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宗教の価値・魅力って何ですか?
- 宗教の価値や魅力について知りたいです。
- 信者の宗教への信心や忠誠はどのような心理なのでしょうか?
- 宗教の本質は新たなビジネスやエンターテイメントなのか?
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。逐一お答えしていますと一本論文が書けてしまいますので、主要と思えるいくつかのご質問だけお答えしようと思います。(文字制限なければいいんですが) >>世には様々な宗教がありますが、一体、信者は何を根拠に教義を信じているのでしょうか >>(中略)その教義は、仮説や希望的観測・憶測に過ぎない教えが多いと思うのですが…。 なぜ人は宗教を信じるのか??しかし、「信じる」ということに関して考えれば、宗教以外でなくても同じことが言えます。私達、人という生き物は何かを信じるのにさほど根拠必要としないのかもしれません。 例えば、数字をランダムにコンピューターが選び出すタイプのロトくじを1ドル買ったとします。買った直後に、2ドルはらうからそのくじを売ってくれないかと、頼むとほとんどの人が躊躇して、手放さないと言います。20ドルまで行かないと手放さないケースも多いといいます。 また、サイコロを振って6が出たら、一万円くれる賭け事をするときに、「サイコロは何度振ってもかまいません。しかし、賭ける時はサイコロを振る前に千円をかけてください。」と言われたとします。すると、6が出る確立はサイコロですから何度投げても6分の1の確立で、最初だろうと2回目だろうと、37回目だろうと、確率が変化するなんてことはありえないのに、人間は「今だ!」と賭ける。 これ等の事例を見ても、人は根拠があるから信じると言うような単純な生き物でないことが分かります。しばらく前の話ですが、ジョン・ブロックマンと言う方がウェブサイトで「何の根拠や証明もなく信じているものってありますか??」って質問したら、宗教者に限らず無神論者科学者合理主義者もそういったものがあると答えられたそうです。つまり、信じると言うことに根拠がないのは宗教に限ったことではなく、人間そのものが持っている特性であることがいえます。 次に >>宗教の本質は、「疑ってはならない」という暗黙の了解がある新たな(伝統的な?)ビジネス?エンターテイメント?ゲームですか?どのように捉えてよいのか、以前から距離の置き方がよくわかりません…。 宗教の本質を「疑ってはならない」としていらっしゃいますが、これには私は「異議あり!」です。ただ、文字数のことを考え、この質問のテーマは「距離のおき方」にあると思いますので、こちらのほうのお話をさせていただきます。 果たして私達は宗教と距離が置けているのでしょうか??これは、認知科学の実験です。どうぞ、karamuchoさんも想像してみてください。 「風船が宙をふわふわ浮いています。その風船があるところまで行くと、移動する速度が速くなった。さて、これはなぜでしょう??」 なぜだと思いますか?? 「風が吹いた(上昇気流に乗った。気圧が変わった。等も含まれる)」と考えませんでしたか??(もちろん違っていてもいいのですが)この答えは、東洋人(ここでは、中国・韓国・日本人が中心)に多く見られる答えだそうです。しかし、西洋人(ここではイギリス・カナダ・アメリカ人が中心)は「風船の空気が抜けてスピードを上げた」と答える方のほうが比率として多くなるそうです。 このような違いは一体何なのか?? 東洋人は関係性を重んじる民族です。家族、友人、会社。若い世代の「ky」と言う言葉でさえ関係性が読めてないと言う意味です。こういった国で信仰される宗教を見ると、儒教では孝や忠、仏教では縁起や空、神道では一人のカミではなく八百万の神が存在し、「関係性」を重視する宗教が信仰されている。 対して西洋人は「個人主義」という言葉があるように、有る意味関係性より個を重視する傾向にあります。そんな国で信仰されている宗教は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった、一人の神の「個性」を重視する宗教が中心と言えます。 私達は、常識と思っている判断も宗教の影響を受けていないとはいえません。子供に物を擬人化して教える事も、付喪神への信仰から来ていると言うこともできる。(西洋ではこういった教え方はあまりしないそうです)例は他にも枚挙にいとまがありません。 もう文化とか習慣に馴染みすぎちゃって宗教かどうか分からなくなっちゃった宗教的要素を社会学の言葉で「市民宗教」と呼びますが、先ほどの認知科学の実験の結果を見ても私達は市民宗教の信者です。まず、自分自身の立ち位置を知ることが「距離を置く」第一歩です。 >>宗教って何!?正体は!? 最後の質問ですが、一番厄介ですね。私に言わせれば「いろいろ」です。どれか一つであると断定するのは簡単ですが、どれもがその説明としては不充分です。 さて、読み直してみますと答えになってませんね。申し訳ない。誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀
