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死刑執行と死刑について
先日3名死刑が執行されましたね。 私としては、死刑が確定した以上、粛々と(冤罪を避けるため1年猶予をおき、後は自動的に)進めるべきだと考えています。ダラダラと延ばすことは遺族の為になりません。(過酷な強制労働を強いられるなら別でしょうが・・・)また、深く反省したところで結局死刑なのですから囚人のためにもならないでしょう。 皆様はどうお思いですか? また、死刑自体を反対する方々も多いようですが、もし、自分のお子様や愛する人が、何の非もなく、暴行され、そのうえ惨殺された立場となっても、検察の死刑求刑には「ありえない!彼には更生の可能性がある!」と異を唱えますか? 正直な処、自分の事となっては、冷静な判断は無理でしょうか? 死刑反対派の方には是非お聞きしてみたいです。
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死刑賛成派です。というより、圧倒的に賛成派が多いと思いますが・・・。 量刑をダラダラと先延ばしにするのは、税金のムダでもあります。被害者遺族の為にもならないでしょう。死刑判決の出た被告に関しては、質問者様のおっしゃる通り「1年の猶予を経て実行」すべきだと思っています。 更生の可能性がないから死刑判決が出たのです。それを可能性があるからと、更生の道を歩ませようとするのは被害者遺族があまりにも不憫です。某議員が言ってましたね。「殺人犯であっても、被告が更生する事によって被害者遺族も救われる。」あれ聞いてて、本当に人間の感覚なのかと思いました。自分の親族を殺された被害者遺族は、自分の親族を殺しておいてまでのうのうと生きている加害者に対して死を望むのは当然の感情だと思います。生きて更生を願う訳が無いでしょう。だからこそ、このような報道が出たんでしょうね(http://www.j-cast.com/2007/07/03008937.html)。これが民主党の根っこにある政策の1つです。 今後民主党が勝てば死刑執行も極端に少なくなるか、廃止となる可能性もありますが。 殺人は重罪。人を殺せば死刑。目には目をではありませんが、不純な動機による殺意を持っての殺人罪=死刑…で良いと思います。やむを得ず殺すしかなかった。誤って殺してしまった。なんて事例は殺人罪ではありませんしね。
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- nhhiromi
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>反対意見はありがたいのですが、批判だけでなく、ご自分の考えを記載して頂けませんか。 反対の意見が聞きたいというこは批判的になります。常識としてそう思います。 それとここは議論をする場ではないので それとkentoshi82さんの文章は意見表明と反対派の人が冷静な判断が出来ないと確認したいだけの意図にしか見えません。 >では、あなたは死刑宣告から具体的に何年経てば良いと思っているのでしょうか? この問題を何年と答えられるほど自信家ではありません。 ご自分で「冤罪を避けるため1年猶予をおき」と書かれているのでまず1年の根拠を出されるのがスジだとだと思います。1年で冤罪が覆った実例を挙げてください。 普通の今ままでの裁判なら5年以上とかかかっていてそれを1年で覆すことはどう考えても無理です。今回のDNAの件もDNAの専門知識がない状態から地道に専門家を探してからですから 純粋な冤罪ではないですが、拉致被害者とか特定失踪者とか言われた女性教師が実は用務員に殺されていて、時効後安心したのか犯人がわかったことがありました。 アメリカでは、ある黒人の冤罪を晴らしたのは法学部の学生の授業で学生が証言等の矛盾を見つけその後教授が正式に告発したら冤罪が晴れたとか色々なケースがあり単純に決められないと思います。 ある程度の人間が見ておかしくない状況での判決なのでそう簡単に冤罪は晴らせないと思います。 >「長引かせる事は拷問に等しい」とのコメントを他者様からは頂いていますよ。 人それぞれでしょう 具体的根拠はどこにありますか?すべてそうでしょうか?そして親族の意見は? 