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…{{φ}}…は集合ですか?、{{{……}}}は集合ですか?
1は自然数 1+1は自然数 1+1+…は自然数でない 1は実数 1.1は実数 1.1…は実数 {1}は集合 {1,1+1}は集合 {1,1+1,…}は集合 {1}は集合 {1}∪{2}は集合 {1}∪{2}∪…は集合 φは集合 {φ}は集合 {{φ}}は集合 …{{φ}}…は集合ですか? つまり、"{"と"}"という記号を、外側に付け足していったときの集合列の極限は集合ですか? 次に、φを{ }と書くことにすると、 { }は集合 { { } }は集合 { { { } } }は集合 { { { …… } } }は集合ですか? つまり、"{"と"}"という記号を、内側に付け足していったときの集合列の極限は集合ですか? 集合であるとしたらなぜか、同じ集合なのか、どういった集合なのか、なども含めて、専門的に教えていただけるとうれしく思います。
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1/0=∞ なんかは、私はガンガンつかっています。それが便利良いので。 矛盾がありません。矛盾がなければ使ってよいです。 ∫δdx=1 なんか、自分の量子力学の中でガンガン使った。 そのほうが便利良いからである。 のちに、超関数論学者が、理論付けを行って 今では、認められている。 物理学者Diracの先を見越した数学的センスに驚かされる。
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
ANo.12についてです。 stomachman間違えました。いや失敗、失敗。確かにANo.10へのコメントで仰ったとおり、 ∩[n∈N]∪[k≧n]A[k] = φ ですね。 集合の列C[1],C[2],...において、全体集合Ω=∪[n∈N]C[n]が存在すれば上極限・下極限がある。で、もし ∀j∀k(j≠k → C[j]∩C[k]=φ) であれば limsup[n→∞]C[k] = ∩[n∈N]∪[k≧n]C[k] = {x| ∀n∃k(k≧n ∧ x∈C[k])} = φ liminf[n→∞]C[k] = ∪[n∈N]∩[k≧n]C[k] = {x| ∃n∀k(k≧n → x∈C[k])} = φ ∴ lim[n→∞]C[n] = φ となるのは当たり前でした。 なので、…{{φ}}…を測度論におけるlim[n→∞]A[n]の意味だと定義すると、 …{{φ}}… = φ ですな。 同様に、 p[n]={x| x∈実数 ∧ 1/(2n)>|x - (n+1)/n|} なんて場合でも、この意味での極限は lim[n→∞]p[n]=φ となる、そういうたぐいの極限ではありますが。 ここでlimsupの {x| ∀n∃k(k≧n ∧ x∈C[k])} が意味を持つのは、分出公理 ∀Ω∃u∀x(x∈u ⇔ x∈Ω ∧ P(x)) においてP(x)として∀n∃k(k≧n ∧ x∈C[k])を使い、 Ω = ∪[n∈N]C[n] としたものに他ならないから。liminfも同様で、Ωの中からP(x)に従って要素xを拾い出すことによってのみ、上極限・下極限が構成される。つまり、Ωの部分集合以外の集合を構成する手段は入っていないんで、上極限・下極限はΩの部分集合に限られる。測度を測るのが目的ならそれで足りる、ってことでしょうし、また、たとえlimsup, liminfの定義を変えてΩの要素以外の要素を何か持ち込もうとしても、それを取ってくる場所、すなわちΩを拡張した「全体集合」を定めようがない。 なんか、ラッセルのパラドックスを修理した傷跡を、とんでもない方向から突かれた感じですねー。
- alice_44
- ベストアンサー率44% (2109/4759)
…{{φ}}… は、標語的な記号であって、それ自体は意味を持ちません。 意味を持たせるためには、意味を定義してやらないと。 その定義のしかたが No.10 お礼 のようであれば、仰るように lim[n→∞] A[n] = φ となるでしょう。 これは、たいへん直観に反することですが、その原因は、 lim の定義のほうにあります。 A[n] の定義のほうは、No.1 お礼 以来のソレで異論は出ないでしょう。 集合列 A[1], A[2], A[3], A[4], … を φ, { A[1] }, { A[2] }, { A[3] }, … と書いてみれば解るように、 A[n] は、n 毎に異なる元を持つ一元集合の列です。 こんなものが収束するとは、ちょっと考え難い。