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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:極右がもたらした代償)

極右がもたらした代償

このQ&Aのポイント
  • 近代の会社の経営や教育に極右思想を取り入れることは害が大きすぎる
  • 日本の産業デザインは芸を滅ぼす考えによって発展しなかった
  • 卑怯な人間が理念を示さず岡目八目の原則に従うことによって誰もゴに打てない

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回答No.44

>右とは、例えばおかもとのぶとさんに永遠の丁稚をやらせていることが美しいという発想です。 >はしだすがこさんが、もし筆をすべらせて、野望をもつ丁稚にしてしまったら醜いという思想です。  意味が解りませんでした。「おかもとのぶと」「はしだすがこ」を知らない人間にも解るように説明してもらえないでしょうか。なにしろテレビや新聞、雑誌などは最近はほとんど見ませんので。 >わざと筆をすべらせてアバンギャルドな内容にしてみて経済の動向をリサーチしてみてもいいかもしれません。  意味が読み取れず。 >しだいに一段高いところから見下ろすという良く言えば、職人気質の面が強く出てきているのだと思います。  性の高い人と低い人が話すとき、背の高い人は自然と見下ろすかたちになります。見下しているわけではなく、自然とそうなります。背の低い人から見れば「見下されている」と思うかもしれません。 >全てにおいてですが、成熟すると、専門的になりすぎて自己完結に陥りやすいという良い例かもしれません。  成熟すれば、未熟な人にとってはわかり難いということでしょう。真に物事を理解している人なら、平易な言葉を使って説明するはずです。固有名詞や専門用語などを使わずに。最終的には自己完結するでしょう、思想・哲学は。他者完結などありえないと思います。

heartmind
質問者

お礼

>右側とはどういうことでしょうか?権威・上位者を肯定し、 >それらがすばらしいという立場の者を言うのではないですか. >物事の根本・根幹にある家族関係での右側とはどういうことを言うのでしょうか? お礼遅くなりすみません。もうそろそろしめなければと思っています。 もともと右側というのは、個人と個人がお互いをリスペクトしあって協力して、 生活する事だったのだと思います。 それが、ゆがみをもつとファシズムや排除の論理になりやすい危ういものなの だと思います。 輪郭のしっかりしたものではなく、人間のきびというやわらかくてあやふやな ものを核にしているから、すぐにエラーを起こしやすいのかもしれません。 いろいろ考えさせられました。ありがとうございました。

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回答No.24

そろそろ退会しようかと思いつつ確認しに来てみたら。予定が変わりました。 >汚い言葉でストレートに中傷している人の方がましです。 >こんなバーチャルな場で恥をさらせないで、どこでさらせますか。 >言いたいことを素直に言いなさい、卑怯ですよ。 おや、本心で、そう思ってらっしゃいます? おコトバですが、上記いずれも、この私自身が、そのようであるとして、さる連中から散々に誹謗されたことでもありますので、思わず苦笑しましたわ。それはさて置き、 >あなたは何が言いたいのか、それが全然伝わってこない。 それは私のほうも、あなたについて、前から言っておりますよね。 もっとも、「全然」でもないので余計にやりにくいとも言いました。 >あなたは何が言いたいのか、それが全然伝わってこない。 >あなたの言っている意味が分からないということではない。そんなことは分かる。 >あなたの考えていることや、感じていることが、言いたいことがぼやけているというか、ぼやかしている。 >だから、揚げ足取りとか、水掛け論とか、中傷の様にしか見えないのです。 では、まず、このことについても、もっとハッキリ言います。 上記、実に変な飛躍をしてます。 恐らく、私がそうであるとおっしゃることの裏は、ご自身が全くそうであるからということなのではないかと思われました。 「>身の丈 とは、どういう意味で、おっしゃってます?他の述べられている御考えを総合すると、矛盾を感じるのですが」 「>クリエイティブは発想は既得権益化しなくてもいい ここも、おっしゃる意味が、よくは分からないところですが、要するに、ひとりじめ無用ということですか?」 「食われる」だの 「マスターベーション」だの、 極端で独りよがり過ぎる表現の確認のために、こちらから補足要求的に尋ねているというのに、(でないと、こちらも、お望みに沿った的確な応答がしにくい)まともに返事をするでなし、 それを「揚げ足取りとか、水掛け論とか、中傷の様にしか見えない」と、それこそ「揚げ足取りとか、水掛け論とか、中傷の様」なことをおっしゃる。 お分かりですか? 前回、たとえば、 「私自身の企業勤務経験においても、「効率」ということは何より第一に言われ続けてきました。 どうかすると、奴隷的なのですね。ですから、「疲弊感からまんまるく誇り高い貴族の様になりすぎてしまった」どころか正反対です。自発的労働の喜びなどあるわけがない。どんどん疲弊する方向へと追い立てられてしまうわけです。」 こういうところが、ご自分にとって、ただ反論めいて見えて仕方なく、気に食わないのでしょうか? >ブロジェロンヌさんの言いたいことが分からないのは私の理解力不足です。だからそう申し上げている。 私に対しては、「理解不足です、申し訳ない」では済まさないのですね。 あなたは何かにつけて、発達障害が、その苦労が、というようなことをアピールしておられるように見受けましたけど、今まで、こうした場で明るみに出すことは一度もありませんでしたが、この私自身、いわゆる「ギフテッド」に相当する立場の者ですのでね。他にも肉体的な障害を抱えてますので、自閉症とかは決して他人事ではないので、だからこそ、最初からむやみにに被害意識的な受け取りは無用になさってください、と言っているのです。 >あなたがアフォーダンスを論じていながら、機能デザインの関係にピンきていていないのが、不思議だった。まるまるコピペですよね。だからなのかと後で分かりました。芸とデザインの関係も厚顔無恥にも否定をいいきっている。 へえ。 「芸」なるコトバは幅が広いので、このことについても、ご自身のお考えを尋ねたつもりです。 もっとも、確かに私は「アフォーダンス」理論のことも何も、詳しくはないですけどね。そもそも、自慢できるようなどんなお勉強もロクにしたことがないのは、しょっちゅう言ってきてます。 「論じてい」るどころか、コピペや引用リンクで済ましたことが、そんなにお気に触ったならスミマセンでした。 さて、 では、このところを、ピンと来て、よく お分かりであるらしいあなた自身に、今度こそ、きっちり説明していただきましょうか。 アフォーダンスとは、そして、機能デザインの関係、芸とデザインの関係を。 さあ、どうぞ。 独りよがりにならないように、分かりやすくを心がけて、お願いします。 >どういう経歴で、知識のあるなしなんて、私にはどうでもいい。 はあ?私だって、どうでもいいですよ? 何をおっしゃってるのやら。 ところで、先々回の回答でも、 「>社会への信頼感という心の問題が大きいということだと え、このことは実に重要事だと思いますよ。 質問者さまが「本当の倫理」というものを、どうお考えなのか、よく分かりませんが、まず、足元から基本的信頼感を損ねる所業は、最も倫理に反するものです」 このように、できるかぎりハッキリ言っているつもりですが? >確かに私の意見は理想論に走りすぎるきらいがあります。ですので回答者様の現実に引き戻す的な意見はとても重要です。 >しかし考えてみてください。こういう低迷の中だからこそ、建設的に物事を考えたいじゃないですか。 あなたが再三再四おっしゃる「建設的」って、いったい何なんですか?これも独りよがりでない説明を願います。 まさか「揚げ足取り」をしないことがそうだ、なんて言い返さないでくださいね。それこそ「水掛け論」になってしまいますので。 >どの辺が特に分からないのかポイントを言ってほしい ですから、すでに、いくつも言ってますよ?! 私の回答内容と、それに対するご自身の受け答えを、よく読み直されてください。 私の言ってることなんて、そんなややこしいことはないはずだと思いますけどね。 >ありがとうございます。 >すいません。なんかはっきり言ってうるさいです。 なんですか、コレ?↑ これこそ、劣等意識と反比例する自惚れと傲慢とが同居しているかのような矛盾した感情的で無礼で「卑怯な」言いぐさです。 こんなお礼の書き方ならやめてください。 そのネームで出て来られたときから、正直、さも胡散臭い印象の言動をなさるものだなと思っていましたが、その意図についてはイザ知らず、 一個の社会人としての立場で、公の場で、純然たる社会問題として問うときには、それなりに襟を正していただきたいものです。

