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昔は、飼っていた動物が死んだ時どうしていたのでしょうか?
民俗学に興味があり勉強中の者です。 最近はペット葬などが流行ってますよね。 今のように、葬儀の業者さんにお願いして人間と同じように火葬してもらったり、大きな動物の場合は処分場に引き取ってもらったりという形が無かった頃は、飼っていた動物が死んだ時どうしていたのでしょうか。 犬など小さな動物であれば庭先に埋葬することもできますが、馬や牛など大きな家畜はそうもいきませんよね? 偉い人の愛馬などは立派なお墓を作ってもらっていることが多いようですが、普通の農家でも馬や牛は財産・労働力としてとても大事にされていたと聞きます。 農村に行くと馬塚・牛塚の石碑を見かけますが、集落ごと(または家ごと?)にそういう決まった場所にまとめて埋めていたのでしょうか。 もしくは、所有者が自分たちで捌いて食べたりしていたのでしょうか。 また、今のような業者委託の形になったのはいつごろからなのでしょうか。 お詳しい方、酪農・畜産・農業関係の方、解答頂けるとありがたいです。
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 まず、回答から先に述べますと「穢多」(えた)という人々が各地に存在し、その人たちに引き渡され、穢多は、死んだ動物の「解体」と「皮製品」を作り、その後は、土中に埋葬しました。 (1)江戸時代、良く「士・農・工・商」と身分が分けられていたことは、すでにご存知かと思いますが、その人たちの下層に「非人」(ひにん)がいましたが、さらに最下層に「穢多」がいました。 (2)彼らは、熊やイノシシ、兎などの動物を狩猟して、それらの肉を食すると同時に、皮を剥ぎ、革製品を作り生活をしました。 (3)昔は、動物の肉を食べることは、忌み嫌われ、ひいては「野蛮人」とみなされていました。 穢多(えた)について: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E5%A4%9A >>また、今のような業者委託の形になったのはいつごろからなのでしょうか。 現代で、分かっている範囲としては、「江戸時代」から「業者委託」になりました。
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- tanuki4u
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処分業者が処分して皮革製品にしていた。 ということになります。
お礼
皮革製品……なるほど。 そういった形で死んでからも大事に使われていたのですね。 回答ありがとうございます。
お礼
「穢多」という名前だけは知っていましたが、その人達が動物の死体処理や皮なめしをしていたんですね……! その名前の意味する所をはじめて知りました。 wikiも読みました。穢れを生活圏に入れないシステムとしては納得ですが、なんだか酷い話ですね。 穢多の人々への畏怖(恐怖?)の念もあったのかなという気がします。 自分で調べてみたところ、馬塚や牛塚は牛や馬の墓そのものではなく感謝のための慰霊碑的なものだったらしいです。 人間と同じように死体(穢れ)は外へ出すけど、霊魂はお祀りしてたってことかな……? この手の調べ物は芋づる式に知りたいことがどんどん増えてきて困りますね^^; ともかく、とても勉強になりました。 回答どうもありがとうございました!