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食糧となる牛とペットへの愛情の違い
食糧となる牛とペットへの愛情の違い 宮崎牛が大変なことになっいています。 牛が殺されることに対して、我が子が殺されるように涙している人がいます。 お気の毒としか言いようがありません。 ところで、このような食糧(家畜)としての動物と、愛玩用、すなわちペットとして飼われる動物に対する愛情・愛着・可愛さとは同じ感情なんでしょうか?一方は食べられるために育て、一方は家族に近いような形で育てられるんですよね。このあたりを解説して頂ける方いますか。
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食糧となる牛は元々殺される運命です。 農家の方は「殺されて可哀想」ではなく「美味しく食べてあげられなくてごめんね」と 泣くんだそうですよ。 ペットだと「天寿を全うさせてあげられなくてごめんね」でしょうか… その動物の本来の目的を達成できなかったという意味では同じでしょうね。
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- tanuchi
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元動物実験経験者。 ペットと家畜(私の場合は実験用動物)は当然一線を画す。なぜなら実験用動物に愛着を持ってしまったら実験ができない。 ここにいるラットを全部連れて行って飼ってやりたい。そう思ったこともある。でもできる訳もないし、そんなことで苦しむのは自分が動物実験の仕事に向いていないということになる。 さっきまで「この子かわいい」と目を細めていたラットやウサギを自分の手で殺さなければならないこともある。当然そのためには自分の心に線を引いていざというときには“物”として扱う。でなければできる仕事じゃない。 その線引きをしない限り誰が自分が育てたり面倒見たりしてきた大事な動物を殺せる。たとえ自分の手で殺さなくても殺すために手放すなんて嫌がって当然でしょう。 私は医者も同じだと考えている。どんなに患者の事を親身に考えていたって、いざというときにはその命のために自分が死ぬわけには行かない。だから手術などいざというときには患者を“物”として見ているんだろうなと思っている。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- 石川 圭史(@ishikawa-t)
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人間もいろんな人がいるように、 ペットや動物もいろんな状態の動物が いるじゃないでしょうか? 人間も食べるのに精一杯という人も いれば、悠々自適の人もいます。 動物も同様だと思います。 ただ生き物は生命があることを 抜きに語れないと思います。 どんな悪い環境でも、「生き物」は 生き抜いて欲しいと思います。 どんなに立派な死に方をしても、 死んだら終わりです。 「死」は自然に反する行為だと思います。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 畜産農家の方は、育て上げた牛(例えば)が食糧として引き取られていくとき、涙するものなんでしょうか。 そんなことはないですよね(多分)。しかし、格別の愛情を持って育てられているのも事実であろうと推察します。その辺のギャップがペットしか飼ったことがない身にはいまひとつわからないのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >その動物の本来の目的を達成できなかったという意味では同じでしょうね 私も、そういうことかなぁ・・・と考えていました。