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回答No.23

 あるモノの、言いたいことが解らないというのには、理由が二つあると思います。  ひとつは、そのモノのいっていることに意味が無い。中身が無いことを言っているから解らない。  もうひとつは、自分に理解できない高度な事を言っている。  どちらであるか解るようになったら感謝すれば良いと思います。解らないなら、「解らない」と言うだけで十分です。「解らない」と表明しただけなのに、逆上する人間は、自分で不正をしていると考えられます。後ろめたくなければ、「そうですか、では良く考えておいてください」と言うのみでしょう。  どうでしょうか。

回答No.22

 お邪魔しておぎないます。  ☆☆ (回答No.11のむすび部分) これらの背景事情は 何を物語るか。どういう現実とつながりがあるか。  ☆ すでに何かわたしに思うところがあって こう言っているのではありません。  事例は事例として提出しました。日本人とその社会を知るのに有益だと思うからです。  あとは みんなで考えあって行こうというのみです。そこまでです。  たぶん 一方では有能な人材をどこからでも実力主義のごとくに何の条件もつけず自由に登用するという外向きの姿勢 もう一方では 隣やよその芝生がよく見えてもそこに押し入って よいとこ取りをするといったことのないような《くにゆづり》の精神――これが《和》をかたちづくる――という内向きの態度 これらふたつの見方の調和ある態度がのぞまれるのではないでしょうか?   (いまやっと考えたものです)。

heartmind
質問者

お礼

ありがとうございます。 あまり理解できていないかもしれませんが、現状の日本の内向きの傾向と上下関係について考察してみたいと思います。 現状いろいろな人のスレの中の意見を見るとやはり、日本は内向きで、保守的、純潔思考が強まり、また弱者を足かせと見て排除の方向にあることは分かります。 この現実と日本独特の社会がどうかかわっているかですが、 私の経験からですが、日本のリーダーというもののあり方について、もう少し考えてみると、やはりリーダーというものは、全体を見てどう導くかを的確に把握する能力が必要なのだと思います。この素養は、どうも知識のあるなしや頭のよしあしとは、私の経験上は関係が無いように思います。なので自分の見解では、管理職という名の専門職だと思っているのです。 うえにつづく

