• 締切済み

死刑制度 死刑執行人の精神的負担

死刑制度のディベートで、相手側(死刑廃止賛成)の意見で「死刑を廃止にすることで、死刑執行人の精神的負担をなくなる」というものがありました。死刑執行のさい、三つのボタンを同時に押して誰が当たりを押したかわからなくし、精神的負担を軽くするというのを知っています。しかし、私が知っているのはここまでで、詳しくはわかりません。死刑執行の細かな仕方や皆さんの執行人精神的負担についての意見を聞かせてください。コメントを残して頂ければ幸いです。

みんなの回答

  • sdfwer23
  • ベストアンサー率0% (0/12)
回答No.6

職業選択の自由があるので、全く死刑廃止の理由にならないと思います それでも僕は死刑廃止に賛成ですけどね

回答No.5

死刑執行のボタンを押す行為は、法律で認められた正当行為です もちろんそのボタンを押すことで1人の人間の生命が終わることは事実であり、精神的ダメージを受ける人も多いかと思います ですが、仕事です どうしても出来ないなら、やめたらいいだけの話 人の身体を切るのが怖い外科医 拳銃の撃てない警察官 「人の身体に傷を付けてはいけないよね」とか「拳銃は危ないから撃たれても撃ってはいけません」なんて話がありますかね 個人的にはそんな医者や警察官は即やめていただきたい 精神的負担の為に死刑を廃止というのは、全くの論外といってもいいでしょう 「俺ボタン一つでも全然余裕だけど」て奴がいたら問題は解決なんですかね、と逆に問いたいくらい

  • masaaki509
  • ベストアンサー率48% (674/1389)
回答No.4

ボタンは3つです。 当然、カウンセリングもありますよ、出来る限りのバックアップはされているようです。 ですが、自分がその立場だと、やはり辛いですね、、、家族を殺した殺人犯なら出来るかも知れませんが、自分に関係ない犯罪者と言っても同じ人ですからね、、、複雑ですが、死刑は無くしちゃいけない。 犯罪者も、税金で刑務所に居るんですよ。 なにより遺族の気持ちも有りますからね。

回答No.3

「木を見て森を見ず」の死刑廃止論者が言うことだな。重箱の隅を突くことばかりしか言わない。 死刑執行人の精神的負担が大きいから「死刑廃止にすべし」なんて筋が違う。 死刑制度は国民の代表機関たる立法府で定めていることだから、国民の民意の反映です。 国民の民意を尊重することと死刑執行人の精神的負担と天秤に比べてどちらが重要か。 1億数千万人の国民の求めている意向(民意の重さ)と数人の死刑執行人の精神的負担の重さ。 国民の過半数が死刑制度を望んでいるのだから、国家公務員はその要請に従って粛々とその任務をこなす義務がある。それが国家公務員の仕事です。国民の過半数が死刑を望んでなければ死刑執行する国家公務員は自ずといなくなる。 死刑執行人の精神的負担を云々いうのであれば、まず、国民の意向の変革を訴えるべき。執行人(国家公務員)は、ただ、国民の要請に従って執行しているに過ぎず、それが国民の公僕たる国家公務員の仕事です。 執行人の精神的負担が重いだとか言って死刑廃止を唱える人たちは、逆の論理を言っている空想論者に過ぎません。国民の民意を全く無視した真逆の論理です。 >執行人精神的負担についての意見を聞かせてください。 誰のボタンで落下したのかもわからないようになっているし、廃止論者はちと過激に訴え過ぎる傾向にある。 廃止論者が死刑制度廃止を唱えるなら「執行書にハンコを押す国民から行政の信託を受けた法務大臣の精神的負担がなくなるから死刑制度をなくすべき」と言った方が遥かに頷ける(執行書にハンコ押さない限り、死刑執行はないのだから)。

  • usbus
  • ベストアンサー率22% (156/692)
回答No.2

私は5つのボタンだと聞きました。 私の感覚では「重罪の人を殺す精神的負担」は無いも同然です。 そんなのより「善人を手術して死なせてしまう精神的負担」の医者とか 「助けを求めてる人が多数いるのに助けられず目の前で死んでいく精神的負担」のレスキュー部隊とか のほうが100倍辛いと思います。

noname#139991
noname#139991
回答No.1

仕事だからしょうがない 一応プロなんだし割りきれよと まぁ間接的にではあるけど人を自分が殺すんだから精神的負担はそれなりにあるだろうけど、だったらその仕事に就くなの一言で片付けられる てか現場の人から「これ以上無理、辛い」という意見はあったのだろうかね? 解剖医がそうであるように慣れているだろうな