それが収束するような 極限概念は、日常扱っているユークリッド空間などでの極限概念とは 大きく異なるもので、そのことを理解して扱わなければなりません。 No.4 お礼 に、イプシロン-デルタ論法のことがチラッと出てきましたが、 一般位相での収束を考えると、lim[n→∞] A[n] は発散するという 議論にしてしまうこともできるのです。 (lim の定義が違うので、先とは結論が異なります。) やってみましょう。 集合列 A[n] は、自然数で添え字付けられているので、可算です。 よって、集合族 { A[n] | n は自然数 } は、ひとつの集合 (集合の集合) になります。この集合に位相を導入するのですが、 ベクトル空間をみればユークリッド位相を入れてみたくなるように、 集合族をみれば離散位相を入れたくなるのが、人情というものです。 で、{ A[n] | n は自然数 } またはコレを部分集合に持つ何らかの集合族 に離散位相を入れたものの上でイプシロン-デルタ論法を行うと、 lim[n→∞] A[n] は発散しています。これが、直観に沿う結論です。 人情に反する定義を行えば、直観に反する結論が得られるのは当然です。 とは言え、No.10 お礼 にあるような集合列の極限の定義は、 測度論ではアタリマエに使われるものです。 なぜ、このような不自然な極限を導入するのか? 「全ての集合の集合」を考えることができないことと関わるのですが、 この点を語り始めると余りにも話が長くなるので、この辺で逃げ出します。
お礼
ありがとうございます。 alice_44さんのおっしゃることには納得です。 今回の質問は、Frequently Asked Questionsの一種とも思っております。 スタンダードな回答がある一方で、少数派の回答もあり、それには多少の自由性もある。 0.999…=1 とするのがスタンダード数学で、 0.999…≠1 とし、無限小に意味を持たせるのが超準解析。 0^0は定義されない とするのがスタンダード数学で、 0^0=1 とするのが、級数で形式的な表記をする数学。 1/0は定義されない とするのがスタンダード数学で、 1/0=∞ などとするのが、一次分数変換で便宜的な表記をする数学。 1+2+3+…は発散する とするのがスタンダード数学で、 1+2+3+…=-1/12 などとするのが、ゼータ関数で便宜的な表記をする数学。 1-1+1-1+1-1+…は発散(振動)する とするのがスタンダード数学で、 1-1+1-1+1-1+…=1/2 などとするのが、チェザロの総和で便宜的な表記をする数学。 …1111は発散(振動)する とするのがスタンダード数学で、 …1111=-1 などとするのが、p進数で便宜的な表記をする数学。 …{{φ}}…は定義されない とするのがスタンダード数学で、 …{{φ}}… に何らかの意味を持たせて活躍させようとしているのが今のボク。(冗談)
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
ANo.10へのコメントについてです。 > 0 := {} > 後者関数を a → {a} > と定義し、 > 0 := {} > 1 := {0} = {{}} 「外から付け加える」操作はいつまで経っても終わらないんで、これじゃ自然数全体は作れない。自然数全部の集合Nが存在することを「無限公理」 ∃a((φ∈a)∧∀x(x∈a→{x}∈a)) で保証してやらねばなりません。 さて、この自然数の構成法に従えば、当初のご質問は「lim[n→∞]nは?」と同じだってことです。答は明らか。 > まず、上極限は、 > lim^(-)[n→∞]A[n] > =∩[n∈N]∪[k≧n]A[k] … > =φ はてさて、どこからφが出てきたんでしょ。じっくり計算なさるべきかと。 > 空集合に対して後者関数という作用をずっと続けていけば、結局は今まで知らなかった新しい空集合に近づく 勘違いです。それに「外延の公理」を勉強しないとね。
お礼
ありがとうございます。 > 0 := {} > 後者関数を a → {a} > 自然数全部の集合Nが存在することを「無限公理」∃a((φ∈a)∧∀x(x∈a→{x}∈a))で保証 > さて、この自然数の構成法に従えば、当初のご質問は「lim[n→∞]nは?」と同じだってことです。答は明らか。 すみません。僕にとって答えは明らかではないのです。 その自然数の構成法で、自然数全部の集合Nを、記号「…」を用いて明示すると、 N={0,1,2,3,…} ={{},{{}},{{{}}},{{{{}}}},…} ここでは、 …{{}}… などというものはでてきません。 No11さんがおっしゃるように、 結論:…{{φ}}…と言う記号は意味を持たない というのには普通には同意します。 