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甲種飛行予科練習生についての質問
甲種飛行予科練習生についての質問 現在私は甲種飛行予科練習生の四期生について調べています。しかし、八割方の方が戦死されているためか、四期生の方を取り上げた資料や書籍、ウェブサイトなど殆ど見つからないのが現状です。 甲種予科練四期生はいつ入隊し、いつ卒業し、いつ昇進(いつ二飛曹に、いつ一飛曹に……、いつ少尉に?)したかなど知っておられる方がいらっしゃりましたら是非ご教授ください。また、参考図書など有りましたらお教え願います。
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第四期甲種飛行予科練習生は、1939年(昭和14)4月1日霞ヶ浦海軍航空隊(霞ヶ浦航空隊飛行予科練習部)入隊。教育期間は1年6ヶ月。卒業後、横須賀鎮守府付87名中47名死亡。呉鎮守府付64名中55名死亡。舞鶴鎮守府付36名中18名死亡。佐世保鎮守府付58名中51名死亡。総計245名中171名死亡。 資料=甲飛会事務局作成「甲種飛行予科練習生戦死没者一覧表」(昭和41年作成・昭和42年再調査) 進級に関しては、入隊と同時に海軍二等飛行兵、1ヶ月目に一等飛行兵、3ヵ月後に上等飛行兵、半年後で飛行兵長。飛行兵長で卒業後飛行練習生。同教程中に二等飛行兵曹(二飛曹)~上等飛行兵曹をへて練習航空隊の専修学生(選修学生)として約1年間高等学術技能を修得し飛行兵曹長(飛曹長)。という流れですが41年12月の真珠湾攻撃時は二飛曹として参加。(甲一・二は一飛曹)終戦時は飛曹長。 甲種予科練に関して最もコンパクトにまとまったものとしては、福本和也『ああ甲種予科練』(徳間文庫)があります。
お礼
本当にありがとうございます。知りたい事がいっぺんに分かりました。甲飛では四期が開戦までに教育課程・専修過程を修了した最後の期なのですね。 今の感覚でいえば終戦時でも四期の彼らはだいぶ若いですが、このように多くの方が戦死されていて心が痛みます。