heartmind
質問者

補足

あるお仕事をさせてもらっている時に、私に素養が無いために、なかなか使いづらい男の子がいたのですが、私の上司は、「もう少しその男の子の力を発揮出来るようにしてあげたい」と言っていたので、「そうですね、私も、もう少しいろいろな仕事を任せるようにした方がいいかもしれません、その方が助かるし」と言いましたら、「いや、そういう意味じゃなくて、、、、、もごもごもご」となりまして、まあ要するに結局、女の下で使われているのがかわいそうぐらいの感情的なことを言いたかったんですね。しかし、管理業務というのは私も本当に苦手なんですが、雑用も多くて、そんなに分があるお仕事でもないんですね。ですから、立場を逆転していただけるなら、全然やぶさかでなくて自分自身は使われる方がよっぽど向いているんですけど、なんだか、それをただのシンボルの様に考えて勘違いしている人ってたまにいて、本当にやりづらいのですよね。結局その上司やめちゃったんだけど、おげんきだといいんですけどね。 ちょっとだっせんしましたが、日本もやはり、リーダーを専門職という見かたをして、根本的に組織を考え直し、また教育もやはり、もう少し多様性を考えて、個性をぐんぐん伸ばすという考え方をしてもいいんじゃないかとおもうのですが。 そこを見直すことで二分化の問題や、新しい需要をどう生み出すかという問題、貧困の問題、が一気に解決するのかなと思っているのです。価格競争だけに目を奪われていたら、産業が空洞化するのは、どう考えても必然な訳ですから。発想をもう少し柔軟に変えていかないとだめですよね。

回答No.21

お返事拝読しました。 まず、あらためておことわりしておきます。 >言っている意味がいまいちよくわからないから、わかりやすくいってくれ的なご回答 ええ、それもあります。 そのために非常に答えにくいものがあると、すでに申し上げておりますね。 質問者さま御自身「コンパイラが欲しい」くらい分からないというので、ある回答者さまにはサッサと謝っておられますね。そして、そこで話も終わってしまってますね。 >その他のご質問に関しては、水掛け論になりはしないかと危惧 なりません。 「水掛け論」など、私が最も嫌うところです。それこそ「疲弊」しますので。 >No.18様への回答が私の意見 No.18さまの御回答がですか?それへの質問者さまのお返事が、ということでしょうかね。 意味の分からないことと反論を分けていないと受け取られているのは、質問者さまのほうだと思います。私は、単に、意味が分からないことは意味が分からない、と最初から前置きしていますよ。 >そう言われるとどういえばいいのか分からなくなるというか、どの辺が特に分からないのかポイントを言ってほしい 今回の、この回答をお読みになれば、ポイントの一つ二つくらいは、お分かりいただけるでしょう。 「全然、全てはなしが伝わってないというなら」そもそも回答しようという気も起きません。中途半端に伝わってくるからこそ、回答しながら問いただすことにもなるのです。なかば「補足要求」しながらですね。 >企業側にとったら人間は生かさず殺さずなのでしょう。では人間側からとったら、こつこつと生きていくそして社会に長期的に食われるというのが理想 >建設的な意見を交換しましょう。 企業は、「生かさず殺さず」ではなく、使えないとなったら、「殺して」いるのが現状ではないのですか? また、質問者さまは、私が挙げ足とりをしているだのとおっしゃいますが、先回も申し上げたように、コトバの用い方の感覚が違い過ぎるのか、私なら、こういう場合に「食われる」という極端な表現は用いません。場によっては大変誤解される危惧が大きい表現の仕方だと思います。 ですから、「挙げ足とり」と言われてしまうような問いただしをすることになってしまうのでしょう。そんなつもり毛頭ございませんので御心配なく、被害意識的な受け取りは無用になさってくださいね。 ただまぁ、正直ちょっとイライラさせられるものはありますけどもね(笑)仕方がないですね。 >多様な価値観は収束の中に発揮させなければ、 ですから私は、「収束のなかに、すでに多様な価値観が発揮」されているべきと考えます。そうでない「収束」では、それこそ役立たないのではと思います。 >ある程度の流動化と意見交換は、やはり必要 いつまでも流動化しているばかりでは、収束して実際のゴーサインに向かえないんです。ですから、そこまでのプロセスとして大事なことだと申し上げたつもりです。 もちろん、ゴーサインを発したあとも、それで終わりで固まるのではいけませんね。常に検討は持続するべきです。状況・情況は固定しませんので。 >奴隷の様な扱いを受ければ、内面は貴族になる つまり、「やわらかい現実逃避」とは「やわらかいマスターベーション」のことであると、マスターベーションとは、ここでは、つまり「内面が貴族になる」ということの表現だったのですか? マスターベーションというのは、「自慰」と訳されますように飽くまで自閉的自己完結の世界ですよね。 では、そこに、実際の他人の体の一部なりを強制的に利用して行うのであれば、はたして、どうなるのでしょうか。 さすがに、こういうのは、よもや「やわらかいマスターベーション」とはおっしゃらないだろうと思いますけれど。 >現場に引き込み」とは、例えば、製造業でいえば設計と製造技術の連絡の様なものをイメージしていただければいいかと思います。 仰られる様に「企業デザイン」は、現在とても重要ことです。 まず、その「設計」が、誰のための何のための設計なのか、ということが最重要なことだと思います。 そして、その「設計」について、秘仏のごとく隠蔽したまま、自分が、このように設計したので、皆、この設計に基づいた現実化のため、「滅私奉公」にて働いてくれよというのでは、最初から猛反発する者も出るでしょうし、しまいに誰もついてこなくなるでしょうね。 >多様な価値観と言っても何も人間がわがままし放題で社会が成り立つと思っているほどの幼稚な人間では と思わせてしまうような「アフォーダンス」になってしまっているかもしれないということは、お考えを表現する際に、片隅に留めて置かれてもよろしいでしょうね。 >人間は逆説を好む本能が元来ある。例えば、子供にプッチンプリンと牧場の朝ヨーグルトどっちを買っていくか悩んで、きっとどっちを買っても、その逆が欲しくなるのだろうと大体見当がついている為、どっちも買って選ばせて、自分は逆をとる。そうすると、やっぱりそっち、やっぱりそっち、やっぱりそっち、とプリンとヨーグルトのループ現象がそこに出来上がる。 人間が「逆説を好む本能」があるというのも私は存じませんが、要は、満足するということ、足るを知らないから「ループ現象」が出来上がるのだということですか? だとしたら、飽きっぽいせいもあるのでしょうけど私自身は、あまりピンと来ません。 「プリンとヨーグルトを連続して食べるループ現象を実行する」 とは、具体的に、いったいどういうことなのか、説明いただきたいところです。 >バーチャルの為のバーチャルをやめる。 >合理化のための合理化をやめる。 >テクノロジーの為のテクノロジーはやめる。 >専門の為の専門もやめる。 >マスターベーションの為のマスターベーションをやめる。 ここは、まぁ分かりやすいです。 そのとおりではないのかと思いますよ。さっさとやめるがよいのにと思っています。 再三のようにおっしゃる「建設的」、建設とはいかなるものと御考えなのでしょうか。 「マスターベーション」も建設的行為のうちに入れられているのかと思われましたが、それはともかくとして、 「滅私奉公」という、これまた古めかしい単語をお出しになりました。質問者さまが、この単語を、どのように受けとめて考えようとなさってるかは存じませんが、私は、これは、現代でも、あり得ない態度ではないと思っています。むしろ、じゅうぶんに現実化可能なことだと思います。 と言うのも、実のところは決して、「滅私」ではないからだと思っております。そこに「疲弊」はありません。むしろ逆の現象が起きるであろうということを申し上げて、これで退散いたしましょう。甚だ、お邪魔をしました。ご容赦のほど。