しかし、記号には魔力があるといいますか、数学では記号を上手に用いることで発展し、定義にとらわれない意味を見出せることがよくあります。 微分をdy/dxと分数表記したり、虚数i^2=-1やp進数…111を考えたりするなど。 今回の質問は、数学的定義に基づくものでなく、雑談的なもので、 …{{φ}}…と言う記号に意味があるなら、何を意味しているか、というものであります。 上記のstomachmanさんの内容からは、象徴的に、 ∞=…{{}}… とでも書けるのでしょうか? そして、∞が自然数でないのと似た感覚で、…{{}}…ももはや集合ではないと。 でも∞は数ではないけど無限遠点といった意味づけが出来るように、 …{{}}…も集合ではないけど、何らかの意味を見出すべく研究したいと思います。(冗談) 僕としては、集合列の極限(上極限と下極限が一致したときの集合)と考え、それはφになると計算したのですが、 stomachmanさんはそれを計算違いだとおっしゃいます。それにはまだ納得できていません。 次に、 {{{ …… }}} と言う記号に意味があるなら、何を意味しているか? これに後者関数としての意味を与える方法を思いつきません。 また、ZF公理系の正則性公理(基礎の公理)により、 x ∈ x や,x1 ∋ x2 ∋ x3 ∋ ・・・ が存在しないようなので、意味を考えることはまったくの無意味と思うようになりました。 「基礎の公理の成り立たない集合論 (non well-founded set theory) について」という題名のネット上の文章によると、 それは「とんでも数学」とのことです。
補足
あと、僕がNo.10の補足で、 lim[n→∞]B[n]∈lim[n→∞]B[n] と書いたことは間違いでした。
- graphaffine
- ベストアンサー率23% (55/232)
休日の時間つぶしに、考えてみました。 「集合列の極限」と言う言葉を、精密に検証してみます。 まず、極限には、数列の極限と集合列の極限がある。 これらの違いは、前者には距離が定義され、近づくと言う直感的な言葉が意味を持つことである。さらに、数列とは自然数の集合という順序集合からの実数への写像であることが本質的である。 それに対して、後者は射影的極限や機能的極限などの集合列の特定の 極限の総称であって(この場合、前者と対比すれば、距離の概念と無関係であり、また、順序集合と限らない一般的な集合からの集合の領域への写像が集合列)、一般的な「集合列の極限」と言う言葉は存在しない。 結論:…{{φ}}…と言う記号は意味を持たない。意味があるというなら、その意味と存在を示す必要がある。
お礼
ありがとうございます。 ご回答の内容は理解しにくく思いまして、自分が考えたことを述べさせていただきます。 … という記号は、人間の思考としてとても素直で、 1=0.999… 集合N={1,2,3,…} などは小学生でも理解できると思います。 しかし、解析的には、無限級数を慎重に扱うために、…記号を使うのを避けて、極限や収束の概念として、∀などの論理記号で説明されるようになったと思います。 集合論的には、無限集合を慎重に扱うために、…記号を使うのを避けて、数学帰納法の概念として、∀などの論理記号で説明されるようになったと思います。 それでも、形式的ベキ級数が関数としては発散して意味なくても係数列に意味があったり、…111というものには実数としての意味はなくてもp進数としての意味があったりするように、 …{{φ}}…というものには集合としての意味はなくても(?)、何らかの意味を見出すべく研究したいと思います。(冗談)
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
いっぺん整理します。 まず、「lim」の記号は、「ある列の極限」という概念を定義した上でその極限(が存在する場合にそれ)である集合を表す記号として導入される。だから、「lim」を使って極限を定義するというのは本末転倒の循環論法ですんで使用禁止。つまり、 > lim[n→∞]A[n] > とは何か? というのが(単なる詩的表現としてならともかく)問いの立て方としては既にナンセンスである。また、数や関数を定義している基礎論の理解がそもそも怪しいんだから、数や関数やそれらのなす位相空間のアナロジーでものを考えるのも禁止。 さて、「極限」がどういう意味であれ、少なくとも、「外側に付け足す」操作で別の集合を作り出し続けられるうちはそれは「外側に付け足す」操作の「極限」ではない、ということだけは確かだろう。 一方、任意の集合sについて、sは集合だから{s}も集合である。さて、もし{s}≠sなら、sに「外側に付け足す」操作を施してsとは別の集合{s}を構成できるということである。