- ベストアンサー
望みに過ちが無いのが無欲です
サルの本能としての「サル山のボスになりたい」と言う望みは、 言い換えればある意味「望みに過ちが無く、従って無欲である」と言えます。 しかし、それが究極の望みであるなら、そのお猿は、その過程で真実を捻じ曲げたり、不必要に示威行為を示さねばならない事態も生じると考えられ、やはり「無欲である」とは言えないと思うのですが。 アドバイスをお願いします。 ※言いたいことを言い過ぎるとID停止になる恐れもあるため、厳しい事を言うつもりはありません。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (8)
- OtamaFJ
- ベストアンサー率10% (4/37)
回答No.9
- asiuyltrhi
- ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.8
noname#117439
回答No.7
noname#117439
回答No.6
noname#117439
回答No.5
- 柊 うろん(@uronly)
- ベストアンサー率12% (113/890)
回答No.3
- 柊 うろん(@uronly)
- ベストアンサー率12% (113/890)
回答No.2
noname#117439
回答No.1
お礼
行間(文章と文章の間にある考え)を読まなくては、vanessさんが「言おうとしている事」を理解できない。 と言う印象を受けました。少し時間をとってみます。 どうも。
補足
望みに過ちが無いこと とは 例えばどういったことでしょうか。 誰にも当てはまる、「この望みは過ちでない」と言える事はないと言って良いでしょう。たとえ「他者のために世界のために」という望みと、それに伴う行動であったとしても、その結果としてどう転ぶか解らない。「良かれ」と思って行った行動が、悪い結果を残す事になるかもしれない。「悪意」を持ってした行為が良い結果を生むかもしれない。 結果を考えての思想、行為ではなく、その時の動機のみが大切であると言えるでしょう。 「無欲」が 良いというわけでもない。ということにもなります。