heartmind
質問者

お礼

ありがとうございます。 すいません。なんかはっきり言ってうるさいです。 あなたは何が言いたいのですか?人の詮索をしたいのですか? 私は悩みを聞いてほしい人も、知識をひけらかしたい人も、逆に知識が欲しい人も、自分の意見をここで言おうとする人も、問題を解決したい人も、そんなのは何も悪く思わない。 だけど、あなたは何が言いたいのか、それが全然伝わってこない。 あなたの言っている意味が分からないということではない。そんなことは分かる。 あなたの考えていることや、感じていることが、言いたいことがぼやけているというか、ぼやかしている。 だから、揚げ足取りとか、水掛け論とか、中傷の様にしか見えないのです。 ブロジェロンヌさんの言いたいことが分からないのは私の理解力不足です。だからそう申し上げている。 ここは哲学カテですから、ある意味観念的に物事を捉えて考えるのはあたりませです。 あなたがアフォーダンスを論じていながら、機能デザインの関係にピンきていていないのが、不思議だった。まるまるコピペですよね。だからなのかと後で分かりました。芸とデザインの関係も厚顔無恥にも否定をいいきっている。でも、あなたなりに考えての意見ならそれでもいいと思った。 そんなこと、私には問題じゃない。どういう経歴で、知識のあるなしなんて、私にはどうでもいい。 一番があなたがここで何を言いたいかです。 悩みや口を言いたいなら、ストレートに言えばいい。それさえもぼやかして、保身している。まだ、汚い言葉でストレートに中傷している人の方がましです。 こんなバーチャルな場で恥をさらせないで、どこでさらせますか。 言いたいことを素直に言いなさい、卑怯ですよ。

  • amaguappa
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回答No.20

ざっと全体の質疑応答を眺めてみました。18さんへのお礼欄は興味深いですね。進歩における欲求と充足と供給の関係です。 欲求は社会が生みだしていますね。欲求を充足させないものは交換価値(貿易、商業利益のそれ)が下がっていきます。この交換価値の移動が文明の進歩です。 文明が進むにしたがって現れる倫理の相対化をあげておられましたが、欲求も相対化します。 帆船や馬車は交換価値をかぎりなく下げたあと、希少価値をめぐって暇なお金持ちに取引されます。高価な写本の世界もそうです。印刷で読めるのに狭い好事家のあいだで流通し、いまも製造され、マニアの欲求を満たしています。 こうした、価値のリバイバルも含めて、情報や広告が仏の掌のように世界を構築した現代、価値観は掌の隅々にいたるまで値札をつけ、人々の欲求はマニアックに細分化される方向性にあります。 プッチンプリンと牧場の朝ヨーグルトは、ざっくり言って等価な例です。まるで広告業者がクライアントに提出する選択案のような例です。 「プリンとヨーグルトのループ」でお金が落ちてくるような安定構造に寄生した企業らしい保守的体質といえるでしょう。 新しい価値が生まれなければ、新しい欲求は引き出されません。新しい欲求がないと変化が起きません。欲求を要求するような価値には凄まじい進歩の力があります。 これは既存の倫理による足どめを決して喰らわないことを、歴史が証明していると思います。倫理と言えば、原初の契約として提出された倫理、すなわち宗教がわずかに働いている程度で、実態は、欲求の後を宗教が追ってへつらうのですから、有効に機能していないと言えます。 倫理(エティック)という人間の共存の本質的問題をさぐる学の体系を欲求させるような価値の創出は、大変難しい。生命に直結している医学と食でさえ、お金という思想体系にあやかる価値観に、惨敗します。 ところで、等価でないものの比較選択が人類に迫っています。新しい燃料です。新しい材質や新しい技術をさらに飛躍的に生み出すでしょう。そこには、構造的にデザインが生まれるはずです。朴念仁の技術屋がそれを無惨なものにするかどうかは、まあ、お楽しみということでいかがでしょうか。。。 教育面では、初等美術教育でおそるべき混色の指導が減ってきたかと思います。海外旅行に行く大学生も増えました。都心のハイカルチャーとサブカルチャーを同時に牽引したようなセゾン文化は消えましたが、出版界と美術界には大きな遺産を残している思います。勉強の機会は開かれているというわけで、そのぶん人材には差が開いているはずです。 また、いま、上司が叫びたくなるような発達障害の疑われる難しい部下がいるでしょうが、政府は発達障害をカバーする児童教育を確立する必要に迫られています。「感覚」にまつわるこの特殊教育問題を後回しにしていたら日本が危ないということに気づくべきでしょう。その教育の結果が出るのは次次世代の競争社会ということになるのでしょうね。 蛇足ながら、問題を解決するのにではなく問題の属性を分類するのに便利な俯瞰的な視点は、歴史学そして心理学にそなわります。そしてそのような視点が依拠する観点を問い求めることができるのが、哲学ではないかと思います。その意味で自己反省的な要素の多いものだと思います。いろいろと考えさせていただく機会になりました。ありがとうございました。