匿名の掲示板の意見ではなく >ただ、死刑反対派が、被害者にあい、賛成に回った実際のケースが複数ある事を知りました。現実を謙虚に受け止めるべきは、反対運動を起こしている方々かもしれませんね。 何度も書きますが被害者とかその関係者は復讐心があって当たり前です。 被害者感情をすべて叶えるのが社会ではないです。 >では、死刑反対を叫ぶ方々は、皆加害者家族ですか?意見を述べる評論家は?経験者以外は意見するな!と言うのは暴論ではないですか 趣旨が違います。 その人その人の経験で考えは異なっていいと言うことです。 死刑反対の人が被害に会い死刑賛成になっても 死刑賛成の人の子供が死刑になりそうになったら死刑反対になっても 冤罪で死刑になった親族がいたら国家を憎んでも 人の生死にかかわることですから根本の考え方が変わって当たり前です。 >私の意見が少数だとお思いですか?普通の常識論ではないでしょうか? 感情では勧善懲悪はだれしも好む感覚なので多いかもしれません。 なので社会正義に酔っている感じとして、多数派とかは書いていません。 最近はそうでもないですが、水戸黄門コンスタントにいい視聴率です。 >反対派が実際賛成に回り、逆は見当たらないと言う事実でこの疑問は解決しました。 匿名の掲示板の書き込みを裏も取らずに信じるのは結構ですが 世界の多くの先進国で死刑廃止が進んでいるのはなぜかも考える必要があるかもしれません。 その時キリスト教だから煙にまいたような意見は信じないことですね。 カトリックの総本山があるイタリア(バチカンとかいわないでね)で前面死刑廃止は1947年ですから
お礼
>ここは議論をする場ではない う~ん、そうですか。それではお礼のみ申し上げておきます。 ご意見ありがとうございました。
- ginga2
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#2#17です。 誤解されているようなので最後にもう一言二言 私は反対のきっかけになった本を読んだ後で何度か 私自身が冤罪なのに死刑を求刑され執行される夢を見た事が有ります。 私は冤罪が有るから死刑廃止なんです。 逆に言うと冤罪が100%無くなるのなら死刑と言う刑罰も有りだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「一つの冤罪も許さない!」大賛成ですし、一つとしてあってはならない事だと私も思います。 また、防犯カメラの増設や、取調べの公開、科学捜査の発展により、彼らが真摯に取り組む気さえあれば、ごく近い将来、冤罪のない社会も実現されるのではないか、と思っております。 ご意見ありがとうございました。
- ginga2
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#2です。 >その本を読んだうえで、「何故」反対に転じたのか、 死刑囚の気持ちに一時的でもなれたからです。 万が一自分がその立場になった場合を考えての事です。 他の回答者が言われてるような「腹を搔っ捌いて・・・」なんて出来ません。 子供にはその本を読ませて教育してます。 >(自分には到底無理ですので・・・・) 私も以前は同意見でした。 死刑推進派の方は冤罪で死刑執行された人はしょうがないと割り切れるのでしょうか? それともそんな人は一人も居ないとでも思っているのでしょうか? 悲しい事です。
お礼
ご意見ありがとうございます。 思うのですが、安楽死もある時代に、なぜ絞首刑なのでしょうね。 罪を犯せば、等価交換をもって償うのは当然ですが、それに関わる人に拭い去れない痛みを与えるのは如何なものかと思います。 しかし教育も色々ですね。 教育の基本が「自分がされて嫌な事は人にもするな!」ですので、「人から大切なものを奪った者の気持ちを考えよ」と言うのは、うちでは無理ですね。 あと冤罪についてですが、人がやる以上、絶対は無く冤罪は当然あるでしょう。しかし、警察の取調べへの不信が表面化した現在、冤罪は確実に減っていくのではないでしょうか? そもそも、死刑をなくしても冤罪はなくなりませんよね? 「冤罪が怖いから死刑をやめる」より、それを無くす取り組みをすべきではないでしょうか? 死刑を粛々と進める上で、冤罪防止の強化は当然です。