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国連総会、死刑執行停止求め決議 大差で採択

この死刑執行停止は、主にEUが推進しているとは思うのですが、 EUでの一般的な多くの人々の考えでもあるのでしょうか? 日本では死刑存続派が多いという理由はなんとなく解るのですが、 EUでは反対に死刑制度廃止が流れという理由がもうひとつわかりません。

みんなの回答

noname#70326
noname#70326
回答No.5

死刑というのは「代理殺人」です。 自分の家族(遺伝子を継承する人)が殺害された場合の「報復権」というのは、社会が成立する以前から人類が元々持っている自然権の一つなのです。 日本の場合は江戸時代まで「仇討ち」が認められていましたよね。 仇討ちというのは儒教では忠孝の美徳として肯定的に捉えられています。 ですから、儒教国である中国はもちろん、儒教の影響を受けた日本でも死刑制度について概ね肯定的な意見が多いのです。 これに対して、EUなどの欧米諸国の多くは死刑制度について否定的な意見が多く、廃止した国も多数に上っていますが、この主な理由はキリスト教的宗教観によります。 つまり、人を創ったのは神であり、裁けるのもまた神のみであるという考え方です。 こういう国民(民族)の宗教観の違いがはっきりと出るのが「死刑制度」の是非なのです。

zymurgy689
質問者

お礼

そうですか。 神には裁かれてもいいという考えなのですか。 回答ありがとうございます。

  • nep0707
  • ベストアンサー率39% (902/2308)
回答No.4

端的に言えばNo.1さん、詳しく論ずればNo.3さんの回答のとおりなので、 あまり付け加えることはありませんが…。 あえてもう1つ言えば、このような問題を考えるときは 刑罰が国家権力による国民への抑圧であることを前提に 刑罰が国家権力によってどのような使われ方をしてきたか、 という歴史的観点を忘れてはいけないと思うわけです。 (その代表例の1つがNo.1さんのおっしゃる魔女狩りですね) 日本だって江戸時代は安政の大獄のような思想犯の取締りがありましたし、 明治維新後も戦前は大逆罪、不敬罪があり、 それを武器に思想犯や政治犯の多くが取り締まられました(大逆事件が代表的)。 「現実はそんなに甘くない。被害者の悲惨さをわかっているのか」とか言う人も多いですが、 そんなことを言っている時点で理性的な議論からは離れたものになります。 権力による国民への押さえつけのたがを緩めることについて、 自分に都合の良い影響しか考えない人が多いのは分かっていますが、 それこそ「現実はそんなに甘くない」のです。

zymurgy689
質問者

お礼

つまり住民の意識として、EUでは死刑制度は現行法制度の維持を妨げるものとして、日本では反対に秩序維持のシステムであるとして考えられているって事なのでしょか。

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.3

近代国家・近代法というものをどの様に考えるかということです。 刑罰と社会の秩序維持というのは、何時の時代も連動しています。しかし特定の権力者(王制・軍政・独裁者制)がいるような国では、市民の社会秩序とはかけ離れたレベルで、権力者たちの枠組み維持のための秩序維持のための法律が作られることがあります。 それはいわゆる不敬罪や国家保安法というもので、当然最高刑は死刑ですし、法律の運用も権力者の意のままになるような国では、権力者の機嫌(またはそこにおもねる役人や実力者の機嫌)で、誰でも逮捕されて死刑になる可能性があります。そのような政治を恐怖政治といいます。 日本は明治維新以外の革命を経験していませんが、欧米諸国は上記のような権力者をいかに封じ込め、民衆の手で政治を運営できるようにしてきたかという歴史があり、それが近代的な民主国家を作る原動力になってきました。 ここで民衆が勝ち得た権利はいろいろありますが、一番大きな原則は、どのような政体であっても国家によって誰も自分の生存が脅かされないということと、国家の運営は国民によって行なうということです。 これが近代法の原点でもあります。 ここでようやく死刑に繋がります。 上記のような論点をまとめていくと、結局、「社会秩序のために国家が人を殺していいのか?」というところに行き着きます。そしてもうひとつ、近代法治国家が死刑を行なうということは、それは国民が死刑執行したということになるということです。 (権力者が死刑を承認するのが原則ですから、権力者である国民ひとりひとりが承認したということになるのです) これは国民が勝ち得た「誰も国家によって殺されない」という権利に矛盾します。もちろん不敬罪や保安維持法で死刑というのは論外ですが、たとえ犯罪を犯したとしても、犯罪者を社会から切り離せば(終身刑など)社会秩序は保たれ、法としての責務は全うするはずです。 その上でさらに国家が死刑を行なうのは、「誰も国家によって殺されない」という点で矛盾が生じ、秩序維持の為にある法の理論や枠組みを超えてしまって、報復感情でしかないと考えられるからです。もうすこし具体的に考えると、法治国家がある犯罪に対して死刑を執行することは、国民全員が報復者になるということです。国民一人一人が死刑執行ボタンを押したのに等しいと法理論上は考えられるのです。 日本でも法律の専門家のほうが、死刑廃止論者が多いのは、このような原則に立ってのことです。 よく身内が殺されてまで・・という反論が出ますが、法律はあくまでも理性によって作られているのが原則ですから、理性を超えた感情の点で論じてはいけないものなのです。(感情で論じたら、それこそ社会秩序など吹き飛びます。痴漢冤罪がいい例です) 法学者や専門家は、あくまでも理性の上に立った発言をしているわけです。 今日の朝日新聞に死刑廃止論者の団藤重光氏のインタビューが乗っていて、「裁判員制度と死刑」について語っています。 裁判員制度は、国民の代表として裁判官と一緒に「死刑」を含む刑を決定するのですから、まさに上記に書いたように国民が執行ボタンを押させることになります。 死刑賛成の方の意見を拝見していると、「自動的に死刑」とか「別の死刑囚にボタンを押させる」などの意見が散見されます。自分としてはやはり、誰かを死刑にする=殺すのは後味が悪いのでしょう。 ですから正面から「国民が死刑を執行するのだ」という点に向き合えば、近代法の原則と死刑が折り合わないと考え、後味の悪さを覚えて当然です。正面から近代国家というものを考える歴史を持つ、EU諸国の国民が死刑廃止に賛成し、動くのはこのような理由です。

zymurgy689
質問者

お礼

なるほど、確かにアメリカや中国、日本は「近代的な」法体系整備が遅れているともとらえられますね。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.2

キリスト教だからです。 キリスト教というのは「憐れみの教え」ですから当然の流れです。 日本はキリスト教ではありませんし、ヨーロッパの流れに付き合う必要は全くありません。人道主義者によるプレッシャーが当然予想されますが、断固はねつけて日本は秩序を重んじる社会を守り通さなくてはなりません。そして日本は世界一安全な国として死刑のない国に対して手本になるべきと考えます。

zymurgy689
質問者

お礼

そうも考えたのですが、前の回答を戴いた方もおっしゃってますが、 魔女狩りをやった地域です。

  • AVENGER
  • ベストアンサー率21% (2219/10376)
回答No.1

まぁ、魔女狩りがあった国々ですからね。 無実の人を、どんどん殺してますし。

zymurgy689
質問者

お礼

そうですね。 でも、それはどこも同じですし、

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