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ボランティア
ボランティアとは、○○だ。 ○○の部分を教えてください。 経験がある無しにかかわらず、個人の意見・現象・事象としての見方など理由もあったらお願いします。。。
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こんにちは。 ボランティアとは、「よろこび」を伴うものではないでしょうか。 フランス語では「よろこんで!」と言う際に、 "Avec plaisir!"と同様に"Volontiers!"などと表現します。 そしてまた、ボランティアという行為においても、 自らの熱意、やる気、 殊に「本人の内面に湧き出るよろこび」無くしては、決して成り立たないはずです。 もしくは「自己満足」にかぎりなく近いかもしれません。 「こどもたちの/あの人の/まだ出逢ったことのない人の──よろこぶ顔が見たくて」 自らがそう望んで行ったりするのですから。 実際には、現場に赴くまでの段取り、移動、活動自体に、煩わしさを感じることも多々ありましょう。 けれども、 ボランティア活動後に、誰からともなく「お疲れ様」「ありがとう」の言葉を頂いた時など、 やはりうれしさが素直にこみあげてきて、たまった疲れもふきとぶことも、決して少なくないと思われます。 有償無償にかかわらず、ボランティアには、 「人」という文字の如く「共に支え合い生きていく=共生」 に対するヒントも包含していることでしょう。 そしてまた、きっかけが「自発的」か否かが問題なのではなく、 行為そのものに意味があるものと考えております。
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- nahaha55
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ボランティアとは、無料だ。 タダが基本で、1円でも報酬があるとボランティアではないようです。 又、資格免許が必要な現場で、素人がしゃしゃり出て余計な事すると、 ボランティアは、迷惑だ。に変わります。
お礼
個人の報酬より、働く目的やその結果が利他的であること。 タダと聞くと、お金の絡まない純粋さ・意思の強さで事をなし得る感じがします。 タダと聞くと、お得感も浮かびます。。。 報酬を無くして、一生懸命に働き・時間を費やせれば、人生の経験として、“お得”なのかも知れません。 ありがとうございました。
- ENERGAIA
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ボランティアですよね。ボランタス(自由意志)が変わって、 「自発性に裏づけられた奉仕者、篤志家を意味するものであった。」 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2/ ということのようですね。 単なる志願ということであれば、ボランタスでよいのではないですか。 ボランティアの本来の意味も、今と大体同じようですね。 「人(他者)がやりたくない・やりたい(ことをやる)」と、ボランティアは関係ない...ですよね 奉仕(ほうし)は、報酬を求めず、また他の見返りを要求するでもなく、無私の労働を行うことをいう。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%89%E4%BB%95 であれば、通常、「無償」ということになりますな 御礼されるケースもあるでしょうが...
お礼
詳しい資料をありがとうございます。 時代によって、ボランティアの意義・在り方が変わってきたのが良く分かりました。 昔は、個々の無償の奉仕が当たり前のボランティア世界であったのが、現代では企業や団体が、より即戦力となるように主体となって実践しているのも、世の中のスピーディな変化や合理化に伴ったものなのでしょうね。。。 私が学生の頃には、聞いたこともありませんでしたが、今では、大学にボランティア学科があるほどですから…。 いろいろと気づき、学べました。 ありがとうございました。
- taco8ch
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ビジネスだ。
お礼
どんな意味からでしょうか?ある側面からは、そうである、と思います^^ ありがとうございました。
- OtamaFJ
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ボランティアとは「仕事(社会的活動なら何でも)」です。 私は有償ボランティアの気持ちで、会社に勤めております。 あなたも会社に勤めているなら、それはボランティアです。 人間は、お金のために働いているわけじゃないでしょう。 助け合うために働いているのですから。
お礼
自分を取り巻く社会、人々、行う事柄(仕事)、結果、、、全てのことに優劣なく、自分が属する世界の出来事ととれば、働くことは、生きていること(生きる証)なのでしょうね。 ボランティアが命の糧を得るためでなく、生きがい・生きるための習慣であることを、助け合うことが特別なことでないことを確認できました。 ありがとうございました。
- kigurumi