私としては、取調べの画像記録・公表をするだけで、冤罪はほぼ無くなる(自供は役に立たず、証拠が重視される事となるでしょうから)と思っていますし、白黒はっきりしていない人間まで「1年経ったら執行しろ!」と言っているのではありません。 しかし冤罪を防ぐための対策を打つのならまだしも、その為に死刑自体を廃止するのには反対です。また命の重さの議論についても、その重い命を奪った者には適用されない。と考えています。 「理由もなく、無関係な人を何人殺害しても、犯人の命は守る」なんて法は、やはり、法治国家のあるべき姿ではないと思いますので・・・。 上記の内容に付き、更にコメントがあればお待ちしております。
- 翔(@sil_master)
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No.6です。 交通事故においての死刑求刑自体は少ないと思われます。それは、殺人罪としての適用が少ない事。例え酒を飲んで人をひき殺したとしても、それは危険運転致死罪。殺人罪ではありません。酒を飲んでいなければ、業務上過失致死。殺人罪の適用が難しいからこそ、危険運転致死罪という罪状が創設されたんです。被害者遺族としても、故意として殺されたのであれば加害者にも死んで欲しいと思うでしょう。しかし、非故意犯(=過失致死)であったり、被害者にも何かの落ち度があった場合には、納得出来ないなりにも声高らかに「死刑にしてほしい!」とまで言うでしょうか?そこはちょっと疑問ですね。 殺せ!吊るせ!という連中と同じという意見もありますが、私たち国民の意見としてはそういった意見を言っていく事で、法整備がされています。それが「民主主義」です。共産主義ならそういう事を言っても通用しませんし、国民がいくら声に出しても通用しないでしょう。さらに、実際に被害に遭われてしまった方のご遺族のみが意見を言えるって事であれば、検察官による求刑は必要ありませんよね?さらに、有期刑も不要です。被害者遺族は死刑のみを望むのが普通と考えれば、殺人=死刑がスタンダードとなりますので。 殺意有りでの殺人でなければ、殺人罪からの死刑判決にはなりづらい。せいぜい無期懲役です。殺人罪とは、故意犯である事が必須となります(刑法第38条 故意より)。 私は、殺人=死刑ではなく殺人罪=死刑が良いのではないかと思っています。そして、質問者様と同様1年間の執行を猶予すると。もちろん、猶予中は塀の中。 ある意味、死刑囚は竹島へ派遣して駐在させるってのもいいですね。竹島への島流し! 同じ人間としての倫理上、死刑は殺人。それは否定しません。逆に、同じ人を殺したが故の死刑であるとも言えます。さらに、極端に言えば喧嘩両成敗であるとも言えます。公平な刑罰。適切な量刑。被害者感情。加害者の動機。それらを考慮したとしても、人を身勝手な都合によって殺したとなれば、加害者は死刑となるべきである。と考えます。 更生とは事後の事です。そして、可能性が付いて回るものです。更生するかしないかは、もちろん加害者であり被告の可能性に基づくものです。しかし再犯や被害者家族・更なる報復もありますし、何より被害者遺族が厚生を望んでおらず、死刑を望んでいる場合が多々あります。であれば、最初から殺人罪=死刑を法化する事で未然に殺人を防ぎ、実行する事で抑止力プラス節税プラス被害者遺族の精神的ダメージ緩和に繋がるのではないかと考えています。
失礼しました。 下のNO14を書いた人物とNO9を書いた人物は両方とも私です。 14では、あなたから頂いたお言葉を元に、追加のご意見があればというお言葉に甘え、あなたの意見に対して考えるところを書かせていただきました。
お礼
ご意見を!と言っておきながら、申し訳ありませんでした。 再度がんばって見ました。簡潔に言うと、 1、殺人とは、それを生み出す社会にも何かしらの要因がある。 2、加害者家族も被害者になっている。 3、死刑では「死刑になりたい殺人」を抑止できない。 4、犯罪を誘発する世の中を見直さねばならない。 5、被害者が量刑に関与するのは避けるべきである。 6、大切なのは、被害者・加害者にならない日々の思想・行動。 でよろしいでしょうか?私の読解力ではこれが限界です。本当に申し訳ありません。 1、4、6については、私もそう思います。