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自分自身や自分の身内が無実で死刑執行される可能性もある、という前提の元
自分自身や自分の身内が無実で死刑執行される可能性もある、という前提の元で、死刑制度の存続に賛成か反対か述べてください。 そして賛成の理由、反対の理由も述べてください。
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死刑制度の存続に反対です。質問者さんの前提は関係ありません。 もしどうしても死刑制度を残したいなら、 1.終身刑をつくる 2.最高裁で有罪・無罪の事実認定が争われ一人でも無罪を主張する裁判官がいる場合は死刑を宣告できない。終身刑とする。 3.事実認定が全員一致で量刑だけの問題なら多数決で死刑もやむなしとする。 理由 ・質問者さんが言っているように無実で死刑執行される可能性があるから。 ・これまでに死刑囚が再審で無実となったものが多数存在する。 ・過去に無実を訴える被告に対し8対7の多数決で死刑宣告を受けたまま獄死した死刑囚もいる。 ・再審が認められずに処刑された死刑囚があったと仮定すれば2度と同じ過ちを繰り返してはならない。制度的に考えるしかない。
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- tappara
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>多くの人に、命の尊厳、自分の命は大切でも他人の命はどうでもいいのか、あるいは冤罪を減らすにはどうすればいいのかという、意識も持ってもらいたというのが私の真意です。 こういう議題に対してはいつも堂々巡りになってしまうケースが多いようですが・・・ 命の大切さを感じてるからこそ、それを奪った場合には命をもって償う必要があると考えている人が死刑賛成といってる人なのではないかと。 逆に他人の命を奪っても自己の命で償わないのでは他人の命を軽んじているからこそと感じてしまいます。 堂々巡りの議論はもういいので死刑存続を肯定する理屈の一つとして納得しなくてもこういう考えがあるんだって受け止めてくれればいいです。 それと死刑反対の人は自分の家族が理由なく無残に殺された場合に犯人が刑務所の中であろうとのうのうと生きていることに耐えられると思っているのか僕も興味のあるところです。 被害者家族となったことで死刑反対から賛成に回った人の話は聞きますし、被害者家族が犯人の死刑でやっと前に進める為の区切りをつけられたって手記も読みました。 できれば反対派としての意見が聞きたいです。よろしくお願いします。
最期に、ちゃんと回答しておこう。 変な前提が有ろうが無かろうが、 ■死刑制度に賛成です。 ■賛成の理由 「人権は平等」で有るべきだから。 他人を一方的に殺害するような人間は、殺害されて当然。 >自分自身や自分の身内が無実で死刑執行される可能性もある ↑ 「可能性」だから、そりゃあ「有る」だろ。 と言うより、「有るとしか」回答出来ないだろ? バカタレ。 小ざかしい「誘導尋問もどき」じゃねえか。 生憎、我が家の家系は、善良な人間ばかりでして、lonrlyfreemanクンとこみたいに >自分自身や自分の身内が無実で死刑執行される可能性 は、「皆無に近い」です。 むしろ「可能性」と言うなら、「無差別殺人の被害者に成る可能性の方が高い」と思うね。 この質問が「フェア」だなんて書くなら、下記の質問も、コピペ許すから投稿してみろよ。 それで、初めて「フェア」と言えるんじゃないか?。 ■■■ 自分の身内や家族が、強姦殺人、バラバラ殺人の被害者になった。 勿論、被害者側には、全く「落ち度が無い」。 対して犯人は、ただの「快楽殺人者」。 反省の色など微塵も無く、逮捕されてもヘラヘラ笑っていた。 「出所できたら、また殺すよ、殺人は楽しいネ~♪」 と、嘯くような人物だった。 この前提の元で、死刑制度の存続に賛成か反対か述べてください。 そして賛成の理由、反対の理由も述べてください。 ■■■
補足
やれやれ、くどいですね。
