- 締切済み
O男の開放感Oを哲学してくださいOおねがいしますO
O男の開放感Oを哲学してくださいOおねがいしますO
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- entahu2
- ベストアンサー率23% (4/17)
MUTUKINANAさんの言われる「男の開放感」の意味あいがよく解かりませんが、 ある一定の常識的解釈から回答してみます。 男には、様々な場で、社会的にメンツというのが出てきてしまったりします。 特に社会的に低く扱われると心は苦しくなります。 その逆に、その社会や職場でトップの地位に置かれると、それだけでも気が楽になります。 そのために、男は時として血のにじむような努力もしたりします。 ですので、そうした地位が得られた時には、 その過程が苦しかったほど 大きな開放感をえらると思います。 もちろん、 これは社会的に作られる心理でもあるので、 社会全体が変化すればその心理も変化しますし、 あるいは、 その心理自体をたくましく乗り越えて、 メンツとかを気にしないでいられるような強い精神を得ることでも、 開放感は得られます。(だだ、 これはなかなかむずかしいと思います) これは、大きく言えば女性にもあてはまる心理ですけど、 社会的に現在作られている心理構造から言えば だいたいこのように言えてしまうところがあるかと思います。 ただし、これは一般的考え方の回答であり、 哲学者(深く物事を考える者)としては、 上の3点、 つまり、(1)メンツとか名誉欲とプライドの問題 (2)社会構造それ自体の変革の問題 (3)自我を越える、あるいは乗り越える心の世界 の3点の しっかりした総合的な判断と思索展開をしてゆくべきところ、 これによって 新しい全社会的な変革の構造と、そこへの道における自我の形を動的にとらえ、実際にそこに見通しをつけて実践しつつ、 実践とともにさらに考えを練ってゆくという 動的哲学を 私は 若い人たちに期待したいと思っています。 その過程は かえって解放どころかむしろ苦しい時もあるかもしれません。 それでも 心の奥にほんとうの人間としてのプライドを持ち続け 心の表面は傷だらけズタズタになろうとも、けしてその魂は失わずに、 歩き続けていって欲しいと思います。 もし、 その道の向こうにある 哲学者の開放感を得られる時が来るならば、 その時 男の開放感の最大のものが得られると思うのです。 もちろん、そこまでいけるならば その開放感において男女の差などないでしょう。 MUTUKINANAさん、 今の今は、あなたのような立場の方こそ、そのへん苦しいかと思います。 でも、どうか負けないでください。 他の人たちも それなりに多くの方(かた)が苦しんで闘って、男なら男のその道を歩き続けていると思いますよ。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
しつこくこんにちは。 ★ 開放感 ☆ はあまり哲学の主題になるとは思えません。自由が束縛されている状態からの《解放》というのであれば 大きな主題だと思います。 また ★ 男の ☆ というように性差を問う場合にも 主題として似つかわしいかどうか分かれるはずです。 上の《解放》という主題でしたら 男も女もその区別は無しにまづ人間としての解放を扱うはずです。そのように人間論が前提となって初めて 男女差の問題は取り上げられるはずです。人間論という大前提があるというのは ないがしろにすることが出来ないと考えます。 理論を離れて言えば 聖なる甘えのもとには 宇宙大の開放感があるでしょうね。
補足
1230拝読印|
補足
拝読|の印