回答No.19

お返事、拝読しました。まだ、いくつか疑問点もあります。 >社会への信頼感という心の問題が大きいということだと え、このことは実に重要事だと思いますよ。 質問者さまが「本当の倫理」というものを、どうお考えなのか、よく分かりませんが、まず、足元から基本的信頼感を損ねる所業は、最も倫理に反するものです。 デザインと芸術とは、また少し別ものであると、私は思うということをおことわりさせていただいたうえで、 >産業デザインの問題ですが、私の身の回りのものを見ても、やはり機能デザインという面においては、発展途上的な感が >もう少し機能を考えたデザインが必要な気がします。 変な喩えかもしれませんが、靴に足を合わせる的なことでしょうか。 「和を以って」というのも、その実のこころは、声の大きい者に合わせることを以って、ということなのでしょうか。 「芸は身を助く」「芸は身を滅ぼす」の両刃の剣とでも言うのでしょうか、昔から日本人は、不自由に対して文句を言わずガマンするというのが美徳、という意識ではなかったでしょうか。また、「弘法は筆をえらばず」的な。あるいは「お誂え向き」というのは、わがまま、軟弱に繋がるという危惧感。その反動のように >デザイン性というと日本人はどうしても、「奇異なまでに凝りに凝った遊びごころのもの」という発想になりがち という極端へと向かうのかもしれません。「数寄」などといった。 農業は野菜をクリエイティブしている、というのは、とくにラジカルな考え方でもないと思います。現に、オーダー感覚の京ブランド野菜にみられるように、一転、保守精神にも向かうものがあると思います。 >こだわる部分がなければ産業の合理化も発展など皆無である つまり、「こだわる部分」で需要創出、ということですか? もちろん、その「こだわる部分」が、多くの人の需要に合致しているならば、産業として乗りますよね。 身体障害者のサポート用品などの分野が注目されだしたのも、近年になってのことではないですか。 >身の丈 とは、どういう意味で、おっしゃってます?他の述べられている御考えを総合すると、矛盾を感じるのですが。 >クリエイティブは発想は既得権益化しなくてもいい ここも、おっしゃる意味が、よくは分からないところですが、要するに、「ひとりじめ」無用ということですか? >いまの日本人に潜在的に根付く保守思想 というものが、つまり >何もかも上からおさえつけてグローバル化に対応できるなんていう発想 ということであれば、欧米式の思想や価値観というもの、その良否自体はさて置き、それを国家主導で取り入れ、とにかく真似ごとをさせようとした時代から、ひどくなっているのではないかと思われます。 >単に人間には得手不得手があり、お互いの長所を社会で生かせばいいだけの話で、そのうえでの人間の流動化、横並びの発想で多様な価値観が生かされれば、活性化される いわゆる「適材適所」ですね。しかし実際には、企業内などで、どこまで実践できているかというと、甚だ怪しいものだと思いますが、と言うよりか、多様と称して、あっちこっち、てんでにバラバラを向いたままでは、企業組織として成り立たないという側面も大きいのが現実だと思います。最終的には収束させねばならないとしても、そこに至るまでが大事なのだということではないでしょうか。 そこを抜かして「上から押さえつける」ということと「多様な価値観を生かす」ということは相容れないのが当然で、一色に染めてしまうのでは「多様な価値観を生かす」ことに反するのも勿論です。 確かに、私自身の企業勤務経験においても、「効率」ということは何より第一に言われ続けてきました。 どうかすると、奴隷的なのですね。ですから、「疲弊感からまんまるく誇り高い貴族の様になりすぎてしまった」どころか正反対です。自発的労働の喜びなどあるわけがない。どんどん疲弊する方向へと追い立てられてしまうわけです。 そんななかを掻いくぐって、その日その日をやり過ごしている者が、自分より少しでも楽していると思う者に辛く当たるのも、自分ほどのガマンもできぬかと見做した者に対して侮蔑的対応を向けるのもしょうのない人情なのかもしれません。 労働者・従業員は、足元を見透かされてもいるのです。 労働者・従業員を搾取するような特権的立場にいる者らが、労働者・従業員に甘えている面は確かに大きいと思います。 ここらで、よく考え直してみるべきです。他ならぬ自分たちのためでもあるのですから。 彼らに必要な緊急課題は、まさに「企業デザイン」かと思います。 >経済が低迷すると設備投資や新規参入をやるということは中々難しいものがあるとは思いますが、実は好調な時より低迷した時に本来は必要なのではと だからこそ、そのときに、基礎体力・常時の備蓄が試されると思います。 結局、低迷と好調とは繋がっていることです。 前から少しフシギに思っていたのですが、質問者さまは、企業内での勤務経験はおありですか。 「享楽にひたっている富裕層」とは、「現場に引き込み」の「現場」とは、いかなるものだとおっしゃっておられるのですか。 「やわらかく現実逃避」とは、たとえば、どのようなですか?

