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ボランティアは偽善ですか?

皆さんは「ボランティア」というものをどう思いますか? 偽善、自己満足など、マイナスイメージを持っていますか? 持っていないとしたら、どのように捉えていますか? 念のため、個人的にはボランティアというのは、内容にもよりますが良いことだと思います。 自分でもやることはありますし、それを否定したい意図はありません。 ※自分なりの回答は持っていますので、単純にどう思うかをお教えください。 主観的な部分が大きいので、ベストアンサーは選ばないつもりです。 よろしくお願い致します。

みんなの回答

回答No.15

 悪いことだとは思わないが、自己満足であるとは思っている。  わたしにとっては「自己満足」は必ずしもマイナスイメージではない。マイナスイメージを持つとすれば、逆に「私たちの活動は自己満足なんかじゃない」と主張してしまうような人たちでしょうか。そういう人たちって「自分たち(だけ)が正義」であり、「自分たちに疑問を持つものは悪」って態度になってしまうものが多くてね。

noname#142124
質問者

お礼

>悪いことだとは思わないが、自己満足であるとは思っている。 >「自己満足」は必ずしもマイナスイメージではない。 突き詰めると、善行っていうのは全て自己満足に行き着くのかもしれないですね。 自己満足で救われる人がいるなら、それはそれで善と呼べると思います。 >マイナスイメージを持つとすれば、逆に「私たちの活動は自己満足なんかじゃない」と主張してしまうような人たち これは確かに嫌ですね。過剰に手柄や自分の善意をアピールするような人たちは、何だか間違っていると感じてしまいます。 ご意見ありがとうございました。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.14

>皆さんは「ボランティア」というものをどう思いますか? やっている人は偉い! ほぼやっていない私が言っていいのはこれしかないと思ってます。

noname#142124
質問者

お礼

>やっている人は偉い! >ほぼやっていない私が言っていいのはこれしかないと思ってます。 これは分かりやすいですね。 私も初めてボランティア活動に参加したときには、「この人たちすごいなぁ」と思ったものです。 精々ジュースが配られるくらいの場で、どこからあんなパワーが出てくるんだろう、と考えてしまう私はそういう域にはまだまだ遠いようです。 ご意見ありがとうございました。

  • Lupinus2
  • ベストアンサー率26% (1802/6710)
回答No.13

ボランティアを行う理由について、一言で表現できる日本語を知りません。 あえて言うなら「自己も満足」です。 自己満足という言葉には否定的イメージがあります。 他人のことを考えずに、自分だけ満足しているといった。 場合によっては相手は迷惑しているかとも思えるような。 私が言った「自己も満足」は、上記のような自己満足ではありません。 自分も満足し、相手にも喜ばれる。 困っている人は、助けてもらって嬉しい。ボランティア参加者は、喜んでもらって嬉しい。 私の好きな言葉に、「義を見てせざるは勇無きなり」というのがあります。 困っている人がいる、自分にはそれを助ける力がある。そこで見捨てるのは、勇気の無い者です。 勇気が無いって、かっこわるいじゃないですか。 人を助けるって、かっこいいじゃないですか。 私はかっこよく生きたいです。 そういう意味では、たしかに自己満足です。 ボランティアというと、災害や地域活動などが思い出されますが、 それだけではないと思っています。 私は整備士免許を持っているので、道端でトラブっている車、バイクがあれば、とりあえず声をかけます。 車には牽引ロープを積んでいるので、スタックした車があれば引っ張ってあげます。 今までに4台引っ張りました。 日本赤十字の救急法講習を受けたこともあるので、交通事故現場で応急処置をしたこともあります。 普通だったら出血多量で死んでいたと思いますが、命だけは助かりました。 俺ってかっこいい、って思います。 神様、見ていたらなにかお返しよろしくって。 (その割には、悪いことしたときにだけバチが当たり、いい事はあまり起きていません。そのくらいはやって当たり前ということなのでしょうか) 困っている人を助けるのは、人として当然のことだと思います。 それを行う力があるというのは、かっこいいことだと思います。 恥ずかしい生き方よりは、かっこいい生き方をしたいですね。