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ボランティアですか? 志願って意味です。 他人に強要されてやるんじゃなく、自らの意思でやること。 例えば7月4日に生まれてって映画で、主人公は「僕 ボランティアなんだ」と他の兵士に言ったら、他の兵士から唖然とされてた。 志願兵って意味です。 国を守ることを志願した兵士って意味です。 無料じゃなく、ちゃんと給料がでます。 ボランティアというのは無償って意味じゃないので。 で、日本ではなぜか、無料で労働をするって意味で使われている。 だから、本来の意味のボランティアの場合(人がやりたくない仕事を率先してやる)は、有料ボランティアって 名称になっている。 例えばサービスってありますよね。 本来はサーブですから、、、なんだ 配るとかそういう意味? で、メーカーのサービスマン(修理・メンテナンスをする人)に対して「サービスだから無料じゃないのか」とか言う人います。 まぎらわしいので、サポート という名称に変えてますね。 ボランティアもサービスも こうなると和製英語。
お礼
志願という意味ですね。。。確かに! この自主的にことをなそうとすることが、どうして、特別な(無償の)労働にすり替わってしまったのでしょう? 私の会社にも、最近、学生ボランティアの人たちが来ていますが、お昼に話を聞いてみると、“経験としてやってみたかった”これは、まだよし、“内申書が良くなるから”“春休みで暇だから”といった人もいました; 自分から、知りたいとか、してみたいとか“興味”がボランティアの真髄で、それを一生懸命することで、自分の使命のように感じるようになることなのかも?知れませんね。 ありがとうございまいした。
- ENERGAIA
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ある人が「私の行為はボランティアだ」と言ったとして、ほかの言葉にすると 私の行為は善だ 奉仕だ 無償の行為・愛だ と自分で言うことになります。 それらは口にして行うものではないでしょう。「ボランティア」という看板の元に行うものではないでしょう。 少なくとも自分で言ったり、特に意識したりして行うものではないでしょう。 意識した時点でそうではなくなります。 誰か他者の無償の利他行為を見て、「彼はボランティアをした」とは通常言いません。 というわけで ボランティアとは 欺瞞・偽善だ。
お礼
目からウロコ、といった感じです。。。 ボランティアというものさしで、人間を測ることは、確かにでき得ないのでしょう。 奉仕することが自分の肩書きだったり、自己満足の範囲の出来事なら、行うことに意味はないですね。 ボランティア、という言葉があるためにそこに付随してしまう人の心があるのだと思います。 ボランティア=無償・利他的での人・危機的状況の手助け、というイメージこそが一人歩きをし、よい面・悪い面、美しい側面・醜い側面などを併せ持つ人の心や考えにスンナリと受け入れられず、ある種の歪を生んでしまうのかも知れません。 欺瞞・偽善とまでは思いませんが、美化され、崇拝されるべき権力だ、というような一面も覗けます。 ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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ボランティアとは、「基本」です。 原始共産制だけでなく、今でも家庭内においては、無償の助け合いが行われています。 元々の社会生命性(分業化・組織化)の発達において、その自己の生命性の拡大を把握できる認識の深まり(他我性=愛)を怠り、その“自己チュー”な意識をして社会行動をとらせるために、貨幣や権力などの“馬車馬の目の前のニンジン=他律的な社会的価値”を発達させたのです。 しかし、その“修正主義的社会システムには、“助け合っているはずの社会を、お金や地位を奪い合う弱肉強食のジャンル”に変え、マネーゲームへの偏向や精神的荒廃などの歪みを生じる欠陥、その発達の当初からがあり、宗教的な奉仕活動や社会保障など、補完的システムが伴っていました。 ところが、更なる社会性の発達において、経済原理主義ともいえる拝金主義の蔓延により、社会的歪みは増大し、投機とバブル崩壊の連鎖や自殺者の激増など、社会的荒廃を招いたのです。 宗教的モラルや地域コミュニティによる文化的伝承の劣化する中、個々人の社会生命的自覚による補完=ボランティア活動や生産の協同労働化が重要になろう。
お礼
無償・利他的な活動は、思いやり・愛などの基盤があってこそ、、、 最も小さい基本集団である家庭内にあっての無償の助け合いは、血筋、血統の域を超えて、社会に反映されなければいけない…そこには、人類愛・自愛(人間をどれだけ理解し、好きになり、自信を持てるか)にも通じるものがあるように思えます。。。 基本を忘れ、確認を怠る社会は、健全でない姿なのでしょう。 >個々の社会生命的自覚による補完 自分の立場・使命を認識するとともに、何の都合も持たない純粋な起動力(やる気)を哀れみや同情の上から目線でなく、自分を含めた世界の一部としての基本活動に当てて欲しいですね。。。 ありがとうございました。
- cowstep
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奉仕(理由。説明不要)
お礼
正に、そう、、です。。。 ありがとうございました。
お礼
こんにちは。 よろこびを伴うもの、この言葉を聞いて私の“自己満足”の範囲の捉え方が実に狭かったことに気づかされました。。。 そうですね、相手の喜びが自分の喜び、これも自己満足の一部ですね。 自己満足という言葉に、自己中心的な印象しかありませんでしたが、それとは、逆の自己満足を心に秘めることで、奉仕が単なる労働では、なくなるのが分かる気がします。 共生といえば、誰もが同じ価値の命を与えられているにもかかわらず、貧しい国や・戦争の絶えない国などに生まれてしまっただけ、ある意味不運としか言いようのない人たちを助ける国際ボランティアなどが思い出されます。 また、この共生が(人だけでなく、動植物とも)奉仕の行為そのものに大きな意味をもたらすものなのかも知れませんね。。。 ありがとうございました。