技の極意なんぞ詠んでません。
惣角が日本刀を抜いて斬り合いをしたり、表面上の武士を気取り、大小二本を帯刀して武者修行する姿を憂い「もう剣術の時代は終った。刀を使わずに身を立てなさい」と諭す意味で、元会津藩家老・西郷頼母(明治維新後は保科頼母と改名、改名前は西郷頼母近悳。後世、保科近悳とも呼ばれる)が惣角に与えた一首です。
「刀を使わずに身を立てる」とは、つまり「刀を捨てて、柔術で身を立てよ」と言っている訳です。
なお、惣角と西郷頼母の関係は、惣角が福島県白川で武士くずれの労働者と喧嘩の末に三人ほど斬り殺した事件で、元会津藩主・松平容保が特別弁護人で法廷に出廷し、松平容保の口添えで死刑を免れた、と言う事件が縁です。
西郷頼母の主君だった松平容保は、惣角にとって命の恩人である訳で、松平容保の家臣だった西郷頼母の言葉は、惣角にとっては命の恩人の言葉に等しい訳です。
もし、松平容保が弁護してくれて命が助かった件が無ければ、惣角は「ただ立ち寄っただけの神社の宮司の言う事」など、聞く耳を持たなかったでしょう。
因みに、保科近悳が惣角にこの一首を与えたのは、保科近悳が霊山神社の宮司をしていた時で、惣角が諸国武者修行の途中に神社を訪ねた際に与えました。
近悳が宮司をしていたのは明治22年から明治32年なので、維新後20年以上経ってからの話ですから、近悳でなくても「いまさら剣術?」って思うのは当然でしょう。
なので、保科近悳は惣角の先生でも何でもありません。「偶然に立ち寄った神社の宮司で、時代遅れだと惣角を諭しただけの人物。但し命の恩人の元家臣」です。
一派の内側に居ると、惣角無敗伝説とか、生き方を諭しただけの一首が技の極意にされたりと、真実が歪んで伝わります。
2~3歩後ろに下がり、視点を「外側から客観的に見れる位置」に引いて「何が真実か」を見極める必要があるかと思います。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 作家津本陽氏の「武田惣角伝」の中の和歌でしたが、10年以上も前から、意味を知りたいと思っていましたので感激です。 chie65535さんは、歴史に詳しいですね。ご縁がありましたら、これからもよろしくお願いいたします。