noname#142124
質問者

お礼

「自己も満足」というのはすごくしっくりきました。 >困っている人は、助けてもらって嬉しい。ボランティア参加者は、喜んでもらって嬉しい。 私もこの関係がシンプルかつベストなものかな、と考えていましたが、 いろいろな考え方があって、面白いですね。 頂いた回答の中では自分の考えと一番近い考えのように思います。 >困っている人を助けるのは、人として当然のことだと思います。 >それを行う力があるというのは、かっこいいことだと思います。 >恥ずかしい生き方よりは、かっこいい生き方をしたいですね。 ここまでビシッと言い切れると、そして実践できていると、本当にかっこいいと思います。 私はここまで自信を持って言えないです。。。 ご意見ありがとうございました。

noname#141221
noname#141221
回答No.12

昔から資産家とか、貴族などの一定資産を持つ方々は、困っている人を養って雇ってあげたり、ボランティア、チャリティ活動を何かしているのがステータスとして義務のようになっていたこともありますからね。 一概には偽善とは言いきれません。 国の福祉で賄いきれない部分をフォロー、サポートして来られた、足長おじさんみたいな、一部の出会いから個人的なものかもわかりませんが、貧困生活に困っている親子の方々など家政婦さん業などで雇い、仕事、住居に力を尽くしてこられた方々がいることも確かだと思うからです。 けれど、ボランティアする方の中にはいろんな方がいて、哀しいかな、もちろん偽善とわかっていて利用をする方もいる様です。 例えば、自分の何らかの名誉、利益のために利用したり、自分の優越感持てる役割を得るため、という目的の人も、とても人のことをサポートしてあげられるような立場でなく困窮している人が食いつなぐためのお仕事を得ることを目的として、とか、宗教的な内容のことに絡めて商売に繋げるとか、悲惨な事故や国家情勢の犠牲になった人をさらしものにして、募金を募る国などもあるそうですので。 多かれ少なかれよくない目的の方が中に存在したり、支えるはずの障害者の方や、病気、お年寄りの方に、経験浅く、教わることが多いこともあるのかと思われます。 自分のやりたいこと中心になって、本当に相手のためのボランティアの本質は、自分がイヤだなと思うような仕事こそ、相手の助けになることだったり、とても良いことして気持ちがいいな、とか思えない内容も多かったり、自己主張が行き過ぎ、善かれと思う善意から笑顔にしてあげたくてやったことだったとしても、かえって相手に出来ないことを優越感をひけらかすようにして、心なく傷つけてしまったり、相手のプライバシーや領域にズカズカ土足で踏み込みすぎて、相手ができるわずかなことにも手出しして、生きて行くために自分でしなければいけない、生きてゆけなくなってしまう、ことだったりすることも時にはあり、そっと見守って、気を長くもち、いらいらせず、できないことだけをサポートし、出来ることを自信と生きる力を保たせるために、本人が自分で出来るまで手出ししてはいけないことなど、もあったりしますので、それでかえって迷惑をかけてしまったり、長く出来ないと心配から支える側の人が不安やストレスを抱え、それを相手にぶつけてしまうなどして、精神的に追い詰めたりしてしまう、、、というようなこともあったりするのかと思われます。 そんな行き違いが、慣れない支えと支えられる方にも、相性などありますし、お互い様に経験不足なこともあり、支えられる側の方から、教えられ学ぶ事も多々有り、ボランティアする側にも経験と成長を促してゆくものなんだと思います。

noname#142124
質問者

お礼

やはり条件によって大きく違ってきますよね。 単純に括れるものではないようです。 相手を傷つけてしまう、迷惑になってしまう、というのは本当に気をつけなければいけないことですよね。 やり過ぎや、勘違いなど、善意が仇になることも多々あると思います。 支えられる側の方から学んでいける、というのはとても良い関係ですね。 ご意見ありがとうございました。