heartmind
質問者

お礼

ありがとうございます。 何だか、言っている意味がいまいちよくわからないから、わかりやすくいってくれ的なご回答とお見受けしました。 逆にそう言われるとどういえばいいのか分からなくなるというか、どの辺が特に分からないのかポイントを言ってほしいのですが、全然、全てはなしが伝わってないというなら、もうお手上げな訳ですが。 難しいですね。まずは揚げ足取りはやめましょう。建設的な意見を交換しましょう。という前提で。 確かに私の意見は理想論に走りすぎるきらいがあります。ですので回答者様の現実に引き戻す的な意見はとても重要です。 しかし考えてみてください。こういう低迷の中だからこそ、建設的に物事を考えたいじゃないですか。 >「多様な価値観を生かす」ということは相容れないのが当然で、一色に染めてしまうのでは「多様な価値観を生かす」ことに反するのも勿論です。 その通りだと思いますが、だから人間が疲弊するのであって、その結果が現状だとすると、はたして「滅私奉公」という美学はどういうものなのか現在でもそこに学ぶべきものが必ずあるはずだ。となる訳です。多様な価値観と言っても何も人間がわがままし放題で社会が成り立つと思っているほどの幼稚な人間ではございません。

heartmind
質問者

補足

企業側にとったら人間は生かさず殺さずなのでしょう。では人間側からとったら、こつこつと生きていくそして社会に長期的に食われるというのが理想なのではないでしょうか。 また、多様な価値観は収束の中に発揮させなければ、人間が社会に役立たせる意味が無くなります。ですから、ある程度の流動化と意見交換は、やはり必要だと思うのです。 奴隷と貴族は逆説的な関係にあります。ですから、奴隷の様な扱いを受ければ、内面は貴族になるのです。だから少しでも手足をのばすべきだと言いたかったわけなのです。 勤務経験がなければ、こんな内容の質問やら意見が言えると思いますか?いくらバーチャルだといっても、まったくの空想からは何も浮かばないと思いますよ。せいぜい蟹工船からの引用ぐらいでしょう。 三日徹夜ぐらいの激務の中を過ごしてまいりました。若い人の扱いづらさも体験しています。勿論そのうえでの意見です。 「現場に引き込み」とは、例えば、製造業でいえば設計と製造技術の連絡の様なものをイメージしていただければいいかと思います。 仰られる様に「企業デザイン」は、現在とても重要ことです。 その他のご質問に関しては、水掛け論になりはしないかと危惧してしまいます。 後はNo.18様への回答が私の意見ですので、再度ご反論いただけるとありがたいです。できれば意味の分からないことと、反論を分けていただけるとありがたいです。 つまるところ、現状は馬の鞍のへこみぶぶんだと思うのです。ビッククランチなど起こりはしない、きっと飛躍的な発展がそこにあるはずだ、だから突き進む道を模索すべきという考え方です。その大前提からの意見と思ってください。 「やわらかく現実逃避」とはつまるところマスターベーションです。 「水清くして魚棲まず」これはあくまで魚の話であり、人間は光合成のバイオテクノロジーで空気中の炭素を栄養に発展できる叡智がある。 バーチャルの為のバーチャルをやめる。 合理化のための合理化をやめる。 テクノロジーの為のテクノロジーはやめる。 専門の為の専門もやめる。 マスターベーションの為のマスターベーションをやめる。 そして横のつながりを模索し、さらなる人間の為の文明や合理化を突き進む、と端的に言うとそういうことです。

noname#135843
noname#135843
回答No.18

 ご返答いただきまして、どうもありがとうございます。Hidocchiです。 > その疲弊感は半端なものではなく、想像以上のかなりのものではないかと思うのです。  確かに仰る通りかも知れません。日本におきましては、例えばアメリカにおけます、"fire(クビ:従業員に重過失等がある場合です)"と"layoff(経営者側に責任がある場合です)"の違いが、不明瞭なように見受けられます。つまり、"layoff" すらも、従業員の問題(責任)であると、です。  つまり、日本では、"リストラ"(和製英語です。元来の意味は異なるかと思いますが.....)の一言で片付けてしまう傾向があるように思われます。 > 例えば派遣労働者の場合、いつ首を切られてもしょうがない労働のしかたを繰り返して行くうちにそこから這い上がることさえ怖くなってしまう。這い上がれたとしても、またどん底に落とされるのかもしれない。  恐らく、徐々にではございますが、生きるという活力すらも失っていくかもしれません。実際、そうしておられる人も増えているかと存じます。 > 気がついたら、全ての人間が手も足も出ないほどに、ころころとまんまるくなっていた。  多分、そんなところかと思われます。 > 学生のモラトリアム化はある意味、賢明な選択ともいえるかも知れません。  意見を異に致します。以下の著書がございますが、大学のモラトリアム化(特に大学院博士課程)には、深刻な問題もございます。 水月 昭道著「高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院」  この場合、元来、味方になってくれるであろう人達も敵になる可能性がございます。つまり、「高い授業料を何年も払わされてしまったのに(親の場合)」、「こんなはずじゃなかった(配偶者)」です。  ご参考になれば、幸いでございます。

