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性格の遺伝

親の性格がうつってしまうということはよく言われますが、これは防ぐ事が出来ないのでしょうか? 例えば、DVの父親を持つ息子はそれが遺伝してしまうかなど。 本人にはどうしようもない事ですか?

みんなの回答

回答No.7

性格は遺伝しません。 しかし親と子の性格というものは似てきます かなり極端な例ですけど たとえば父親がイライラしている ↓ 子に暴力を振るう ↓ 子はストレス発散の方法として自分より弱いものに対して暴力をすることでストレスが軽減されるというプロセスを学習する ↓ 子が親になり、子を産み、自身がストレス下におかれた場合、自分が学習したことを思い出し、自分の子に暴力を振るう こういうことがあることもあります。 人間は学習する生き物です。悪い言い方をすれば上のようなことも起こりえます。 しかしだからこそ「暴力はいけない」「あんなにつらかったことを自分の子にするわけにはいかない」 そういう風に思うことを忘れなければ、それを繰り返し学習すれば、きっとDVなどは伝わらないと信じたいです。 本人にはどうしようもない、なんてことは絶対にないと思います。 しかし統計上、親にDVされた子は、自分の子にもDVしやすいようですね でも性格はまわりの環境によって形成されやすいという考え方が主流です。 性格は遺伝しません

dounann
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 日を置いてみて、自分の考え過ぎかもと思ってきました。 父はDVではありませんが、歳を取って来たからなのだなと思いたいと思います。 ありがとうございます。

noname#132831
noname#132831
回答No.5

 コメントありがとうございます。専門家ではありません^^;。  以下、『40歳から「脳」と「心」を活性化する』(和田秀樹)より抜粋 さらに実感したことは、脳というのは”前の方”から衰えていくということだ。これについては、実際に調べたデータがある。シェファーという神経病理学者が、痴呆ののない平均77歳の10人の高齢者の脳と、5人の19~28歳の若者の脳とを比べてみた。すると前頭極と呼ばれる場所の神経細胞が平均で28パーセントも減少していた。 (中略) これらの研究結果を考え合わせると、前頭葉が衰えると、考えや感情のスイッチが悪くなり、自発性や意欲が低下すると推察できる。高齢になるほどこの傾向が強く見られるが、すべてが前頭葉の老化によるとは言えないにせよ、かなりの部分において前頭葉の老化が影響していると考えてまず間違いないだろう。  哲学では、私たちに“主体性”や“自由意思”は存在するのか?という命題があります。ある「考え」や「意志」は、私たちが主体的に思いついたのではなくて、無意識に思いついたものであって、ただ主体的に考えたと感じているだけである、という考え方です。“自由”があるのなら当然に“責任”も発生しますが、自由にならないのなら責任の発生は便宜的なものになります。  個人的な感想ですが、「無意識に何かやっている(と自分が感じる)人は、良い人にせよ悪い人にせよ(自分にとって)馬鹿に見える」という法則があると思います。そういう自分も、誰かから見れば馬鹿に見えているかもしれません。(たとえば、回答したところで何の得にもならないのに回答する輩は、無意識に自己重要感を求めている馬鹿だ、といった具合にです)  “フラクタル”という概念を説明するのによく「海岸線の長さ」が持ちだされます。自然の海岸線には様々なレベルの凹凸があり、どこまでの凹凸を測るのかによって海岸線の長さは何倍にも違ってきます。また、株価の上下を示すグラフでも、どの部分を抜き出すのかによって、上昇トレンドなのか下降トレンドなのかが違ってきます。  「意識的」と「無意識」の区別もそれと同じで、自分では意識的にやっている(と自分では思っている)ことでも、別の角度(別の冷静な人)から見れば無意識と言えなくもありません。  『あの短気になった老人のせいでイライラする』のが事実であったとしても、趙冷静な人から見れば『自分で勝手にイライラしているだけ』と見られるかも知れません。真実の在り方とは、フラクタルなものかもしれません。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E9%A0%AD%E8%91%89
dounann
質問者

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ご回答ありがとうございます。 やっぱり年齢の問題なんですかね…。 なんとなく楽になりました。

  • booter
  • ベストアンサー率34% (269/769)
回答No.4

全然専門家ではありませんが、同じ事で悩んでいたので回答します。 性格が移る、というのはこれはどうしようもない事なのだと思っています。 何せDNAが一緒なのですから。 但し、我々は本能による行動の他に学習による行動という事もできます。 いや、そんな学習は無意味だよ、結局は本能に従っちゃう、という意見もあるでしょうが、本能に従うままの人間であれば、人間は創意工夫などせず、発明・発展などもせず、洞窟に暮らしていた時代と同じ生活を送っているのでしょうが、現実には違います。 ちゃんと感情を抑える事もでき、それに対する対処もできます。 プラトン「国家」からの引用ですが、記載しておきます。 ※下記はそのままの引用ではなく、私なりに噛み砕いた解釈です。 「人は皆、自分の心の中に、さまざまな欲望を持つ巨大な怪獣と、ライオンと、そして人間自身を持つ。この内のどの魂が人間の肉体を支配すべきだろうか。まず怪物の魂が人間を支配する例を考えるが、欲望のままに動く怪物に支配させてはならない。一番適当なのは人間が人間自身を支配する事である。そして時には勇気のあるライオンを友にし、怪物を抑えるべきなのだ」。 「人間には情念が必要であるが、情念のみに身を任せる事は怠惰である」 「何も考えずにできるような怠惰な仕事は、卑賤の者に任せれば良い」 という事で、上記の例から、湧き上がる情念を抑えて理知的に動く事が人間としての行動規範なのではないか、という中間結論を得ています。暴力的措置なら動物にだってできる。人間として生まれたならば理知的な解決の方向に進むべきなのでないかと。 ですので、我々には受け継いでいるDNAの他に我々自身が考えて行動できる選択肢が残されている、と考えた方が妥当のように想われます。 なにか、グダグダな文章になってしまいましたが、ご参考まで。