回答No.11

あることがキッカケで、宮城県の県職員やボランティアの方々のお世話になったことがあります。 彼・彼女達は、県職員の方々の補佐といった立場でした。 だけど、手際のよさ、チームワーク、心遣い、積極性、決断力…あらゆる面において、報酬を受けて働く方々よりずっと際立つものがありました。 ボランティアのひとりの女性は、「5人きょうだいの末っ子で、生まれて一度も小遣いを貰ったことがなくて。バイトしないと生活できないんですよ~」と笑っていました。 「今ボランティアしてて大丈夫なの?バイト先に行った方がいいのでは?」と尋ねてみたところ、「それとこれとは別!」と返答が返ってきました。 「ボランティア活動を通して色んな人と知り合えたり誰かの役に立つために時間を使えることが楽しい。無償行為とは思ってません。自分にとって財産になる経験だから。こういう価値はお金では買えないもの」 そう瞳をキラキラさせて語ってくれました。 彼・彼女達にとっては、肉体労働も精神的負担も、目に見える対価を獲得するための駆け引きではないだけに、物事に取り組む姿勢がすべて能動的なんですね。 「あなたにかかる負担を私が肩代わりします」 そうした熱意にのみ支配され、頭で考えるより先に身体が勝手に動いている。そんな印象を受けました。 小さな肩に大きな荷物を背負って歩こうとするボランティアの女性に、私は「身体にアザでもできたら大変だから、私が自分で持つよ!」と、声をかけたことがあります。 でも彼女は、「あなたの身体にアザが残ってしまう方が、私はイヤなので」と、荷物を譲ろうとはしませんでした。 縁あって仲良くさせていただいた当時のボランティアの方々とは、今も連絡を取り合っています。 ただ、そのボランティアの方々の内、何人かとは、東日本大震災以後、いまだに連絡が取れていません。 ボランティア活動をどう捉えるか…「人間の誰もが生まれ持ったやさしさを再確認できる機会」でしょうか。 「偽善」とか「自己満足」という見方があるのも理解できなくはないですが、現場で働く方々のあの輝きを目の当たりにしたら、そんな言葉は冗談でも出せないだろうと思います。 このサイトには「ベストアンサー」を選定せずに締め切る行為を「質問者のイジワル」と捉える考え方があるようです。 その一方で、そうした締め切り方を「どの回答にも差をつけたくないがため、敢えてベストを決めない質問者のやさしさの現れ」と捉える考え方もあります。 どの捉え方を選ぶかは、その人の自由。傍観者がどのように受けとめようと、実際に参加する当事者が納得できれば、それでOK。 「ボランティア」の捉え方に関しても、それと同じだと思っています。 物事の解釈に色んな角度を持っているからこそ、人間っておもしろいんですよね。

noname#142124
質問者

お礼

貴重な実体験をありがとうございます。 実利はなくとも、やはり得られるものはあるんですね。 以前私が参加した活動でも、すごく嬉しそうに動き回っている方がおられましたが、改めてそう思いました。 「人間の誰もが生まれ持ったやさしさを再確認できる機会」 社会人になって以降、いろいろとずる賢くなってきた私には何となく眩しい言葉です。 生まれ持った優しさを自由に表現できる人、というのは素晴らしいと思います。 震災後の連絡については、さぞ心配されていると思います。 私も安否確認が取れない友人が数人いますが、9月に入ってようやく連絡が取れた人もいます。 無事を信じて待ちましょう。 ご意見ありがとうございました。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.10

