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無欲というものがわかりません。
「あぁなるほど無欲って大切だ」と思うことがあったのですが よくよく考えると、 なにも望まないならば何もすることはできませんよね? というか、生きてることも欲があるからじゃないですか。 文字どおり無欲は 何も欲しないことですか? それとも 正しい欲し方、どのように欲するかってことに関わっていて それらを説明するために使う言葉なんでしょうか? (だったら無欲ってとても誤解をさせる言葉ですよね・・余談ですが)
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退屈でクリックしていて、たどり着きました。 私でも意見がいえそうなので、今頃?なんて思われてしまいますが述べてみます。 みなさんの意見を見た上で辞書を開きました。 「金に無欲な人」「無欲の勝利」「大欲は無欲に似たり」←〔これについては考慮する余地があるかもしれません〕「あれだけ立身出世のことなど考えずに、無欲恬淡(むよくてんたん)として生活できればすばらしい」 なんて用例が挙げられています。 回答No.8、回答No.15と同じ受け止め方かと思いますが、私なりの表現で簡素ですけど述べてみます。 質問で使った「無欲」は、質問の趣旨を思えば文字どうりに「欲が無いこと」としてしまっては、ずれた答えが出てしまいそうです。 辞書の用例から推測すれば、目的に向かって行動するときは“結果を考えてはいけない”ということかと思います。 結果を気にしないで一生懸命、事にあたるほうがよい結果をもたらす事が往々にしてあるので、よい意味で「無欲」という言葉が使われるのでしょう。 無欲=無心、といったような意味合いが含まれているのではないでしょうか。
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- asiuyltrhi
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無欲になりたい・・・・・・ すでに↑欲じゃん。みたいな。
No.12です。 >満足は(辞書的な意味で)望みのないことだと思いますが、 >自身が満たされていてからの文は特に、矛盾してないですか? 辞書を引いてみました。 「満足」 望み通りになって、不平・不満がないこと。 反対語 「不満足」 「満足」は不足分を補ったことにより、不満がなくなることだと思います。 けれども、不足と思う人もいれば、同じことを不足と思わない人もいるかもしれないと思います。不足と思わない人は、満足と不満足の分離が少ないのだと思います。分離が少ないということは、そのままの自分自身で満たされているということだと思います。 仮に自身が完全に満たされたのなら、自分自身に対して思い煩うことがないので、自身に対する関心がかなり低下すると思います。その時望むことがあるとすれば、自分以外の他者などに関するものになると思います。 私自身は、完全に満たされているわけではないので、そのままの自分で自身を満たしたいと思います。 私の考えているところでは、「欲」が常軌を逸するのは、自分自身を満たしていないためだと思います。 自身を満たすことは、自身の感情からのビジョンを形にする作業を通して得られるものだと思います。なぜなら、そのためには自分を保ち続けなければならず、自分を保ち続けることが出来るのなら、結果的には自身は満たされると考えるからです。 そして、こういった作業には、「欲」もからんでいるかもしれません。 ですが、「欲」を取ると自身が満たされず、自身を満たすと「欲」が失われると思います。 私にとっては、「欲」と「自身を満たすこと」は相反するものであるので、両者を一緒くたにして「欲」とは呼べないような気がします。 「欲」は自分自身に不足感を持つことにより生じるので、「無欲」は不足感を持たないことだと思います。 「自身を満たす」ことは、自身の増幅とでもいうべきものだと考えているので、質的にも通常の「欲」とは異なると思います。
- tumaritou1
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無欲とは「欲しがらないで」手に入れるという事と思います。本当はお金は欲しがらないで只働く、或いは相手のための、或いは仕事のために仕事をするという事かと思います。 名誉などにも言えると思います、名誉のために、名誉が欲しいためにしている行動は、誰も評価はしないとい言う事です。名誉ではなくてやるべき事を何も欲しがらないでやって行く時に独りでに名誉が得られるという事になります。 欲しがっている間は手に出来ないという事。欲しがらなくても備わった時には独りでに備わってくるものが、無欲の勝利かも知れません。 その為には世の中の原理原則が分からないといけません。世の中は欲しがっているうちは手に出来ないかも知れないという原理の事です。
- tomo397716
- ベストアンサー率20% (15/73)
無用な欲を除去すれば良り生きやすくなるってことだと思いますよ。世の中には必要な欲と無用な欲が存在しているはずです。それを知っていけば存在も無意味では無くなりますよ。でも事象も存在も全て色即是空で諸行無常です。これは大切ですよ。
お礼
色即是空… ググってみました。なるほど。 ありがとうございました。
- mintarou1
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. 心は通常、概念というものに拘束されています。 これから、心を開放する。そして、開放された心の状態を「無欲」というと思います。 心を拘束する概念とは、親や、他人から何気なく、ある心の状態を保つことを求められます。 例えば「男は、泣いちゃいけない」 「女は、女らしくしないといけない」 「人には、優しくしないといけない」 「仕事は苦しくて当たり前だ。それは我慢しないといけない。」 等、等 良しに付け、悪しきにつけ、人の言葉は、他人を拘束する内容を含みがちです。 これらが、物心付いたときには、本人の知らない内に心は拘束され、自由を失っているのです。 これから、心を解き放つとき「無欲」が現れると言うことです。 .