heartmind
質問者

お礼

ありがとうございます。 今後の課題は頭でっかちの人間の使い道の模索かもしれませんね。でっかい頭はつかわなくては損ですから、それだって重要な社会のリソースと捉えて有効に使うべきです。不良債権化的な視点から発想を変えなければいけない時代なのでしょう。その部分に関してはもう少し整理して考えてみたいと思います。 さて、現代の問題についての考察として自分なりにまとめてみたんですが。 人間は逆説を好む本能が元来ある。例えば、子供にプッチンプリンと牧場の朝ヨーグルトどっちを買っていくか悩んで、きっとどっちを買っても、その逆が欲しくなるのだろうと大体見当がついている為、どっちも買って選ばせて、自分は逆をとる。そうすると、やっぱりそっち、やっぱりそっち、やっぱりそっち、とプリンとヨーグルトのループ現象がそこに出来上がる。 このへそ曲がり的心理が、屁理屈の欲求となり、文明社会がきづかれている、そして、その逆説に倫理が位置しているが、文明社会の進化に伴って、倫理も相対的になっていく。 また、文明社会にさからうという欲求は、より倫理に近づきたいという高貴な人間の欲求であるが、それは社会の縮小化を意味するところで、究極的には、自害、人類滅亡に向かうことになる。 また、文明社会が発達することは人と人とをより遠ざけることになり、人間関係がへたくそになっていき、より人間が専門的になりすぎて、文殊の知恵もでなくなり、減速していくことにつながる。 発達障害という人間の自閉化傾向の進化の退化はもはや止められなくなっている。 プリンとヨーグルトを連続して食べるループ現象を実行することが今後の課題ではないだろうか。

回答No.17

お返事いただいているのに気がつきませんでした。あらためて考えてみましたが。。。 >本当のところどう思ってらっしゃるのかをうかがいたかかったのですが、、、 それは、質問者さまと私とでは、ことばの感覚が、かなり違うからというのが大きいせいもあるでしょうし、先回の冒頭おことわりしたとおり、こちらとしても、おっしゃっていることの意味と御真意が、よく分からないために、非常に述べにくかったのです。 どうしても、ああか、こうなのだろうか?と首を捻りながら、どっちつかずな述べかたをしがちになってしまいます。 まず、質問者さま御自身が、どうともなんとも定めがたいままに問われているのでしょうから、そういう面からも仕方がないですね。 一番思うところがあったのは、他の回答者さまへのお返事を拝見して、質問者さまの「マリッジブルー」の感覚とは正反対と言っていいほど、そうとうな違いがあるんだなということ。 おっしゃっていることの全体と食い違っているのではと感じられるほどの喩えかたなんです。 >派遣労働者の場合、いつ首を切られてもしょうがない労働のしかたを繰り返して行くうちにそこから這い上がることさえ怖くなってしまう。這い上がれたとしても、またどん底に落とされるのかもしれない。 このあたりの感覚は、俗に言う「アオカン」を続け、体力を根こそぎ奪われつつ、その日の糊口に一喜一憂を繰り返した果てに、やがて身動きもできなくなって、路傍で息絶えていく、いわゆるホームレスが最も切実に直面していることでしょう。社会をどうにかしようという余裕など微塵もないのではないでしょうか。その場しのぎで、瞬間瞬間をカツカツやり過ごすだけで精いっぱい。「流れに乗る」どころか、こんな状態で、何か新しいものを生み出せるわけがない。 そこまで落ち込んでしまう前に、なんとかしなくっちゃいけないのですし、自分一人で、その直前に逃げ出し、立ち上がれる人であるなら、ふつうよりも強靭な面を持っているのであろうと思います。でも、そんな人は、全体からみれば、けっして多くはないでしょうね。 ホームレスと呼ばれる彼らには、一種の発達障害を抱えている人が多いのではないかと思われますが、その内面は誇り高くなっているというようなものではなく、たとえば、自分以外の人と接触するのが生理的に苦痛とか、そういう、やむにやまれぬ感覚を抱えてきているかもしれません。 もともと、一般レベル以上の生活が保障されていた高学歴の人でも、自ら進んで、ホームレスとなる人もおられたそうです。 そういえば、「武士は食わねど高楊枝」と言いますが、 もちろん、生活レベルの高低と自尊心の高低は単純に連動するものではないでしょう。 ところで私自身は、裏表、本音と建前というのは、決して排斥せよとまでは言いませんが、自分のなかでの基準が、ある程度はハッキリしているほうですので、そこに至らないまでは、むしろ至ってユルユルな性格ですが、職場の上長相手でも、言わねばならぬと判断したことはハッキリ言ってしまいます。 >デザインという芸術性をいかに産業化するかということにつながります。モノづくりの産業にデザイン性をとりいれるという発想 そういうことですか。 私は、「職人芸」ならともかく、基本的に、「芸」と「芸術」という単語は、同じものとして用いませんので、おっしゃるところの御真意がイマイチ呑み込めないのでした。 そういうことでしたら、「モノづくりの産業にデザイン性をとり入れるという発想」は、人類の歴史上、ずうっと行われてきたことではないですか。 私個人は、子どもの頃からアールヌーボーもアールデコも大好きだし、日本の伝統的なデザインのものも、大好きです。 アフォーダンス理論なども大いに関係してくることだと思いますが …情報は環境の中に満ちあふれており、生き物はその一部をピックアップしているのだということである。一見簡単なことをいっているようだが、これは外界と自己との関係についての基本認識に、根本的な変更を迫るものである。アフォーダンスは、環境をすでに与えられたデータとしてではなく、生きた知覚とのダイナミックな相互作用において考える。 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9/ 一部の恵まれた階級や裕福な好事家が、お金に糸目をつけずつくらせるような、奇異なまでに凝りに凝った遊びごころのものではなく、結局は多くの人の共感を得るものが、産業的規模で扱われるようになりますよね。つまり、自閉的自己完結で終わっているような、自己満足に凝り固まっていては、到底、多くの共感は得られないでしょう。 洋の東西の違いと言えば、洋服は、基本的に、身に沿っていなければ恰好悪い。和服は、ゆとりをとらないと着つけられない。 先の投稿でも挙げましたけれど、こんにち、われらの民族衣装が、贅と洗練を極め、趣向の限りを凝らして結果、日常では、およそ用いられるものではなくなってしまっている。 だからこそ、ハレの演出度を増す効果もあるものの。 と言って、毎日ハレでは、有難みが薄い。 遠回りや余計そのものが目的では、なんともならないでしょうし。 守りに入って固まってしまっては、思い切った打開は不可能でしょうね。 教育は、もちろん最重要事の一つです。 しかし、現に、教育する側が、言わば、ぬるま湯育ちのままにスポイルシステム温存側として働いていたのでは、なんら期待できない。 だいたい、おぼっちゃんおじょうちゃんが、ソコソコお勉強の波に乗って、想像力貧困のまま社会的ポジションにもソコソコ乗って、最高学府のセンセイあたりを名乗っているのが現状の殆どではないですか。 まずは、このあたりを、ぶっ壊せるか、ということになるのかな。 余談ですが、大嘗祭の話を伺うと、天皇家の跡取りが女子ではマズいということの理由がみえてくるようですね。

