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1351年、尊氏が直義派に対抗するために、南朝に降伏したのはなぜですか

1351年、尊氏が直義派に対抗するために、南朝に降伏したのはなぜですか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) 上記に 1351年、足利尊氏が足利直義派に対抗するために一時的に南朝に降伏し、年号を南朝の「正平」に統一する「正平一統」が成立した。 これにより、尊氏は征夷大将軍を解任された。 とあります。 1351年、尊氏が直義派に対抗するために、南朝に降伏したのはなぜですか。 よろしくお願いします。

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  • Pinhole-09
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回答No.1

観応の擾乱(じょうらん)ですね。 足利直義と高師直の反目から尊氏と直義の争いになり、一旦敗れた直義は南朝に降り、尊氏、師直の討伐の勅書を得て反撃します。   尊氏は北朝を担いでいましたが、南朝とも接触を計り、ついに和睦に成功しました。   外聞も捨てて南朝より直義誅伐の勅書を得たわけです。    朝敵の汚名を嫌ったのです。    当時天皇継承のしるしの神器は北朝になく南朝にありました。 南朝は双方に勅書を出したわけですが、復権を計る策略でした。 戦う双方に出した後白河法王の例もあります。

noname#173280
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 なるほど、尊氏は外聞を捨ててでも直義誅伐の勅書を得たかったのですね。 当事、三種の神器は皇位の正当性を決定付ける大事なものだった、ということでしょうか。 それで、三種の神器を持つ南朝にたてついては朝敵の汚名をかぶることになると。 大変勉強になりました!

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