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但馬皇女は川を渡ったか?

万葉集巻第2 116番 人言を繁み言痛み己が世に 未だ渡らぬ朝川渡る 但馬皇女はひとりで穂積皇子に逢いに行ったのでしょうか? 明けやらぬ時刻の、女(しかも高貴な身分の!)の一人歩きは、この時代可能だったのでしょうか? ちょっと想像が及ばず、お力をお貸し頂きたく投稿致します。 このうた、学生時代に目にして、何だかドキドキした記憶が濃厚です。 朝霧の川辺に、それなりに身をやつしたとしても高貴な衣の女性が、 衣の裾をからげて冷たい水を踏んでゆく。。。。 うーーん、、、、きれいです。。。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • kyuki-ha
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回答No.1

こんにちは。 ご質問に対する答えにはなっていないのですが・・ 秋田書店ボニータコミックス『眉月の誓』第4巻(長岡良子)の12頁に、但馬皇女が穂積皇子に逢いに行くシーンがあります。今、見返してみましたら、確かに、裾をからげて川を越えています。ただ、これは、皇女の夢の中~願望という感じで描かれていますが・・ 藤原不比等が主人公のマンガですが、もしよろしければご覧になって下さい。(古本屋さんでは今でもあると思いますので)

noname#122427
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私はいわさきちひろの挿絵で「万葉のうた」と言う絵本を読みました^^ でも、そもそも穂積皇子と男女の関係に在った上でのうたかも怪しい部分もあります。 妄想がてんこ盛りです。。。。苦笑 第一、「川を渡る」にしても橋を通ったかも知れません。 川と言っても普通の小河川なら「衣をからげる」では済まないとも思うし。 となると、川伝いに水際を踏んで行ったのか。 湧き水に程近いような、本当に小さな小川だったのか。 川ではなく水たまりだったのか。 従者が居たなら想像図も静けさを消すし、ぶち壊しだなあ、とか。。。笑 額田王と大海人皇子の「あかねさす。。。」「紫の。。。」のうたが、 恋のうたでなく、まつりや奉納のうたであると言う側面/説もあります。 そもそもの、恋歌か?それともまた別種?も気になる。 当時の風俗として、夜明けの女性の一人歩きの危険度は? 高貴な女性の場合でも、逢い引きに一人で行くものか? 供が付いたなら男性従者と女性従者、どちらの場合が多かったのか? 武芸に長けた頼りがいのある女性従者は存在したのか? (ファンタジーではよくありますよね。  普段はたおやかな女官が、戦時には髪を束ね男装で華々しく、、、って^^) ご存知でしたらご教授ください。