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卒業論文のため、中国の伝説について調べています。
卒業論文のため、中国の伝説について調べています。 ?漢民族の祖といわれる黄帝が蚩尤(しゆう)と戦った涿鹿(たくろく)の戦いについて、詳しく記述のある中国古典をご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか? 『史記』「高祖本紀」が当てになりそうな感じなのですが…。 ?蚩尤が黄帝に殺された際に、血の付いた足枷が「楓」の木となり、よって楓は毎年赤く染まるようになった…という伝説があるようなのですが、この話が記載されている書物をご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか? どんな些細なことでも構いませんので、お教えいただけると幸いです。 よろしくお願いいたします。
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中国の神話はばらばらで体系的なものがありません。 「怪・力・亂・神を語らず」の儒教の影響もあるのでしょう。 司馬遷は『史記』において五帝からはじめています『五帝本紀』です。 それ以前の古帝王については、古史以前のこととして省いています。 後に司馬貞が『補史記・三皇本紀』を補っています。 『三皇本紀』は蚩尤、涿鹿にも触れているのでご参考に。 手にする範囲では、 黄帝が蚩尤に勝ったのは、天地の道を塞いだことですが、 それ以上の確かそうな記述は私も目にしたことはありません。 割とあるのは、天地相通、天地不通などの表現や洪水説、宇宙生命説も。 天変地異の観点では一概に否定もしませんが、納得には資料が弱いので。 ・書経 神話の世界 http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/koten/shinwa.htm 1、姓を辿る 2、世界の中心 3、古帝の役割 庖羲paoxi女媧nuwa少昊shaohao神農shennong 黄帝huangti顓頊zhuanxu嚳Ku この辺りは既にマスターしましたか。蚩尤、涿鹿に触れていますが、 一般的な範囲です。 ・中国の基督教会版-上帝與五千年中國 - http://www.chinasoul.com/wk/c-conf/ChnConf_tc.pdf 断片です。中国語です。 ただ、中国語古典には異説も含めて材料があります。 『皇覧序』 http://www.360doc.com/content/09/0923/13/97112_6328407.shtml 黄帝が蚩尤の首を刎ねた(身体異処)・・・ の記述あり。 ・陔餘叢考 http://zh.wikisource.org/zh/%E9%99%94%E9%A4%98%E5%8F%A2%E8%80%83 巻十九 蚩尤が・・・ 複数文献の記載要点があります。 ・黄帝、蚩尤と戦う http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter16/chapter160108.htm 死んで楓の葉です。 *材料になりそうなものをいくつか挙げた程度です。 卒論でこの種のテーマを扱うならば中国語が有効です、既に....? 上記からの材料も参考に図書館で資料を当たってみてください。
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- yanhua
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回答(2)yanhua、つづきです。 頂いたお礼が迷惑メールに入っており気づきませんでした。 それにしても、日付を見ると着いたのも随分遅れていたようです。 システム改変後のOKWAVEは遅くて不便なことも増えて困ったものです。 なお、頂いたお礼の文中の「三帝本紀」は「三皇本紀」です。 ご質問の背景が分かりましたので焦点を絞って中国資料を当たりました。 十分な結果ではありませんが、先ずはお知らせまで。 *【『山海経』に「蚩尤の足枷・手枷が楓となった」とはありましたが、 血で赤くなったという説明はありませんでした。】 の件。 →涿鹿大戦蚩尤大敗 蚩尤墓地今猶存 黄帝戦蚩尤 http://news.cctv.com/science/20080129/107053_2.shtml 6章節目に"蚩尤的斑斑血迹”の記述あり。 [当該部分を俄か翻訳:回答者] 数次の激戦を経て、黄帝は蚩尤の81人の兄弟を殺し、 最後に蚩尤を生け捕りにした。 黄帝は蚩尤に鎖を枷とするよう命じ、そして彼を殺した。 蚩尤が死後怪異をなすことを怖れて、 彼の頭部と身体を別々に十分離れた二箇所の地に葬った。 蚩尤が身に着けていた鎖は荒れ山に放置され楓の林となった、 血で紅くなった楓の葉一枚一枚は、全て蚩尤の点々と散った血の跡である。 ・・・この記事は中国中央電子台CCTV(中国最大規模の国営TV局) の放映番組の解説記事です。 『山海経』『史記集解』『苗族簡史』他文献引用あるも、 残念なことに、この 条の出典明記なし。 *この番組のビデオは下記URLで見ることができます。 右下の[査観全文]から記事に行くと、 その記事の3頁目が上記のURLです。 http://www.cctv.com/video/wwwwxinwen/2008/01/wwwwxinwen_300_20080129_31.shtml *論文は既に提出済みかもしれませんね。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。 わざわざ調べて頂いて、本当にありがとうございました!! 卒論は提出しましたが(それはもうひどいできですが・笑)、 まだ訂正を加えて再提出のチャンスがありますので、以後も調査を続けています。 番組の内容は大変興味深いものながら、出典不明とのことですが、 『史記集解』や『苗族簡史』に可能性がありそうなので、さっそく手を付けてみたいと思います。 重ね重ね、心よりお礼申し上げます。
- at9_am
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> 『史記』「高祖本紀」が当てになりそうな感じなのですが…。 うーんと。卒論は大丈夫ですか? 高祖本紀は漢の高祖、劉邦の伝記であって、黄帝のことは書かれていません。 史記でいえば、五帝本紀あたりになります。 伝説はwikiでも多数の文献を見つけることができますから割愛。
お礼
ご回答どうもありがとうございました。 すみません。 勘違いしていたみたいで…。 あのままだと、「ない!?」とパニックになっていたかもしれません。 本当に助かりました。 明日から図書館が開きますので、早速行って調べてみます。
お礼
詳しいご回答、本当にありがとうございました!! 実は、私の卒論テーマは、「国文学における紅葉の描かれ方の変遷」でして…。 中国の伝説と紅葉、全く関係のなさそうな両者ですが、「蚩尤の血で楓が赤くなった」 という伝説があると知り、それが日本に伝わった痕跡がないかと思ったのです。 ちなみに、『山海経』に「蚩尤の足枷・手枷が楓となった」とはありましたが、血で赤くなったという説明はありませんでした。 蚩尤の子孫を名乗る苗族は楓を神木としていて、この伝説も今に伝えられているのでしょうが、 それが日本に伝えられたかどうかは不明であり、おそらくはないと思われます。 また、お能や軍記物に「血は涿鹿の河となり紅波楯を流す」という表現が散見され、 この言い回しが酷似した中国文学の原典があるのではと思い至りました。 この表現と紅葉がどう関わるのかという話はここでは省略させて頂きますが、今のところ、 出典が不明で行き詰まっております。 日本史あるいは国文学方面の専攻ですが、第2外国語は朝鮮語で、また、元来漢文が苦手なこともあって (日本史には漢文知識が必須のくせに)、中国語・中国文学にはほとんど通じておりません。 ご紹介頂いたサイトの漢字を目で追って、必要箇所の有無の判別だけでもできればと思います。 また、「五帝本紀」と共に「三帝本紀」も調べてみます。 重ね重ね、本当にありがとうございました。