お礼
fff
補足
回答ありがとうございます。 やっぱり、日本ではそもそも外国語教育に力を入れていないのでヨーロッパ諸国のように中等教育で2,3ヶ国語も教える余裕はないので、いずれか一ヶ国語に絞るとしたら、英語しかないでしょう。