ただ実際やれる事と言ったら子供への教育位ですし、各々が教育を行ってきた結果が今の日本なのですから、変えることは不可能かもしれませんね。 2の「加害者家族も被害者」なのですが、あれ、指名手配は別として、殺人犯の氏名・写真を出す必要性ってあるのでしょうか?未成年でもない限り、罪は本人の問題でしょう。その本人は檻の中だし、残った家族に苦痛を与える目的にしか思えないのですが・・・・。 3の「死刑になりたい殺人」ですが、彼らは本当に死刑になりたくて、人を殺すのでしょうか?そうであれば、暴論ですが、殺人を犯さなくてもいいように、死刑を募集してやれば解決です。少なくとも罪なき人の死は防げます。ただ私は応募は無いと思っています。 彼らは「死刑になっても構わないから存在を示したい。」のではないでしょうかね?だって死にたいだけなら、自殺すれば済むことですから・・・・。そうであれば、たとえ死刑制度が廃止となっても抑止とはならず、彼らは存在を示すため人を殺すでしょうね。 5も同感です。だからこそ「罪無き者への凶悪殺人」は議論の余地無く死罪に固定されるべきだと思います。最高裁まで引き伸ばし、運がよくなければ死刑にできない。そのような現状だからこそ、被害者は5年も10年も量刑に関与しつづけなければならないのだと思うんですよね。 あなた様の意図と全く違うことを論じているようでしたら、どうか笑ってお許しください。
あなたは「罪がない人の命が……」とおっしゃっています。 報道では確かに罪のない人を襲う快楽殺人のようなものが大きく取り上げられます。 が、実際には、それ以外の殺人がある。 たとえば、 喧嘩をした結果、相手を殺してしまうケース。 命を狙われた場合相手を殺してしまうケース。 慢性的に暴力を受けていて、相手を殺してしまうケース。 命を実際には狙われてはいなかったけれど、狙われると誤解して相手を殺してしまうケース。 などは、必ずしも罪のない人の命とはいえないケースがあるわけです。だから、私自身は殺人罪はすべて死刑!とするべきではなく、慎重に動機や経緯、更正の見込みなどを慎重に勘案した結果、死刑しかない場合についてのみ死刑とするべきだと思います。 しかし、これらのケースにおいても 「必ず死刑にする国としない国とではどちらが殺人が減るか」というと、当然前者であるわけです。 無辜の命が奪われる場合でも、いろいろなケースがあるわけです。 たとえば、「AはB宅に侵入。Bは逃げ出そうとした結果ころんで死亡した」 「AはBを脅かそうと思って後ろから背中をついた。背中をつかれたBは転んだ。そして死亡した」 というようなケースもありうるわけです。 どちらもBの遺族の立場に立ってみれば、Aは許せない。Bには何の罪もない。特に上の例ではAは明らかに悪いことをしている。下の例でも人の背中を後ろからつくのは暴力行為に当たるわけだし、悪いことをしていないとはいえない。 しかも、Aを死刑にする国とAを死刑にしない国とでは、どちらが犯罪の少ない社会になるか? ということを考えるとどちらのAも死刑にしたほうがいいのではないかとなる。 財政の面でも、Aを死刑にしたほうが効率がいい。 しかし、そのように遺族感情、合理性、効率……そうしたものだけで考えると、死刑がさらにどんどん適用されてしまうことになるでしょう。 過失致死の場合もそうです。あなたはたとえば薬物を使用しての運転など重度の過失がある場合は殺人罪を適用し死刑を執行すべきだという考え方をお持ちのようです。 実は私自身もこの件については、近い意見なのですが。 しかし、死刑を適用することに慎重さを失うと たとえば、風邪を引いている場合、明らかに自分が風邪を引いているとわかっているにもかかわらず、車を運転して事故を起こした。 あるいは寝不足の場合、明らかに寝不足とわかっているにもかかわらず車を運転して事故を起した …どちらのケースも被害者の遺族にしてみれば「自分が健康な状態でないとわかっているにもかかわらず、車を運転した。その結果~~は死んでしまった。運転手さえ慎重なら~~は死なずにすんだ、死刑にしろ!」となるでしょう。 「風邪や寝不足の結果、事故を起した人間を死刑にする国と、死刑にしない国ではどちらが、死亡事故が少なくなるか」ということを考えても、当然前者なわけです。 過失の程度が少ない場合でも 「過失致死を侵したものを死刑にする国と、死刑にしない国ではどちらが過失致死が少ないかというと、当然前者」です。 