dounann
質問者

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ご回答ありがとうございます。 直してくれたらいいと思うんですが、、無理でしょうかね…。

noname#132831
noname#132831
回答No.3

 性格 http://www.f5.dion.ne.jp/~with/seikaku.htm  遺伝子レベルの「性格」というのは、私たちが言葉で表現している「性格」とは、ずいぶん違っているのだろうと思います。脳の機能分化の様子、神経伝達物質の生成、ニューロンの連繋、(実際のところどうだか知りませんが)そういった言葉として性格を表現するのとは異なった、それ自身としては良くも悪くもない物理的な特徴、それが遺伝子レベルで言う「性格」ではないかと思います。たとえば「ニューロンの連繋が固着しやすい」という遺伝的特徴があったとして、だから強迫神経症になってしまったという場合もあれば、粘り強く勉強してノーベル賞を獲ったという場合もあるでしょう。あるいはまた、「多動性」という特徴があるので、学習障害になる場合もあれば、甲斐甲斐しく働いて出世する場合もあるでしょう。遺伝的特徴が、私たちが普段言うところの性格にどう発現するのかは、極めて予測しにくいものだと思います。  むしろ、その家庭の「考え方のクセ」による影響の方が大きいと僕は考えます。  たとえば、http://yukiduke.jp/kyoizon2.html「感情幻想」、のようなその家庭の底流にある“文化”が継承されるのではないでしょうか。そのほかにも、「べき思考」重視で感情を軽視する家風とか、精神論で何でも解決できるという信念とか、結果が出なければ努力は無駄であり「自己満足」は絶対に否定する主義とか、ピグマリオン効果信仰とか、言い訳は絶対にしてはいけないという不文律とか。それが当たり前すぎて、いまさら疑うこともしないような“文化”があるのではないでしょうか。もちろん、これらは正しいこともあるのですが、いつも正しいとは限らない「思い込み」です。すべて間違っていると言えないので、私たちの心を捉えて離さないのです。    http://park6.wakwak.com/~psychol/communicate/cbase/bubun.html 般化    http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/deai/013kizoku.html 原因帰属理論    http://homepage2.nifty.com/zunou/kannkei/2.html 自己重要感

dounann
質問者

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ご回答ありがとうございます。 なるほど専門的に回答してくださってありがとうございます。 考え方のクセですか、、あまりそういう考え方をした事がありませんでした。 だとすると歳をおう毎に顕著に見えてくるのはどう考えればいいでしょうか?(悪い意味ではありません)

回答No.2

性格は「遺伝」というより、「学習」と「輪廻」で伝わります。 「学習」は、生まれてから接している親の性格を「これが普通」と感じるのが、体にまで染み込んでしまう。スーパーでケンカ口調の家族にびっくりしてよく見ると、どうもそれがその家族の和気のようだったりします^^; 「輪廻」はその逆で、決して親のようにはなるまいという信念が皮肉にも、同じ性格にしていくものです。子供を愛さなかった親について「決してああはなるまい」と、完璧な親を求める信念からやがてストレスに圧迫され、自分の子供に同じストレスであたるようになる、など。 生き方思考をじっくり学び直すことで、「性格」も変えられます^^。

dounann
質問者

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ご回答ありがとうございます。 おそらく父には輪廻の方が当て嵌まると思います。 しかし、父は自分のその状態を否定し、おそらく受け止められないと思います。 父にはどう接するのがいいでしょうか? これから確執が深まるかと思うと心配です。

回答No.1

性格が似るのは生活の中にある些細な癖が原因しているのではないかと私は思います。質問のDVであれば、何らかによって感じるストレスを暴力で家族にぶつける、あるいはお酒などて判断能力を失った際に殴ってしまうなどが考えられます。ならばストレスを解消できる健全な方法を自分で見つけたり、判断能力が鈍るほどお酒を呑まないなどするのはどうでしょうか?発想の転換です。幼い頃から積み重ねた癖はなかなか消えません。しかし自分の身近に反面教師がいるならは予防策はたてられるはずです。

dounann
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 ですが、質問の内容は私ではなく私の父です。祖父が酒好きでそれとは関係ないかもしれませんが短気な性格です。(私はそういった話しを聞いただけで被害はありません。私にはたいていはよき祖父です。) 最近父がそれと似てきたという話しを家族から聞きました。 父もたいていはおだやかに見えますが、一度怒ると手が出る人間です。 それで、もしやと思ったのです。 私もどんどん大人になる身なので、いつまでもこのような話題は聞けません。 私の知らない精神障害のようなものが父にはあるのではと思ったのです。

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