VenusAureaのプロフィール
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…すべての錬金術は失敗した。人間はどうしても死ななければならん事が分明になった 錬金術以前から分明ですよ まあさ、議論だから、黙って聞いていろ。いいかい。どうしても死ななければならん事が分明になった時に第二の問題が起る ~ …公徳などと云う野蛮の遺風を墨守してはなりません。世界の青年として諸君が第一に注意すべき義務は自殺である。しかして己れの好むところはこれを人に施こして可なる訳だから、自殺を一歩展開して他殺にしてもよろしい。ことに表の窮措大珍野苦沙弥氏のごときものは生きてござるのが大分苦痛のように見受けらるるから、一刻も早く殺して進ぜるのが諸君の義務である。もっとも昔と違って今日は開明の時節であるから槍、薙刀もしくは飛道具の類を用いるような卑怯な振舞をしてはなりません。ただあてこすりの高尚なる技術によって、からかい殺すのが本人のため功徳にもなり、また諸君の名誉にもなるのであります。…
- 登録日2009/11/24
- KYはダンディでありうるか?
KYというのは、もう死語かもしれませんが、「空気、読めない」の略だとお考えください。ここでは一先ず、大まかに、その場のコンセンサスを理解できないで、場を乱してしまう人、と定義しておきます。 しかしKYにも、何通りかあることが、わかりました。私の知り合いには、「能力が足りなくて空気が読めないのじゃなく、空気を読んでいて、かき乱しているのだ!」というのです。なぜ空気をかき乱しているのか? それは、 ・場の雰囲気が間違った方向に行っていると考えるから、正している、 ということのようです。たとえば、イジメ。これがその場の空気だとしたら、間違っていると声を上げることが重要でしょう。汚職の隠蔽。この時に声を上げることも重要でしょう。 ところが、さらに、また別のKYもいるのです。自己満足のために、場をかき乱しているという方です。空気は読めるし、場の様相も分かる。だが、それでは自分が目立てない。ならいっそ、場の雰囲気をかきまわしてやれ。 こういう目立ちたがり屋は、我儘という醜さを持っており、粋ではありません。粋というのは、自分が少々の損を蒙っても、周囲を生かすということに本質があるからです。艶やかな衣を持っていても、ジャケットの裏地に使うのが、粋というものでしょう。目立たないようにするのが粋です。だが、ダンディはまた別です。というのも、ダンディとは、 ・限られた可能性の中で、あらゆる手を使うこと、 ・周囲と異質であることを強調すること、 にあるからです。たとえば、豪華絢爛な衣服を貴族が身にまとう社交場で、一人、喪服を着て行ったとしましょう。するとこの不吉な人物は、ともかく目立ってしまう。周囲は嫌な気持ちがするかもしれませんが、とにかく注目されます。本来ならば等閑視される者が、服の一枚で認知されることになるのです。お金がないながらも、貴族に対抗する社交人の工夫――これがダンディの起源です。こうした美意識は、日本にも見出せます。たとえば、わびさび。一輪の花を目立たせるために、周囲の花を全部切ったなど、その最たる例です。普通にしては平凡な庭に過ぎないから、目立たせようと、自ら、削ぎ落したのです。 さて、このように考えてみると、ダンディであるためには、KYである必要があるでしょう。しかし、すべてのKYがダンディであるわけではありません。ダンディには、何かまた別の要素があります。KYは何をどのようにしたら、ダンディの美を獲得できるでしょうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- noname#145704
- 回答数6
- KYはダンディでありうるか?