じゃあ、この場合も死刑を執行していいのか? ということについては、慎重に考える必要があると思います。 慎重に考えなければ、どんどん死刑は適用されていくでしょう。 どのような基準で死刑にするべきか否かを決めるというのは、難しいことだと思われます。 しかし、「死刑もまた殺人であり、悪いことなのだ」「あくまで最後の手段として」という認識を皆が抱き、慎重な姿勢で決めなければ、歯止めが利かなくなってしまうのではないかと思います。 歯止めが利かなくなった社会は、それはよくないのではないかと思うのです。 そういうわけで、死刑に対しては遺族の感情に引きずられてはならず、慎重であるべきだとおもいます。
お礼
ご意見ありがとうございます。 あくまで大枠での考え方ですので、個別のケースとなると非常に難しいですよね。 基本的な法解釈は、ありがたい事にNO.6様が解説して下さっているので、ここは私の好き勝手な解釈を。 >喧嘩をした結果、命を狙われ、慢性的に暴力を受け、狙われると誤解して相手を殺してしまうケース。 あくまで「罪無き人への凶悪殺人」は死罪確定です。 それ以外は法の下で量刑を決めるべきでしょう。 逆にお聞きしたいのですが、無差別大量殺人犯でも、更生の見込みがあるなら死刑は免れるべきだと考えますか?それが無理なら何人までなら更生の見込みがあるのでしょうか? 国の更生の見立ても再犯が存在する以上、適当としか思えないんですよね。 AさんBさんの話ですが、どちらも、「罪無き人への凶悪殺人」には該当しないと思います。無論前者は大罪でしょうが・・・。 まず、薬物(覚せい剤など)や飲酒を使用しての運転すれば、死亡事故を誘発する。と言う事を周知徹底させる事が大前提です。これらはそもそも違反行為であり、彼らはそれを承知のうえで運転し、死傷事故を起こすわけです。 それに対し、風邪をや寝不足の場合は違反行為ではありません。同列ではないと思います。また、どの程度、死亡事故の原因となっているのでしょうか?個人差無く、明確な基準と科学的な根拠があるなら、まず法案化するべきでしょう。死刑議論はそれからです。 >…どちらのケースも被害者の遺族にしてみれば 遺族が辛いから死刑にしろ、ではありません。 >死刑を執行していいのか? ということについては、慎重に考える必要があると思います。 今が、少し慎重すぎると思うしだいです。何の理由もなく、妻子二人が惨殺された事件がありましたが、何年も掛け、挙句の果てには「ドラエモンが直してくれると思った」だから死刑は回避しろ!です。慎重すぎません? >そういうわけで、死刑に対しては遺族の感情に引きずられてはならず、慎重であるべきだとおもいます。 私も遺族を考えて死刑にしろ、とは思っていません。 ただし、更生を第一に考え、死刑を廃止しろ、には反対です。 ご返答があればよろしくお願いいたします。
- nhhiromi
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>冤罪を避けるため1年猶予をおき この前無期懲役の方が17年後冤罪を晴らすことが出来ました。 これは、人間の限界を示すものではないですか? まれなケースとかの意見もありますが、現実を受け止める謙虚さも必要だと思います。 >深く反省したところで結局死刑なのですから囚人のためにもならないでしょう。 どうして判るんでしょうか?想像だけですよね! >もし、自分のお子様や愛する人が、何の非もなく、暴行され、そのうえ惨殺された立場となっても、検察の死刑求刑には「ありえない!彼には更生の可能性がある!」と異を唱えますか? そのことと社会の制度はある程度切り離すべきではありませんか? これはその立場になれば多くの人が復讐心が沸くので当然の話です。 あなたの税金が無駄な特殊法人に使われています。税金払いたいですかみたいな話です。 誰でもその立場なれば死刑にしてくださいと意見しても良いでしょう。 逆に加害者の家族が死刑はなんとか回避して欲しいと言っても良いと思います。 あなたの家族が死刑になりそうならそう言っても良いです。(多分自分はそんなことにならないし、今質問者さんは社会正義に酔っている感じを受けました) >正直な処、自分の事となっては、冷静な判断は無理でしょうか? だから裁判官や検察官や弁護士がいるのではないですか?
