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南北朝の「合体」とは結局、南朝の「廃絶」のこと?
「明徳の和約」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%BE%B3%E3%81%AE%E5%92%8C%E7%B4%84 1392年に足利義満により「南北朝の合体」が行なわれました。 「合体」とは言いますが、結局は南朝の天皇の子孫は即位させないという事になります。 なぜこれを「合体」と呼ぶのでしょうか? せめて南朝天皇の娘を北朝へ嫁がせて、その子供を新天皇に即位させると いう配慮あっても良かったんじゃないでしょうか? 継体天皇(妻は武烈天皇の娘)や光仁天皇(妻は聖武天皇の娘)や 光格天皇(妻は後桃園天皇の娘)の例を見ると、傍系の者を天皇として 即位させる場合、前天皇の娘と新天皇を結婚させて、その息子を また次の天皇へと即位させるという例が実際にあります。 このように女系の血筋によって、先代の家系を守りつつ傍系の家系を 正統化させる方法が多々ありますが、南北朝の例ではなぜそれを しなかったのでしょうか?
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