「欲」について考えてみました。 「欲」というと、現状への不満というニュアンスがあると思います。 欠けているものを自分の外にあるもので補おうとすることが、私の「欲」の定義になります。 例えば、それがないと自分を保てなくなると、その対象は無常であるはずなので、結局はそれを喪失し、自分が崩れることになるので「無欲」を説くのだと思います。 自身が満たされていて、そこから何かを望んだ場合、それが得られなくても自分という存在としての損傷はないと思えるので、欠けているものを外で補うことにはならないと思います。 私の理解するところでは、対象に自己を同一させていなければ「無欲」と言ってよいと思います。
補足
満足は(辞書的な意味で)望みのないことだと思いますが、 自身が満たされていてからの文は特に、矛盾してないですか?
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
文字どおり無欲は何も欲しないことですか? 中国語の意味は、欲が無いということなんでしょうね。当然、ご指摘のように欲がなければ生きてる意味もないですね。 字が良くないのでしようね。普通の状態でいえば、忘欲(欲を忘れている状態)が無欲という意味なんでしょう。 仏教の教え(漢訳)から来た言葉でしょうが、誤解される言葉ですね。 生きてる限り欲はなくなりませんから、その欲を良く制御しなさいというのが本来の意味ですね。これを無欲と表現したのがいけませんね。それでいまだに多くの人が混乱してますね。 そんな言葉を考えもせず漠然と無意識に使っているわけですが、質問者さんのように「おかしい」と気付く御仁もいるわけですね。 そういう人が多くなると国も良くなると思いますよ。
お礼
遠まわしに誉められているようで、照れますね。 気のせいですか。 ご解答ありがとうございました。
- pupurr
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対象によって変わると思います。 人それぞれに求めるものが違うことを並べてみれば、ある人はそれに関心があり、またある人は関心がなかったり、欲や無欲は対象によって変わってくるのではないでしょうか。
- east-with
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まず、無欲とは何か。 たとえ貧しくても清らかな心さえあればいい。それを清貧といいます。 まず、金さえあれば豊かになれると思っていませんか。金があれば死後に相続で家族が揉める。近所の人との付き合いが悪くなる。 金があれば、贅沢な生活をし、すぐ金は無くなる。 倹約家やケチな人ほど、儲けるのです。つまり、貧しいから倹約し上手くいくことだってあります。所詮、金は手段であって目的ではありません。 金は、学校の学費、電気や水道のお金(水道費や光熱費)、食べ物を買うお金(食費)だけです。ものを手に入れるための対価でしかない。 松下幸之助は人材を一番の宝としました。金では何もできず、そこに人がいるから出来ると思ったわけです。 無欲とは、欲張らないこと。必要な時だけ金を渋々使う倹約家になりなさい。
- cyototu
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私には、無欲って欲ばら無いという以外に読みようがないのですが、他に読みようがあるのですか?欲ばら無いという言葉の何処が、誤解させる言葉なのか分かりません。言葉には、それを字面通りに受け取ってしまうと意味がおかしくなるものが時々在りますね。でも、それを皆が使い続けているという事実は、皆さんその言葉の適切な意味を理解できているからなのだと思います。 他の例では「半人前」という言葉がありますが、まさかその言葉で、半分人間である物がいると考えている人はいないでしょう。人間の営みには皆から善しと尊敬される営みがいろいろありますが、その営みを志している人間に対して、まだ、尊敬に値する域には到達していない人間であることを表した言葉ですね。だから、この言葉を聞いて誤解する人はいないと思います。 そう言えば、「人間」だって字面通りに取ると人の間が何で、人なのだと言う方が出てくるかもしれません。人がなぜ人間かという問題で、倫理学の本が一冊書けてしまいます。他には、例えばある人を指すのに「その人」とは言わず、「その方」と方角を言いますが、それで、誤解する方はいないと思います。皆さんは、単に字面の意味だけを理解して言葉を使っているばかりでなく、その言葉によって表されている実態も理解しながら言葉を使っているのですね。そして、誤解はしていないようですね。無欲という言葉もその例の一つですね。
お礼
確かに字が字面通りとは限らない、、、 それについては納得です。 それますが、人間って字は本当に面白いですね。
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補足
欲しがっているうちはできないって それってたんなる緊張だったり逃亡だったりとか 欲しがることで恐怖がうまれて 結局それに負けてるんじゃないかと思います。 例えばアスリートみたいな人たちは 試合前に緊張するじゃないですか。 メダルだったり 観客を感動させたい気持ちだったり 何かを欲しがっているからだと思います。 でもそれに打ち勝って すばらしい演技をプレイを魅せてくれますよね。 それってたぶん、いやほぼ絶対、 素晴らしいことなんじゃーないでしょうか。 (世の中は欲しがっているうちは手に出来ない) これは違っていると思いますよ。 だから「かも知れない」あなたは違和感から続けたのかもしれませんが。