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- mmky
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宗教って何!?正体は!? 禅問答ですね。 答えは生死を越えるもの。ですね。 あなたのようなお方には、釈尊の時代の「アンバパリ」の例がよいですかね。 バイシャという商人の町に若くて絶世の美女で知識もあるという娼婦を生業とする女性がいたのですね。釈尊がバイシャの町を訪れた時「アンバパリ」に招かれるのですが釈尊は招きに応じて会うのですね。そこで釈尊が行なった説法は「どのような美貌を持ち知識を持ち財をもっていようが老いからは逃げられない。」ということだったのですね。当然若き「アンバパリ」はなんだとおもったことでしょう。 つまり「生老病死」がこの世の本質という意味ですね。若さのおごりの後に来る「生老病死」でおたおたしている全ての人を見るにつけ、人生の真の本質、つまり生死を越える教えを釈尊は説いたのですね。晩年、老いた「アンバパリ」が釈尊にあった時、「釈尊のおっしゃるとおりでした。」といったそうです。 ということで「生死を越えるもの」になるのですが難しすぎますかね。
- 雪中庵(@psytex)
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人が生きる上で; 1.人の力で何とかなる範囲をこえた現象に対して、それでも 何とかしようとするため(祈り)の対象。 2.世界の始まりや死後のことなど、人の知恵では理解できない ものを、何とか意味づけて安心するため。 3.社会性の発達に、意識の社会生命的自覚(愛)がついていけず 自己チュー化するのを、他律的にコントロール(モラル)するため。 生物の進化においては、擬態のように、1次的な合理性とは異なる、 2次的な必要(嘘も方便)が有効で、発達する事が少なくありません。 1や2に関して言えば、中世まで宗教は科学であったところ、 科学の発達において宗教的世界観と背反し、対立し始めたのです。 そして、科学がどんどん発達するにつれ、宗教に対する信心が 限定的になり、3のモラルの低下につながっている、ていう。
- cyototu
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宗教は夢を与えてくれていますね。死んだ後どうなるかなんて、ゾクゾクする夢じゃないですか。私の尊敬した先生は敬虔なキリスト教徒でしたが、その先生曰く「もし、死んだ後に天国や地獄が無かったら、これほどの大嘘つきはいないだろう」と言っておりました。宗教の師の言っていたことは本当なんでしょうか、それともは大嘘つきなんでしょうか。
- jinseiwalk
- ベストアンサー率23% (372/1603)
宗教は当たり前の筋道と対極にあるものでまともな考え方を保ち続けたいなら宗教をするべきではありません。 そこで釈尊は最初に神や霊の話しをしてはいけないと毒矢経で説きました。しかし現在の仏教全宗派、小乗大乗を問わず、神を拝んでいます。 釈尊の言うことを守るのが仏法者として当たり前のことです。 なぜ神の話しを仏は禁じたかというと、人類が誕生してこの議論が始まりいまだにいるかいないか決着付いてないではありませんか。宗教家はただ信じろというだけです。盲信が宗教の本質です。 当たり前のことを当たり前にして生きていくのが人生です。その当たり前の究極を法と言いそれを身に体現した究極の人を仏というのです。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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私も40年以上朝晩の勤行により心身の調整と意識の明澄性を戻している信者です。 インド発祥の思想です。 でも価値とか魅力ということばで尋ねられると、どう書いていいのか分りません。 そして暗黙にも私たちにおいては「疑ってはならない」ということはありません。 知性や意識、或いは日々のことで拘束することは何ぴとにも何ぴとも許されません。 知性や意識、或いは日々のことも、自分も自由になっていく一つの方法体系です。 それは理論と技法で成り立っている体系です。 正に仰せのように様々な宗教があり、その受け入れ方も様々であり、実践の仕方も様々です。 だから私の経験している宗教もその中の一つであり、この地上を歩いた数兆以上の存在主格の中のたった一粒の砂のような主格の受け入れ方と実践方法です。 私の精進しているのはインドに生まれ、育ち、インドとアメリカに本部を持つ団体です。 Self-Realization Fellowship(ハイパーリンクは削除してありますが、貼り付けると訪問できます) 多くの宗教とdevoteeに理解をもたれ、彼らの精進がなお深まる事を祈って投稿します。