お礼
ご意見ありがとうございます。 反対意見はありがたいのですが、批判だけでなく、ご自分の考えを記載して頂けませんか? >この前無期懲役の方が17年後冤罪を晴らすことが出来ました。 これは、人間の限界を示すものではないですか? では、あなたは死刑宣告から具体的に何年経てば良いと思っているのでしょうか? >深く反省したところで結局死刑なのですから囚人のためにもならないでしょう。・・・どうして判るんでしょうか?想像だけですよね! では具体的に彼らの為になる事がなんなのか教えていただけませんか? 「長引かせる事は拷問に等しい」とのコメントを他者様からは頂いていますよ。 >そのことと社会の制度はある程度切り離すべきではありませんか?~ 前にも記載しましたが、私は「遺族が可愛そうだから」「金がもったいないから」殺せ!と言っているのではありません。他者様の良い言い回しを借りれば「理由なき凶悪殺人は死罪」と言う考えです。 現行でも死刑はある訳ですが、それをあえて変えてまで無くすべきだ!と言う方の意見を聞きたかったのです。 ただ、死刑反対派が、被害者にあい、賛成に回った実際のケースが複数ある事を知りました。現実を謙虚に受け止めるべきは、反対運動を起こしている方々かもしれませんね。 >誰でもその立場なれば意見しても良いでしょう。~ では、死刑反対を叫ぶ方々は、皆加害者家族ですか?意見を述べる評論家は?経験者以外は意見するな!と言うのは暴論ではないですか? >今質問者さんは社会正義に酔っている感じを受けました 私の意見が少数だとお思いですか?普通の常識論ではないでしょうか? >正直な処、自分の事となっては、冷静な判断は無理でしょうか? だから裁判官や検察官や弁護士がいるのではないですか? 繰り返しますが、「被害者が心理で罪状を決めよ!」と言ってるのではありませんよ。正直この考え方はズレてるのではないかと・・・。反対派が実際賛成に回り、逆は見当たらないと言う事実でこの疑問は解決しました。 お時間があれば、是非コメントお待ちしています。
- neko1kin2
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もし息子(30歳と25歳)が、何の落ち度もない方に貴方の言われたような罪を犯したのであれば、私自身の手で息子を殺し、その足で被害者親族の前で腹を掻っ捌いて自害します。息子たちが小さい頃から凶悪事件が起こるたびに、家族で話し合って来ました。そして今では孫にも、そう言う教育をしています。勿論息子がです。死刑反対論者の考えが全く理解できません、日本に住んでる以上凶悪殺人を犯せば死刑です!!