heartmind
質問者

お礼

ありがとうございます。 ホームレスにマリッジブルーの例えは、確かに飛躍しすぎていたかもしれません。しかし、回答者様の見解とほぼ近いと思います。 つまるところ、社会への信頼感という心の問題が大きいということだと思います。 日本の産業デザインの問題ですが、私の身の回りのものを見ても、やはり機能デザインという面においては、発展途上的な感がぬぐえません。 もう少し機能を考えたデザインが必要な気がします。回答者様の仰られるようにデザイン性というと日本人はどうしても、「奇異なまでに凝りに凝った遊びごころのもの」という発想になりがちですが、そうではなくもっと生活に入り込んでいるものだと思います。ここに、機能とデザインの乖離があらわれているのだと思います。 その原因はやはり「超保守的」なものの考え方をする現代の保守系社会哲学者の分析の盲点となって表れています。 まず専門職というものに対する、特別な職業とみすぎる見方です。これは武士道からねづく’一途に専門的にこだわるものはバカだ’という発想からきていると考えます。ここには現代の保守系社会哲学者は逆説的な意味も含めています。つまりクリエイティブな職業は一部の限られた職業であり、ほとんどの人はそれ以外の身の丈にあった職業を選ぶべきという発想です。この発想そのものがナンセンスとしか言いようがない。もともと日本という国はものづくりの国です。クリエイティブは発想がなくてどうやってものを作るのか。ラジカルな考え方をすれば農業は野菜をクリエイティブしているのです。どんな仕事にもクリエイティブな発想やアイデアは必要であるし、こだわる部分がなければ産業の合理化も発展など皆無であるともいえる。クリエイティブは発想は既得権益化しなくてもいいわけです。

heartmind
質問者

補足

すいません書ききれませんでした。こっちは後の分です。 ----------------------- またそもそも総合職といういい方をするが、それだって総合専門職なわけで、視野が広く全体を見渡せるという長所を持った人がやる職業です。ただ単に人間には得手不得手があり、お互いの長所を社会で生かせばいいだけの話で、そのうえでの人間の流動化、横並びの発想で多様な価値観が生かされれば、活性化されると思うのです。 それを何もかも上からおさえつけてグローバル化に対応できるなんていう発想は、結果的には、ただ発展途上国の目線まで全体を下げましょうという発想でしかない。 これがいまの日本人に潜在的に根付く保守思想であり現代の保守系社会哲学者の盲点ではないかと思っているのです。 まず、累進化を少し進めて、享楽にひたっている富裕層を現場に引き込み、中間層の内需を少しでも拡大させることにより、多少なりとも経済を回復させる。そしてもう一度、横並びの発想に立ち返ることは必須の対策ではないでしょうか。

  • ENERGEAR
  • ベストアンサー率18% (7/37)
回答No.16

>「弱者は醜い」という考え方が、一時蔓延した時期もありました。  謙虚であり過ぎるのも、  「弱者と見るや自分に頼らせようとし、そうでなければ突き放す姿勢を見せてさも自分が重要な人物であると見せかけようとする」人間をはびこらせてしまいます。そのような人間は、なんらかの宗教的世界観にいるでしょう。  人は自分を他者に当てはめて物事を考えがちです。あなたにしつこく食いつく人間に対しては、そうであると見切って 突き放す態度を示すのも、場合によっては必要でしょう。 >宗教が土台に人間の行動原理があるという考え方は私には理解できません。自分がそういうものに拘束されている意識がないのです。  良い例を示してくれている人がいるように思います。

heartmind
質問者

お礼

ありがとうございます。 日本人のどれだけの割合が宗教的価値観に行動や言動を支配されているのかがまだ正直実感できません。 ’なんらかの宗教的世界観’という感覚はもう一度考えてみたいと思います。

回答No.15

 No.2&5&11&13です。  現代社会の問題は わたし( bragelonne )の見るところだとは思わないと言ったあとに そんなに簡単に自分の非をわびるものではありません。  だいじょうぶです。もうおとづれませんから。    つまりは いまのあなたの態度が  ★ 極右がもたらした代償  ☆ を支払っている情況というほどの現実ではないでしょうか? わたしの指摘した歴史的なことがらは 右や極右にかかわっていましたから。

heartmind
質問者

お礼

すいません出来るだけ解読するように努めてみます。

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