>>それでは、死刑制度に賛成している方々は、冤罪があることも重々承知の上で、無実で死刑執行される者がいても構わないというか、やむおえないという判断で賛成しているという事になりますが、これでよろしいので・・・。 おしゃる通りで、であるから大問題な訳です、こういうポイント、ここから応答を発展できればと考えていたのですが、(観念論ではなく現実に立脚して) 今日は時間がありません、、、 ちなみに私は死刑制度に反対の立場です。 近年の死刑判決は(私の知りえる範囲)その条件をほぼ満たしている、 条件を満たしている事件でも実際は無期判決が多い、死刑判決はよほどのことでないと出ない、と述べましたが。 中でも和歌山砒素カレー事件は無罪判決であってしかるべきだったと考えております、(心証は99パーセント黒) 追記 現実に立脚してと申しましたが、現実はリスクをとることを踏まえ、それを容認し社会は存在しています。 車の運転しかり航空機に搭乗する事しかり、医療もしかりです、過ちで人が死にます、それも大量に、 いかに少なくするか、でしょう、航空機(刑罰)をなくせ、という発想はありえません。 死刑を撤廃し、終身刑を採用しても、今度は冤罪で終身刑がある、問題だ、となるでしょう。
補足
死刑の冤罪と終身刑の冤罪ではまったく重さが違いますよね。終身刑の冤罪であれば、真犯人が良心の呵責を感じて自首してくる可能性もありうるわけです。 もちろん終身刑の冤罪も痴漢の冤罪もあっていいわけありません。 多くの人に、命の尊厳、自分の命は大切でも他人の命はどうでもいいのか、あるいは冤罪を減らすにはどうすればいいのかという、意識も持ってもらいたというのが私の真意です。
- suke--san
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http://www3.nhk.or.jp/news/t10015488021000.html 今、NHKニュースであったけど、内閣府の世論調査で、、▽「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」というのはたった6%だってさ。 だから、死刑なのだ。
補足
毒にも薬にもならない受信料泥棒局のアンケート調査ですか、 どんな場合でもというのは、被疑者にどんな事情があろうがなどの意味だと思いますがね。 自分自身が無実で死刑になってもいいからや、冤罪で死刑執行される者がいてもいいから、というようなことを含んでない回答だと断言できますね。 なぜ多数が正しいと思うのですか、多数に同調するのですか。短絡的すぎですね。
>感情が爆発して、法廷内であれば、柵を乗り越えて真犯人を殺すかもしれません。 ↑ 本音を書いて戴き、ありがとう御座います。 ですが、回答が書かれてませんが?。 ■死刑制度の存続に賛成か反対か どちらなのでしょう?。 ■賛成理由、反対理由。 それぞれの理由も、お願い致します。
>システム自体のミスを知らせる機能の不完全さを内包している総体としてのシステムは不完全である、ということでは? おっしゃることを例えると・・・ 車(というシステム)にはそもそも不完全さはあるものだから、不完全さを指摘していたら社会が成り立たない。 私が言いたいのは・・・ エンジンの調子が悪くなるとかハンドルの効きが悪いとかという不完全さではなく、エンジンに異常がおきても運転手が気づけないような致命的な不完全さのことを指しているのです。 つまり、冤罪を生む体質を温存したまま機械的に事件が処理され続けるということの危険性を指摘しているのです。 >そうではないでしょう、可視可しようと、より優れた科学技術や精査する方法が登場しても、おっしゃる様に捜査、裁判に完全性がない以上、冤罪が発生する可能性がある、よって死刑を撤廃することが解決方法なのでは? 可視化などの手段も ・・・「も」に注意してください。
>>少なくとも戦後の死刑判決を~~検証したのでしょうか。 >>それもせずに、妄想で~~矛盾していますね。 冤罪は発生する、その制度の評価として冤罪による死刑の発生率はどうなのか?ということであり、(No,5さんの問いかけも同じと考えます)それを検証する義務は質問者様にあるのでしょう、冤罪で死刑が発生していると主張されているのですから、それ故NO,5さんの具体例を求める問いかけがあると考えます又私も同じです。 又評価はそれぞれの問題意識、情報量等条件によって異なり、全て検証せねば評価できない、などありえません。 >>そして、裁判官が全員良心に従って判決を下しているという根拠もあるのでしょうか。 質問者様の、全て検証したのか?に似て何か現実離れした観念的な問いかけですね、義務と実際は異なり大人は皆実際を知っています、というより実際を知っている人間が大人と表現してもよいのでしょうね、そしてこういう質問はしないものです。 答えは冤罪は発生する、に内包されています。