お礼
同感です。 他人様を何の理由なく殺しておいて、うちの子は更生出来るから死刑は勘弁してくれ!なんて、とても言えません。 凶悪であればあるほど、非常識な理由で死刑を回避しようとする人間や、それを支援する弁護団などがメディアを賑わすのには不快感を覚えます。 「理由なき凶悪殺人は死刑」教育上も、そのほうが余程、世の中にいい影響を与えると思うのですが・・・・・。 ご意見ありがとうございました。
- pojipoji
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近年、犯罪者の心情や加害者家族の苦しみに寄り添おうとする見解が目に付かなくなっているような気がしますが、例え犯罪に至る経緯が非難に値するような感情や行動の積み重ねであったとしても、私たちの社会が産み出したものであることは否定できません。 寄り添うとは、加害行為を正当化したり非難しないことではありません。知りえたそれぞれの状況から生じた加害者の心理状態を自分なりに感受することです。また加害者家族は、外見上犯罪者の直接の標的にはなっていなかったとしても、実は犯罪者の行為に最も苦しめられる人々のうちの一人であることは間違いありません。奇しくもT元死刑囚は「あほらしい。大量殺人を起こせば離婚した妻や、不仲の父親を後悔させるとこができる」と加害の意思を明確にしておられますが、他のケースでも加害の意思が推認できると考えます。 日本には世間というものがあって、「自分と利害関係のある人々と将来利害関係をもつであろう人々の全体の総称なのである。具体的な例をあげれば政党の派閥、大学などの同窓会、花やお茶、スポーツなどの趣味の会でなどであり、大学の学部や会社内部の人脈なども含まれる。近所付き合いなどを含めれば「世間」は極めて多様な範囲にわたっているが、基本的に同質な人間からなり、外国人を含まず、排他的で差別的な性格を持っている。」阿部謹也氏著『世間への旅』筑摩書房 世間とは、現代的には「空気をよめ」といわれる範囲内の閉鎖集団であり、私たちにとっては、それこそが内であり、他は外です。よって、モラルに反している大抵のことでても集団内での支持が得られることなら許されると考えられます。例えば電車の中で仲間のために席を独占しようとするのは、許されるだけではなく褒められる行為であると考えている人々があります。 そこでは、世間内で起こった違法行為について社会に告発する者は、それが被害者であったとしても大きなバッシングを受けることとなります。しかしある事件では、その該当の閉鎖集団外からも告発者に対するバッシングがあったが、これは別の閉鎖集団内での自分の立場の態度表明であると考えます。 社会の中で、それぞれ別々の世間に属している私たちにとってそれぞれの世間に直接介入することは出来ません。そこでどのような不満や不合理によるエネルギーが蓄えられ、それが社会に向かう犯罪となって攻撃にさらされることがあるか知るべくもありませんが、一番大切なのは犯罪を抑止することであって、「死刑になりたくて犯罪を犯す人」を死刑で抑止することは出来ません。 しかし、「死刑になりたくて犯罪を犯す人」を産み出したのは私たちの社会あり、また半年で1万7000千人を超える自殺者の方々についても、外に向かうか内に向かうかの違いはあれ、社会に対する絶望と受け止めて、社会と世間と個人のあり方をよく考えてみる必要があると考えます。 そのためには、自分の属する世間というもの以外にも無関心ではおれないのではないかと、これを社会や世間のせいにして犯罪者を免罪しようとしているという非難が起こる場合がありますが、そうではなく、同じような境遇にあっても犯罪を犯す人もいればそうでない人もあり、犯罪を選択したことが非難されることは当然であり、しかし犯罪者を非難するだけでは犯罪を防止することは出来ないと考えます。 被害者遺族の方々の心情については、本当のところは分かるすべもありませんが、人の死を願うことは不幸なことであり、被害者遺族の方々の人格が汚されることがあってはならないと考え、被害者遺族の方々に量刑を判断させるようなことはあってはならないと考えます。 国家が私刑や、決闘、仇討など自力救済を個人から取り上げたのは、憎しみの連鎖を引き起こすのを防止するため、中立的な国家が刑罰という形で国民間での決着と和解を奨めたと考えます。そこで死刑制度を存置するかどうかは冷静な判断で行わなければならないと考えます。 多くの場合犯罪者とされた方々も誰かの隣に住まわれることとなるでしょう。内と外による部外者としての排除、また内の内部での排除は、無職の方に再犯率が何倍も高いように結局犯罪を増加させる恐れがあると考えます。加害者でも被害者遺族でもないものの役目は今後類似の犯罪が起きないよう自己が何をなすことが出来るかよく考えることだと思います。