宗教も無宗教も主義であり価値・魅力という観点はちょっと違う気がします。 進化論だって聖徳太子いなかった説だって価値・魅力と言うよりは主義主張だと思います。 強いて言うなら個人の共感や人生観の一致じゃないでしょうか。 例えば私は仏教の諸行無常と言う思想に共感できます。これが魅力を感じるといえますね。
- kigurumi
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数日間西洋の宗教の講義(ディスカッションも含む)を受けた経験を持つ者です。 専門に研究したわけじゃないのですが、その程度のレベルでよければ。 >それぞれの教義には「最後の審判」「輪廻転生」「後生の一大事」とかいろんな思想・教義がありますが、>長い歴史にそれを裏付けるような事実とか予兆とかがあったのでしょうか? <歴史的な裏づけ・事実>に関して、私が知っているのは、エジプトの死者の書です。 エジプトの文明が突如消えましたよね。 ピラミッドなど、なんのために作られたのか、よくわかっていない。 伝承がうまく引き継がれておらず、今ではエジプトに住む人はピラミッドを利用していませんよね。 エジプト人もヨーロッパ人も研究を続けているわけですが、少しだけわかったことは、今のエジプトの人が住んでいる前に、別の人種が住んでいたということ。 その人達は、高度な文明を持っていたということ。 ロゼッタストーンの解明は画期的なものだった。 絵文字が描かれていて、その言語は次に移り住んできた人に受け継がれなかったのですが、その文字以外に2種類の文字が掘られており、同じ内容を3つの言語(神聖文字・一般の人が使っていたその当時の文字・ギリシャ語)で書いてあるとわかってから、神聖文字の解読が進んだ。 解読が進むと死者の書の内容もあきらかになってきた。 古代にエジプトに住んでいた人々は、強烈な宗教により統治されていることがわかった。 最後の審判。 人は死んだとき、マアトの天秤の片方に心臓がのせられ、もう片方にマアトの羽が置かれ、釣り合いが取れずに罪が重くて傾いた者は、オシリスの住む死の国にはいけず、アメミットに心臓を食われ、死後二度と再生ができないというもの。 最後の審判の時、42の否定告白を死者はする。 http://www.osoushiki-plaza.com/anoyo/takai/takai4.html (モーセの十戒よりチェック数が多い) これが原型とは決定ずけられないが、少なくとも現在さかのぼれる限界が、古代エジプトの宗教に最後の審判・復活という概念があったことはわかる。 ラーは太陽神の化身みたいなものとして、人々を明るく照らす者と考えられていた。 ある時期にエジプトで宗教革命が起こった。 それまではアメン(アモン)が信仰されて神官がファラオも凌ぐ強力な権力を持っていたが、アテンホテプ4世がファラオになったとき、アテンを唯一神とした。 アメン教の文化を削って、新たなアテン教を拡大していったが、あまりにも急激だったために、神官から反感を買い、結局長続きしなかった。 再びアメン崇拝が行われ、アテン教の痕跡はエジプトから一切削り取られた。 そのドタバタ劇の最中に起こったのが出エジプトだと思います。 何故ならモーセの十戒の中身は死者の書の42の否定告白に酷似しているから。 さらに、ユダヤ教の祈祷文に「聞け 汝の神は唯一アテンなり」とあるから。 (翻訳でエジプト語、ヘブライ語の文字の転化を考慮しないで翻訳すると「聞け 汝の神は唯一の神なり」となる) エジプトからエジプトの植民地に移り住んだファラオの末裔が、やがて中東に巨大建築物を建設したわけです。 何故ファラオは王子モーセの出エジプトを妨害したのか。 ピラミッド建築をすることができる高度な建築技術を持つ職人をひきつれて出て行こうとしたから。 と私は推測します。 連れて出ていかれたので、エジプトにはもうピラミッドは建てれなくなり、宗教による強い統率ができなくなり衰退した。 そしてやがて中東に3つの塔を持つ巨大神殿が作られることになった。 弱小集団だったが、宗教で統一されていたため、何度も絶滅の危機にさらされたが、知恵をもって生き延びた。 ローマ帝国に高額の納税を納めることで、ローマ帝国にユダヤ教は保護され、外敵から身を守っていた。(今の日本とアメリカのようなもの) ところが、それをねたんだ人がユダヤ人を煽りローマ帝国にたてつかせた。 結果 各地に散らばっていたローマ帝国の兵力がユデア一点に集まり、「エルサレム神殿がある限り、やつらは何度もはむかう」として、エルサレム神殿を破壊したんです。 これで、宗教で統率されてすごい力を持っていた弱小民族の力が殺がれた。 多くは虐殺されたが、残った人は世界各地に散らばり、一部は日本にもやってきてアテン教に似た神道を作った。 あと100文字弱。。。 >宗教って何!?正体は!? 支配・統率です。