補足
一つ一つの公判を検証して、冤罪か冤罪でないかなんて、私は神でも超能力者でも霊能者でもないのでわかりません。わからないのに死刑の冤罪の発生率なんて計算のしようもないでしょう。 不毛の議論というか、反対するためだけの議論になんの意味もありませんね。
No.5です。 >現実をふまえて質問するのは当然だと思いますが。 ↑ 確かに、その通りですネ。 それならば、死刑になった後で「冤罪」だと判った事例の数くらい教えて戴きたいモノです。 冤罪で死刑になった人が、どれだけいるのか知りたいもので。 >自分自身や自分の身内が無実で死刑執行される可能性もある ↑ 「可能性」で考えれば、誰も「ゼロです」とは言えないですモノね?。 ■こんな前提が有っても、私は死刑制度の存続に「賛成」です。 ■理由は、この私なら身内を殺した犯人など、「終身刑でも生温い」と考えるからです。 毎日、死ぬ以上の苦痛を与える「拷問」を20時間くらいやってくれれば、少しくらい考え方が変わるかも知れませんが。 逆に質問者さんに聞きたいんですよ。 ▲質問者さんの最愛の身内か家族が、強姦殺人、バラバラ殺人の被害者になった。 勿論、被害者側には、全く「落ち度が無い」。 対して犯人は、ただの「快楽殺人者」。 反省の色など微塵も無く、逮捕されてもヘラヘラ笑っていた。 「出所できたら、また殺すよ、殺人は楽しいネ ♪」 と、嘯くような人物だった。 この前提の元で、死刑制度の存続に賛成か反対か述べてください。 ↑ 回答を、お聞きしたいです。 「綺麗事」は、書いて欲しくないんですけどネ・・・。
補足
冤罪か冤罪でないかなんて、神や、なんでも見通せる超能力者、霊能者や、本人や、冤罪の場合は真犯人以外わかりませんよ。100%間違いないという証拠があれば別でしょうけど。 人間は感情ももっていますが、理性や寛容ももっています。理性と感情はどちらも大切ですが、どちらをより重んずるべきでしょうか。 そして、神や魂の存在を信じている者と、そうでない者とでは、死刑制度に対しても考えが違ってくるくるのは当然でしょう。 人間すべて、100%悪い者はおらず、良心をもった神の子であると考える者と、魂があったとしても、こごの魂でありつながりはないと考える者と、人間は肉体のみで魂なんてないと考える者とではね。
>完全無欠なシステムは存在しません、この論理ですと社会は成立しません。 システム全体の不完全さとシステム自体のミスを知らせる機能の不完全さを混ぜて考えられていますね。 捜査や裁判が完璧ではなければならないなんて誰も言ってないわけで・・・、ただ死刑執行により冤罪が葬り去られる仕組みが致命的に不完全で問題なんです。 そのための解決法として、No.4様が指摘されるような可視化などの手段もあるでしょう。
どうも、今日は時間があるので(笑い)追記させていただきます。 >>第三者というのは、裁判員や検察審査会のメンバーの立場になった人々という意味なんですけど。 当たり前でしょう、個人感情の集積であるう国民感情が直接、死刑という裁判結果を導きだしたり又現代で集団リンチなど有り得ないでしょう 質問者様は国民感情や裁判員、検察審査会メンバーの感情が単純に影響するとお考えの様でしたので、歴史的に個人の復讐やリンチを防止し社会秩序を維持するため死刑は制度化されたのであり又個人や集団感情の単純な反映は法律、裁判制度により一応担保されている、という意味で、こどもっぽかったのですが西部劇を取り上げてみました、あまり上手い文章、比喩ではなかったようです、、 日本人は宗教、規範を有しないという見解に対し、昔は異論というか怒りを覚えた事がありますが現在はその通りだと思っております。 比較文化論においても、ほぼ結論はでていますよ。 >>日本人は無神論者や無宗教者も多いですが、カルトも含めて、入信者も結構いますよ。 ちなみに私は有神論者ですが、どこの宗教団体にも所属してません。 宗教学においても仏教は宗教ではありませんし、(私もその見解です)そこから派生した新興宗教もしかりですし、カルトは無論のこと、であるからカルトなのであり又単なる有神論は宗教ではありません。 日本人は、人間を超えたもの、人智を超えたものの存在は信じているでしょうね、 なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる、 というやつです、この姿勢はオカルトに流れる危険性を有しています。
お礼
まともな回答ありがとうございます。『司法制度改革案』で検索してください。