KYというのは、もう死語かもしれませんが、「空気、読めない」の略だとお考えください。ここでは一先ず、大まかに、その場のコンセンサスを理解できないで、場を乱してしまう人、と定義しておきます。 しかしKYにも、何通りかあることが、わかりました。私の知り合いには、「能力が足りなくて空気が読めないのじゃなく、空気を読んでいて、かき乱しているのだ!」というのです。なぜ空気をかき乱しているのか? それは、 ・場の雰囲気が間違った方向に行っていると考えるから、正している、 ということのようです。たとえば、イジメ。これがその場の空気だとしたら、間違っていると声を上げることが重要でしょう。汚職の隠蔽。この時に声を上げることも重要でしょう。 ところが、さらに、また別のKYもいるのです。自己満足のために、場をかき乱しているという方です。空気は読めるし、場の様相も分かる。だが、それでは自分が目立てない。ならいっそ、場の雰囲気をかきまわしてやれ。 こういう目立ちたがり屋は、我儘という醜さを持っており、粋ではありません。粋というのは、自分が少々の損を蒙っても、周囲を生かすということに本質があるからです。艶やかな衣を持っていても、ジャケットの裏地に使うのが、粋というものでしょう。目立たないようにするのが粋です。だが、ダンディはまた別です。というのも、ダンディとは、 ・限られた可能性の中で、あらゆる手を使うこと、 ・周囲と異質であることを強調すること、 にあるからです。たとえば、豪華絢爛な衣服を貴族が身にまとう社交場で、一人、喪服を着て行ったとしましょう。するとこの不吉な人物は、ともかく目立ってしまう。周囲は嫌な気持ちがするかもしれませんが、とにかく注目されます。本来ならば等閑視される者が、服の一枚で認知されることになるのです。お金がないながらも、貴族に対抗する社交人の工夫――これがダンディの起源です。こうした美意識は、日本にも見出せます。たとえば、わびさび。一輪の花を目立たせるために、周囲の花を全部切ったなど、その最たる例です。普通にしては平凡な庭に過ぎないから、目立たせようと、自ら、削ぎ落したのです。 さて、このように考えてみると、ダンディであるためには、KYである必要があるでしょう。しかし、すべてのKYがダンディであるわけではありません。ダンディには、何かまた別の要素があります。KYは何をどのようにしたら、ダンディの美を獲得できるでしょうか?
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- noname#145704
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- ほにゃらか形而左右学 敬語(3)
お世話になります。 敬語について、あれこれ考えてみたのですが、 沢山の有意義なご回答を頂きながら、敬語を掴み切る事が出来ません。 敬語は、思った以上に、手強く興味深い対象のようです。 例えば、 1)敬語は敬意を表わす、言語表現である。 2)敬語は上下関係を明示する、言語規則である。 3)敬語は内外の関係を明示する、言語コードである。 4)敬語は恐れを隠す、コミュニケーションの道具である。 5)敬語は第三者間の上下関係を表わす、言語記号である。 ・・・等々 後を、表現・規則・コード・道具・記号としましたがどれも間違いではないような。 そこで、敬語も言語の一つですから、記号論によせて、考えてみてはと思いつき、又してもお願いいたします。 記号論の伝統的定義は、記号は「他の何かを代表する何か」と言う事でしょうか。 但し、記号論は西洋の思想で、名詞句に関しては比較的分かりやすいですが、日本の敬語のように語尾変化・追加等々で敬意・意味に違いをつける場合、なかなか判りにくいですね。 拝見、愚考と言った謙譲語はまだしも、召し上がる、ご覧下さる、と言ったある意味重複しているような場合、はたして記号なのか、つまり、シニフィアンとシニフィエの対の関係もはっきりしません。また、する、を、しなさる、しなされる、と言い換えて、なぜ敬語になるのか。 成立の問題ではなく、意味論的に、例えば「れ」は敬意を意味するのか、とか。 今回の出発地点を要約すると、 詞と辞の違いは日本独特のようで、詞だけでなく、辞の意味作用をシニファイン・シニフィエの表裏と言う比喩で、解決できるのでしょうか。 以前の続きも歓迎いたします。宜しくお願いします。
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- 哲学・倫理・宗教学
- fishbowl66
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