 修行ですね。 保護者会などもボランティアなんですが、これは修行です。文句も言われることも多いですし、報われないこともあります。でも、評価されることもある。 しかしその後の評価は高くなりますね。それと自信がつくこともあります。  ボランティアはある程度ゆとりが無いと出来ません。している本人は内容次第ですが本当にやろう!という気持ちが無いと続きません。周りから見れば偽善とか出てるくると思いますが、本人達はまじめにしていると思って居ます。  だからこそ、終わった後には満足感があります。 周りからは自己満足かもしれませんがね。

noname#142124
質問者

お礼

>>修行ですね。保護者会などもボランティアなんですが、これは修行です。~~ 修行、というのは新しいご意見でした。 大変だけれど、得るものもある。何事も経験、という感じですね。 >>周りから見れば偽善とか出てるくると思いますが、本人達はまじめにしていると思って居ます。 >>だからこそ、終わった後には満足感があります。 周りからは自己満足かもしれませんがね。 本人が不幸になっては本末転倒ですね。 たとえ自己満足であっても、お互いに何かしらプラスになれば、と思います。 ご意見ありがとうございました。

noname#211894
noname#211894
回答No.9

悪く言えば偽善でしょうね。 参加する人の思いもそれぞれでしょうから、一概には言えませんが。 善く見られたい人もいるだろうし、贖罪の人もいるでしょう。 よく分からないけどやってみた人もいるかも知れない。 よく偽善と言われますが、それを言う人は、行けない・行く勇気がない人のひがみなんじゃないかと。 人がやっていることに対して、自分が出来ない場合、幾らかの引け目を感じます。 それを自分で自分を納得させる・自分の気持ちを誤魔化しているのではないか。と。 人間ですから、自分が弱いと言うこと、他人の方が自分より善く見られていることは、素直に受け止められないと思います。

noname#142124
質問者

お礼

>>善く見られたい人もいるだろうし、贖罪の人もいるでしょう。 >>よく分からないけどやってみた人もいるかも知れない。 人それぞれ理由はありますよね。 私は「よく分からないけど~」タイプでしょうか。 >>よく偽善と言われますが、それを言う人は、 >>行けない・行く勇気がない人のひがみなんじゃないかと。 なるほど。確かに偽善者、なんて呼ぶ人はそういう部分も持っているのかもしれません。 単純に馬鹿にしてる人もいますけど。。。 ご意見ありがとうございました。

回答No.8

リターンを求めず、自発的に行うものと思います 良い悪いはやる人が決めることなので、何とも思いません 災害時のボランティア活動などは、例え偽善であっても マンパワーとして存在価値があると思います ただしリターンを求めるのはご法度です

noname#142124
質問者

お礼

>>災害時のボランティア活動などは、例え偽善であっても >>マンパワーとして存在価値があると思います 確かに労働力はどれだけでも必要になりますよね。 でも、今回の震災のときも問題になりましたが、ボランティアの方が集まり過ぎたせいで道路が混雑したり、ということもあるので注意しなければなりません。 >>ただしリターンを求めるのはご法度です リターンを求めた時点で、善悪、自己満足などの議論すらする必要がなくなりますね。対価を得るというのはボランティアではなくて仕事に近いと思います。 ご意見ありがとうございました。

noname#147353
noname#147353
回答No.7

対価を得なければ、善意と考えますね。

noname#142124
質問者

お礼

>>対価を得なければ善意 分かりやすい基準でした。 無償奉仕という意味合いから考えると、対価を得た時点でボランティアではない、ということにもなるかもしれませんね。 ご意見ありがとうございました。

  • kuronano
  • ベストアンサー率37% (79/212)
回答No.6

趣味。 自分はほぼしないですが、否定するつもりはありません。 「いいことだ!」「是非ボランティアしよう!」 とか言う人は偽善者。 学生でありながら勉強しないでボランティアに没頭とか、仕事さぼって以下略とか、そういうのは偽善者を通り越してただの勘違い野郎(端的にいえば馬鹿かと)。

noname#142124
質問者

お礼

>>「いいことだ!」「是非ボランティアしよう!」とか言う人は偽善者。 これは私もそう思います。呼び掛けるのではなくて、自発的に参加してこそ、ですよね。 >>学生でありながら勉強しないでボランティアに没頭とか~ 仰る通りで。自分のすべきことをする時間を削ってまで、というのは何か違いますよね。 受け手もきっと、ボランティアの方に不幸になって欲しい訳ではないでしょうから。 ご意見ありがとうございました。

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