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テレビ東京の歴史7大ミステリーで、徳川家重は女とありましたが、どう思われますか?
テレビ東京の歴史7大ミステリーで、徳川家重は女とありましたが、どう思われますか?
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>テレビ東京の歴史7大ミステリーで、徳川家重は女とありましたが、どう思われますか? 確かにおもしろい発想でしたね。 しかし、一応は、 (1)家重は生来虚弱の上、脳性麻痺とも推測されている障害により言語が不明瞭であったため、幼少から大奥に籠りがちで酒色にふけって健康を害した。享保16年12月(1731)比宮増子と結婚した。 この大奥に入り浸りだったため、また、脳性麻痺でナヨナヨして女性のような行動しかできなかった、そして、確か遺骨の分析で女性のような骨盤だった、と、ありましたね。病弱で発育不全のため、「女性説」が生まれたのではないかと考えます。 (2)比宮増子は、徳川家重の正室。伏見宮邦永親王の第4皇女。幼称は比宮(なみのみや)。 享保16年(1731)、家重と婚姻し、江戸城西の丸へ入り、御廉中様(将軍世子の正室)と称された。享保17年(1732)には家重と船で隅田川を遊覧した。 (3)享保18年(1733)に懐妊したものの、9月11日に早産(生まれた子はまもなく死去)。増子も産後の肥立ちが悪く、同年10月3日に23歳で死去した。寛永寺に葬られ、従二位が追贈された。戒名は証明院智岸真恵大姉。 (4)なお、増子は家重の将軍就任前に没したため、御台所とは称されていない。 (5)9代将軍・家治は、家重と側室・梅渓通条の娘幸子(至心院)から生まれたとされています。 (6)家治が家重の子でないとしたら、ではいったい「誰の子」だったのでしょうか? こちらの疑問の方がおもしろいかも・・・。 (6)8代家重そして、9代家治と二人の将軍をも「偽造」することは、たとえ、大奥の女たちが隠したとしても、どこからかは「偽造」がバレルのではないでしょうか? 私も、TV東京の「歴史ミステリー」を今までにも見てきましたが、幾つもの「仮説」は「仮説」で、それはそれで「おもしろければ良い」のでは・・・? 真実は、今となっては「闇の部分」ですよね。
その他の回答 (4)
同番組をみていませんでしたので、論拠等は不明ですが・・。 大岡忠光を通してしか意思の伝達が困難だったと言われてもいますから、そんな説も出てくるのでしょう。 ただ、当時の将軍家は、夜の生活も記録されていました。成人した将軍でも子供を残せなった将軍も存在する位なのに、家重が複数の子を儲けることができた事実は、この説を否定的に考えることができる重要な根拠だと思いますが、如何でしょう。
- tanuki4u
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女子を男子とする積極的な意味がない。 1684年 吉宗誕生 1704年 家宣、西の丸入 1705年 吉宗、紀州家継承 1709年 家継誕生(家宣四男誕生) 1711年 虎吉(家宣五男誕生) 1712年1月 家重誕生 1712年11月 六代将軍家宣死去 1716年1月 宗武誕生 1716年6月 七代将軍家継死去 家宣が将軍家継承者として西の丸に入った段階では、家宣には男の子どもがいなかった。継承者がいなくても、そのうち男子がうまれるという可能性から、男子がいないことは、将軍継承者になることに問題はない。 つまり、吉宗が将軍位を狙って、男子がいることを誇示する必要はなにもない。可能性としては、宗武が生まれた段階で、蒲柳の質と言われた家継のあとを狙って宗武が女子でも男子とする理由もあるかもしれないが、そもそも、男子がいることが将軍継承の条件でないことは、家宣の段階でわかっているので、女子を男子にする必然性はない。 40過ぎに、男子がいなくても、そのうち作れるだろうという想定で将軍になった家宣、家重が生まれた段階でまだ30にもなっていなかった吉宗としたら、いくらでも男子が生まれる可能性がある。
- dulatour
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かもしれません・・・・ 現代のように戸籍がはっきりとしていたわけではないし、直系の家系を300年近く保つのは難しいものがあったでしょうね。 まして、将軍に会える人物とは限られた人数ですから、真実かどうかは、今となったは検証する術はありません。 もしかしたら、いま「ニューハーフ」で画面に露出している人物も、実は、もともと女性なのかも知れません。形態的に・・・・
歴史に空想を逞しくするのは、面白くて良いじゃないですか。 昔から安徳天皇が女子だったとか、いや、レッキとした男の児だったとか、ありますね。 卑弥呼もホントは男の女装だったとか。 明治天皇も、維新の途中ですり替わった別物だったとか。 一々、これが歴史の真相だと信じる必要がありません。 歴史の上の一仮説だと思っておけばよいのです。一枚の紙の裏から見ている人が居るのだと思っておけばよいのです。そのような見方も出来るのだと。 仮説が積み重なって、それが後に真説になることもあります。そんな論争の展開を楽しんで居れば良いのです。