だからsは「外側に付け足す」操作の「極限」ではないに違いない。 ゆえに、もし「外側に付け足す」操作で作られる集合の列に何らかの意味で「極限」sが存在するのだとすれば、それは少なくとも{s}=sを満たすモノでなくてはならない。 と、ここまでは仰るところの「極限」の詳細に踏み込まなくても言える訳です。(推測ですが、ANo.1がほとんど即座に出されたのは、以上のような背景があってのことだろうと思います。) ところで、{s}=sなる性質を持つものsを、ZF公理系が「こういうやり方で作ったものは集合だ」と認めるやりかたで構成することは出来ない。言い換えれば、sが集合なのかどうかをZF公理系を使って判定することはできない。でもここんとこは、基礎論をガッツリ勉強しないと納得行かないだろうと思います。(ご参考までに→ http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3290945.html ) なお、この手の話になるとスカタン言う人がどっさり居ることにはお気付きでしょう。ただしスカタン言う人がスカタン野郎だとは限らなくて、数学がとても出来る方でも、余りに基礎的な部分は案外勘違いしてたりする。そういう事情なんで、ネットを漁ってタダで資料を手に入れようなんてしたら混乱するばかり。成書で勉強なさるべきですが、成書ですら中には危なっかしいものもあるようです( http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3948315.html )から、何冊か引き比べなくちゃいけません。
お礼
ありがとうございます。僕自身も整理してみます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%95%B0 によると、自然数の構成で、 0 := {} 後者関数を a → {a} と定義し、 0 := {} 1 := {0} = {{}} 2 := {1} = {{{}}} 3 := {2} = {{{{}}}} … と順に定義していくが、今ここでは、順に、 A[1] := φ A[2] := {φ} A[3] := {{φ}} A[4] := {{{φ}}} … と書くことにする。このとき、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%A5%B5%E9%99%90%E3%81%A8%E4%B8%8B%E6%A5%B5%E9%99%90 によって、lim[n→∞]A[n]を求めたい。ただし、任意の集合族に関して、その和集合をとれること、その共通部分をとれることは認める。 まず、上極限は、 lim^(-)[n→∞]A[n] =∩[n∈N]∪[k≧n]A[k] =(∪[k≧1]A[k]) ∩ (∪[k≧2]A[k]) ∩ (∪[k≧3]A[k]) ∩ … ={A[1],A[2],A[3],…}∩{A[1],A[2],A[3],…}∩{A[2],A[3],A[4],…}∩{A[3],A[4],A[5],…}∩ … =φ 次に、下極限は、 lim_(-)[n→∞]A[n] =∪[n∈N]∩[k≧n]A[k] =(∩[k≧1]A[k]) ∪ (∩[k≧2]A[k]) ∪ (∩[k≧3]A[k]) ∪ … =φ∪φ∪φ∪φ∪ … =φ よって、上極限と下極限が一致するので、 lim[n→∞]A[n]=φ 形式的には、 …{{φ}}…=φ 結局、題名の質問の答えは空集合になり、No.2さんだけが正解者ということになりましたが、どうなのでしょうか? 空集合を要素に持つ集合、を要素に持つ集合、を要素に持つ集合、…、と続けていけば、結局は空集合に近づく、という結果になりましたが、どうなのでしょうか? 例えるなら、2進法表示で、 0.111…=1 のように、無限の先に元に帰ってきた感じ。
補足
次に、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%95%B0 によると、自然数の構成で、 0 := {} 後者関数を a → a∪{a} と定義し、 0 := {} 1 := {0} = {{}} 2 := {0, 1} = { {}, {{}} } 3 := {0, 1, 2} = { {}, {{}}, { {}, {{}} } } … と順に定義していくが、今ここでは、順に、 B[1] := φ B[2] := {φ} B[3] := {φ,{φ}} B[4] := {φ,{φ},{φ,{φ}}} … と書くことにする。このとき、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%A5%B5%E9%99%90%E3%81%A8%E4%B8%8B%E6%A5%B5%E9%99%90 によって、lim[n→∞]B[n]を求めたい。