お礼
すみません。折角、コメントを頂いたのですが、話が高度すぎて、さっぱり分かりません。 もしよろしければ、 死刑が確定した以上、粛々と進めるべきではないか?と、 自分が被害者の立場であっても、死刑に反対できるか? に絞って、簡潔にお答える頂けませんでしょうか? 本当にすみません。
- y0OilIo1lm
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> 過酷な強制労働を強いられるなら別でしょうが・・・ 死刑囚に過酷な強制労働を課することはむしろ死刑囚を助けることになります。死に対する恐怖から免れるのに過酷な強制労働ほど効果的なものはないかもしれないのです。早く死刑を執行してくれたほうが楽だということ。死刑囚はこれといって何もせずに一日中内面を見つめているほど恐ろしいことはないのです。毎日毎日、鉄の扉が開かれ、閉じられる音を聞いているのは拷問のようなものかもしれません。この意味おわかり願えると思います。 >自分の事となっては、冷静な判断は無理でしょうか? 言われる通り無理でしょ。死刑廃止論者でもさて自分の愛する者が殺されたら到底冷静に死刑反対など言っていられないでしょ。にもかかわらず私はどうしても死刑に消極的にならざるを得ません。法に基づいた国家権力による合法的な殺人、という観念を拭い去ることが出来ずにいます。執行の前、死刑囚の中には恐怖のあまり小便をもらし、いやがるのを無理やり看守に両脇を抱えられて連れられていく。首にロープが巻かれ、床が落ちて宙吊りの体がゆら、ゆら。顔の描写は止めておきましょう。とにかくその状態である時間まち、死亡を確認して死刑が終了。これは国家が法の元に執り行うことだから許されるだけです。 なお死刑囚を生かしておくとお金がかかるだけというような議論は疑問です。死刑執行をそんな次元で考えるのは非常に疑問です。何か西部劇に出てくる、「吊るせ!吊るせ!」と騒ぎ立てる野次馬連中と似たものを感じます。といっても身内が殺されたりした場合は私もやはりそのような連中と同じ心境になるのは間違いないでしょう。しかし身内が死刑を望むのと、第三者が死刑を主張するのとは違うわけです。前者は当然ですが後者は上記の例の人間と同じものなのです。 一つ、死刑に変わる刑として昔ながらの島流しはどうでしょうね。まったくの無人島に置き去りにするわけです。天命いかんによってひょっとすれば生き延びることができるかもしれない。この問題の妥協的解決策は島流し刑の復活しかないのかも。
お礼
コメントありがとうございます。 まず一つ目のご意見についてですが、遺族が早い刑の執行を望み、死刑囚もそれを望むなら、やはり早期の実施したほうが良いでしょう。死刑を引き伸ばし、死刑囚そして遺族に拷問のような毎日を送らせる事に何の意味もないでしょうから。 法に基づいた国家権力による合法的な殺人・・・・ 私にしてみれば、法治国家にいる以上、当然の事だと考えます。前記しましたが、「何人殺しても死刑にならない」世の中と「罪のない人を一人殺せば必ず自分も死刑になる」世の中。前者の方がマトモだとは思えませんので・・・・。 強いて言うなら、「小便漏らすくらい死刑が嫌なら、端から人を殺すな!」と言いたい。この惨状を周知徹底出来れば抑止力となるでしょうが、公開となれば色々問題もあるでしょうし、何か良い方法はないでしょうかね? お金の話もありましたが、私の考えは元々「罪なき人を一人殺せば死罪」です。一人まではOKとか、何人殺しても終身刑とか言う考えは賛同できません。また、現実問題、終身刑を一人つくれば、年間280万程度の金が掛かります。「全ての死刑囚に終身刑を望む。でもそれによる増税は許せない」では現実問題、話になりません。 世の中、生活保護を打ち切られてのたれ死んでる人も、介護手当てが少なすぎて、人を雇えず、死を選ぶ人もいます。限りある財源です。どちらを救うべきでしょう?(金がかかるから死刑にしろ、と言ってるのはありません。あえて終身刑制度に変えたいなら、財源まで考えるべきだ。と言うことです。) おお!妥協策としての島流しは賛成ですね。しかも回りは殺人犯だらけ。その時、初めて奪われる側の人間の苦しみが分かるかもしれませんね。 貴重なご意見ありがとうございます。
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お礼
まったく同感です。 死刑を廃止するなら、「死刑にしてくれ!」と嘆願するくらいの、強制労働や仕打ちが必要と考えています。「反省してます。後悔してます。」で済むような問題ではないですから。 それこそ、無期懲役であれば、毎月限界までの献血に、二つある臓器を移植に提供する。新薬の検体になる。くらいの社会貢献させたい処です。(過激すぎますかね?) ご意見ありがとうございました。