知人で30代処女の方が約3名おります。 宗教には入っていません。 みんな中部出身のネラーです(マジ大変)。どうすればいいんですか? ダミーサークルに入らないですむ方法はありますか>
- lv4u
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>>宗教の価値・魅力って何ですか? 例えば、若くて、健康で、(女性なら美人でスタイル良くて)、頭が良く、実家が名門の裕福な方であれば、「宗教なんていらないよ」と感じる方が多いと思います。もし宗教に勧誘する方が来て、「神様を信じれば、幸せになりますよ!」と言ったとしても、その人がみすぼらしくて、貧乏そうで、頭悪そうであれば、「私は、今現在が幸福ですよ。少なくと貴方よりはね!」って言って追い返すことが多いでしょう。 ただ、どうしても、人間である限り、病気や家族の不幸や経済的に大きな変化(会社倒産、リストラ)、事故、犯罪被害にあうとか、そういう不運を運良く免れたとしても、「老い」と「死」は確実にやってきます。特に、女性の場合は、「老いにより失われる美」は、男には想像できない苦しみかもしれません。 そういうとき、人は、不安や恐怖を感じて、何かにすがりつきたくなるもんです。そして、その時に救ってくれるのが「宗教」です。 体が病気になったとき、病院に行きますが、心が病気になったときの「心の病院」とでもいえるかもしれません。 なお、前世等に坊さんとか巫女をやっていたような一部の方は、霊感が強くて、常にあの世の守護霊と会話していたり、天照大神とか天台智顗からお言葉を頂いたりが可能だったりするので、そういう人にとっては、宗教の説くことは、極めて当たり前の日常茶飯事で疑う余地が無いことだったりします。 ただ、大多数の人は、そういう霊感が無いようにされていますので、宗教を「金儲けのためにやっているのだろう」「権力のため、選挙のためだろう」なんて思ってしまいがちです。まあ、実際に、世の中の90%以上の宗教は、そういう「悪い宗教」に分類されるというのも事実だとは思いますけど・・・。 >>数学上ルール化され、1の次が2、2の次が3だと、あるいは、犯罪が悪いことだと我々が疑いなく思い込んでいるように、信者の宗信者の宗教に対する信心・忠誠は、それと同じようなものなのでしょうか?どういう心理なのでしょうか? やはり、信者の信心・忠誠はいろいろだと思います。入信して1年目の人と、20年目の人では違うでしょうし、同じ信仰歴が20年のものどうしでも、差があると思います。教団のために、ほぼ全てを犠牲にするような人もいれば、「茶飲み友達のいるサロン」というような人もいるでしょう。もちろん、宗教によって、その幅はいろいろだと思います。葬式仏教のように、形式のみで宗教色が薄いところから、政治・軍事・宗教が一体のイスラム教のような強固なものまでありますね。 >>どのように捉えてよいのか、以前から距離の置き方がよくわかりません…。 宗教は、家庭生活や社会人として生きていく上での、価値観の提供、ガイドライン、心の持ち方、考え方を与えてくれます。たとえば、学生時代は優等生だったけど、経済状況が悪く、就職先がブラック企業しかないとかいう場合、そのことをについて、どのように考えれば良いかとか、女性で、結婚したけど、相手が浮気ばかりするとか暴力ばかりふるうというとき、どうすればいいか?なんて(良い宗教なら)アドバイスをくれたりします。 欧米は、資本主義であっても、その根底にはキリスト教の精神があったりするのですが(最近は疑わしいけど・・・)日本では、資本主義にそういう宗教的な部分が無いので、犯罪的・非倫理的なことがまかり通ったりします。そういうときでも、宗教的な価値観を持っていると、たとえ上司や社長命令であっても、「私の宗教信条に照らして、そんな不当なことはできません!」なんて言うことが可能となります。つまりは、生きる自信とか勇気、価値基準を与えてくれますね。(昔の松下電器は、「松下教」のような雰囲気があったかも?パナソニックになってからは、そういうのが消えた?) ただ、宗教が生きる上でのガイドラインになるとはいっても、一般的に、世界宗教の寿命は2000年前後とされているため、イスラム教のように昔の戒律がそのまま生き残っているような宗教に所属すると、現代生活が極めてやりにくくなったり、外人と恋したために、首まで埋められて石を投げられて殺された王女のような悲惨な事例もあるので、「原理主義」が強すぎる宗教とは距離を取りたいところですね。 先日、慶応義塾大学のキャンパスが試験会場だったので、おじゃましましたが「ダミーサークルの勧誘に注意!!」って張り紙が掲示板にありました。変な宗教に入信すると、経済的にも大変なことがありますし、結婚のときに大きな障害になります。 もし宗教に入る場合、普通の社会人の常識からみて、「大丈夫な人が多いか?」など、十分にチェックすることが大切ですね。
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