ただし、任意の集合族に関して、その和集合をとれること、その共通部分をとれることは認める。 まず、上極限は、 lim^(-)[n→∞]B[n] =∩[n∈N]∪[k≧n]B[k] =(∪[k≧1]A[k]) ∩ (∪[k≧2]A[k]) ∩ (∪[k≧3]A[k]) ∩ … ={B[1],B[2],B[3],…}∩{B[1],B[2],B[3],…}∩{B[1],B[2],B[3],…}∩{B[1],B[2],B[3],…}∩ … ={B[1],B[2],B[3],…} 次に、下極限は、 lim_(-)[n→∞]B[n] =∪[n∈N]∩[k≧n]B[k] =(∩[k≧1]B[k]) ∪ (∩[k≧2]B[k]) ∪ (∩[k≧3]B[k]) ∪ … =B[1]∪B[2]∪B[3]∪… その上極限と下極限の表現は違っているが結果的に一致するので、 lim[n→∞]B[n]={B[1],B[2],B[3],…}=B[1]∪B[2]∪B[3]∪… 空集合に対して後者関数という作用をずっと続けていけば、結局は今まで知らなかった新しい空集合に近づく、という結果になりましたが、どうなのでしょうか? そしてこれは集合のはずなのに、禁断の性質、 lim[n→∞]B[n]∈lim[n→∞]B[n] を持つ気がします。 例えるなら、2進法表示で、 …111=∞ のように、無限の先に新しいものを見つけた感じ。 無限には魔物がすんでいて、今の僕はパニック中です。どなたか魔物をやっつけてください。
外側 lim …{{φ}}…={φ} n-∞ 内側 lim { { { …… } } }={ } n-∞
お礼
ありがとうございます。 でも、根拠を書いていただけるとありがたいです。
内側であろうと、外側であろうと、集合の集合は集合です。 無限回やったら無限集合
お礼
ありがとうございます。 でも、無限回ということを丁寧に論じないと危ない世界だと思います。
- stomachman
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●ANo.5のコメントについて。 > フィルターとかのあたりで挫折した もしかして超準解析学の基礎でもやったんですかね。必要なのはもっと基礎の話じゃないかと思いますが。 > が素直に飲み込めません。 > 極限状態で何かの性質が保たれないのはよくあるので。 てことはすなわち、「…{{φ}}…の極限」やら「極限状態」やらの文言が何を意味しているのかがはっきりしてないことこそが問題の本質だということでしょう。言い換えれば、仰るところの「極限」って何のことなのか、「lim」なんて記号を使ったりしないで(なぜなら、それじゃアナロジーに過ぎませんから)、きちんと書けますか、ってことです。 > 仮定する方針ではなく、実際に作ろうとしなければいけないと思うのです。 その通りです。だから作って持ってこいと言ったんですよ? > これは、x^2=-1となる「数」を実数に付け加えることと同じようなことなのでしょうか? 違います。s∈sなるsは「普通の集合」として構成されず、しかも無益だからこそ無害だ、と書いたはず。一方、個々の複素数、および複素数間の演算は、それぞれひとつの「普通の集合」として構成することで定義されます。 > …{{φ}}…となる「もの」も有益なのでしょうか? 何であれ、「もの」を定義(構成)できた場合に、その定義(構成方法)自体が「もの」の性質を、従って有益かどうかを、決めることになります。でも、仰る「もの」には定義が無いのです。 ●ANo.6のコメントについて。 > A[n] = {1/n^2} > B[n] = {x | 0<x≦1/n } えーと、ANo.6で出した例は A[n] = 1/n^2 です。右辺は有理数であり、ひとつの有理数はそれ自体が集合。もしここが飲み込めてないのなら、数に関する基礎をご存知ないということでしょう。 > すると、次の論証は間違いだと思います。 何が「すると」なのかよく分かりませんが、いやそれ以前に、「…」で例示するばかりで定義されてないものについては、本来論じようがありません。集合の列{A[n]} A[1] = φ ∀n(n∈正の自然数 → A[n+1] = {A[n]}) は帰納法(すなわち無限公理)によって構成出来る訳ですが、もちろん、{A[n]}に普通の意味での極限はない。(強いて実数列のアナロジーで言うなら、「発散」です。)それを敢えて「lim」と仰るのだから、独自の意味で仰っているとしか解釈しようがありませんね。で、その肝心の「lim」の意味が不明のままなんです。(ひょっとして、超準解析のアナロジーでお考えなのかな?)
お礼
ありがとうございます。 集合列の極限というのは、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%A5%B5%E9%99%90%E3%81%A8%E4%B8%8B%E6%A5%B5%E9%99%90 にある上極限と下極限が一致した場合の集合、と捉えています。 しかし、いままで頂いた回答の中で、それに基づいたものが見当たりません。 僕の中の根本がみなさんと違うのでしょうか? >えーと、ANo.6で出した例は >A[n] = 1/n^2 >です。右辺は有理数であり、ひとつの有理数はそれ自体が集合。 その主張にはズレがあると思います。 {1}があったとき、高校では、{1}は集合、1は要素といいます。 1自体を集合と呼ぶことはありません。 高校では、まずは要素ありきで、それらを集めて中カッコ記号でくくったものが集合と習います。 もちろん、集合の集合、集合の集合の集合、なども考えることが出来ます。 stomachmanさんは、ひとつの有理数はそれ自体が集合だとおっしゃいますが、ではその要素とは何ですか? もちろん、自然数、整数、有理数、実数などと構成的に数を作っていく中では、ひとつの有理数は集合と捉えることも可能です。 しかし、なんの前置きもなく、 集合A[n] = 1/n^2 と書かれるのには違和感あります。 それと、 lim[n→∞]A[n] = lim[n→∞]1/n^2 を考えるにあたって、集合列の極限と実数列の極限とをごちゃまぜにされていないでしょうか? 実数列の大小関係による順序集合としての極限と、集合列の包含関係による半順序集合としての極限とは区別しなければならないと思います。
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
ANo.4のコメントについてです。 数列をアナロジーに使うのは、あんまり良いアプローチではないように思います。 > 実数列a[n],b[n]に対して 実数列は、実数全体の集合Rという完備集合の要素の中での話ですが、集合列については「集合全体の集合」ってものはない。(あると仮定すると矛盾が出る。)そこが大きく違うところですね。 強いてアナロジーを考えるなら、有理数列の極限が存在しても、それが有理数全体の集合Qの要素ではない場合があることを思い出してみてはどうでしょう。ここでQに入っていなくても「極限が存在する」と言えるのは、その極限が1個の実数(つまりひとつの集合)として構成できるからですが、集合列ではそうは行かない。 > a[n]∈b[n] ならば lim[n→∞]a[n]∈lim[n→∞]b[n] a[n] = 1/n^2 b[n] = {x | 0<x≦1/n } ならどうでしょう。 > 集合列の極限の定義は上極限・下極限によるものは聞いたことがあっても、位相(?)によるものがどうなのか ご質問とは全然関係ないように思いますが?
お礼
ありがとうございます。 >> a[n]∈b[n] ならば lim[n→∞]a[n]∈lim[n→∞]b[n] >a[n] = 1/n^2 >b[n] = {x | 0<x≦1/n } >ならどうでしょう。 すみません、僕が書いたNo.4のお礼に大文字と小文字の取り違えがありました。正しくは、 集合列A[n],B[n]に対して、lim[n→∞]A[n],lim[n→∞]B[n]が存在するとする。このとき、 A[n]∈B[n] ならば lim[n→∞]A[n]∈lim[n→∞]B[n] は成り立つのか疑問でした。 A[n] = {1/n^2} B[n] = {x | 0<x≦1/n } とすると、おそらくlim[n→∞]A[n]=φ,lim[n→∞]B[n]=φで、 A[n]∈B[n] であるが lim[n→∞]A[n]∈lim[n→∞]B[n] でない。 つまり、上のことが成り立たない反例になっていると思います。 すると、次の論証は間違いだと思います。 A[1]=φ A[2]={A[1]}={φ} A[3]={A[2]}={{φ}} … とする。 このとき、 lim[n→∞]A[n] つまり、 …{{φ}}… は集合として存在するか? A[1]∈A[2] A[2]∈A[3] … より、lim[n→∞]A[n]が存在すると仮定すればそれをSとして、S∈Sが成立する。普通の集合ではS∈Sとはならないので矛盾。 つまり、 …{{φ}}… は集合として存在しない。
お礼
ディラックのデルタ関数など、物理学者のとっぴな発想には驚かされますね。 僕は、数学や科学や手品が好きなのですが、それらに共通しているのは、常識外の不思議が起きることです。 関数という概念も、僕が知る限り、次のようにさまざまな発想で広げられてきたと思います。 何かのものからある値が定まること 具体的な式でかけるもの 値域が数体である写像 陰関数 多変数関数や多価関数 形式的ベキ級数 多様体 超関数 ほとんど至るところ等しい関数 集合という概念も、次のようにさまざまな発想があるものと思っています。 素朴集合論 公理的集合論 選択公理を仮定しない体系 集合の要素がその集合に属している確率を考えるファジィ理論 すべての集合の集合というような概念を考えることができる圏論 ただし、詳細は不明ですが、区体論などのように、一歩間違えば「トンデモ理論」になることも多いです。 No.10でもあるように、数学がとても出来る方でもそういうことが多々あるという事実もあるものと思っています。 天才と狂気は紙一重の世界ですね。