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無宗教者の道徳心と宗教の役割
人間の善悪の基準は、宗教に入っている人なら経典や神父や牧師などによって基準が作られるのだと思います。 しかし、無宗教の人の道徳心というものは、どこでやしなわれるのでしょうか?また、犯罪に走ったり、反社会的な行動を規制する自制心はどこでやしなわれるのでしょう? 善悪の基準は、現代社会と古代ではまったく異なってたものだと思います。人間の考える現代における悪とはなんですか?
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一つは良心ですね。 No.1の方のいうところの「自分がされてイヤなこと」とは たいてい良心的にひっかかることですから。 |深く考察すると、「自分がされてイヤなことは他人にて |するなという趣旨の言葉が論語にあるので、宗教的と |いえなくもないのですが もう一つは、やはり宗教だと思います。 宗教といっても完全にその国の風土と同化してしまい、 無宗教者であっても違和感なく受け入れている内容です。 例えば 「人の嫌がることは他の人にするな」 というのは論語の教えにありますし、 「動物をむやみに殺してはいけない」 というのは、明らかに仏教の不殺戒からきています。 「年長者を敬え」 というのも、儒教的な影響はぬぐえませんね。
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- mmky
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参考程度に 人間の考える現代における悪とはなんですか? 最大の悪は「唯物論」ですね。「唯物論」が共産主義的思想として教育界に蔓延しているのでしょうね。 1960-70年闘争での学生がいまや教育界の主流でしょう。社会に出た者は社会の荒波でかわらざるおえなかったのでしょうね。しかし、学殖に残ったものが変わらずどうしようもない者になりましたね。唯物論的思想をふりまき、人間を崇高な仏や神の子と信じられないで、ロボット化するわけでしょう。ロボットというと機械的過ぎますから、別の言い方をすれば賢いサルや犬人間にしてしまったということですね。死んだら終わり、生きているうちに楽しもうという思想に若者が陥るのは必然ですね。サルに万引きするなといっても通じないですね。犬に交尾するなといっても通じないですね。そんな状況におちいっていますね。そういう若者を大量に送りだしてきたと考えると空恐ろしくなりますね。教育界の面々は万死にあたいしますね。江戸時代であれば市中引き回しのうえ、はりつけ獄門でしょうね。 今からでも遅くは無いですね。まず懺悔して自らの罪を認めるところからですね。それが出来ない場合は公職追放しかないでしょうね。みんなで楽しく追放しましょうですかね。 教育の毒は国家をも滅ぼしますね。それぐらいしないと直りませんね。また、サルや犬には厳しい罰則であたらないともとの人間に復帰しませんね。自然治癒は無いでしょうね。ということでしょうかね。
お礼
昔は,教育界で偏った思想に先生が入らされることは多かったと思います。 しかし,実際に生徒に思想を語ることは,あまりなかったと思います。 むしろ,熱血な先生ほど今の教育界では,嫌われる傾向にあるようです。PTAや親御さんが,家の子が少しでも叱られたりすると学校に文句を言うようになっています。 これでは,まともな教育ができるはずありません。 時代が代わったといえば,それまでですが,目上の人に対する敬意は,忘れてはいけないと思います。 教育改革として,民間の校長先生の導入や特区を設けるなどがあげられますが,大変なことだと思います。 アドバイス有難うございました。
- cse_ri2
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>今の若い世代は、社会通念としての公共心が欠落している >かような振る舞いをします。 >子供の虐待しかり援助交際、親父狩り、学級崩壊。タガが >外れかけているんじゃないかと思うんです。 >日本のこれまでよかったところというのは、ワビサビに >代表される精神と和を重んじる公共心の高さだと思います。 ご意見、同感です。 結局のところ、問題は教育です。 日本のよかったところを、きちんと子供に教えることができ なくなっていると私は考えています。 学校で道徳教育をすることもなくなりました。 戦前であれば教育勅語で、しっかり道徳教育をしたのです が、それらがなくなった戦後の学校教育は、やはりどこか おかしくなっているように思います。 最後の砦は家庭ですね。 親が愛情深く子供を育て、かつ躾もしっかりしていれば、 公共心をはじめとする道徳性もきちんと身につきます。 しかし家庭環境がおかしくなった家庭が増えつつあるので、 援助交際・親父狩り・学級崩壊などの現象が出てきている のではないでしょうか。 大人も子供の見本となれるように、しっかりしなくては いけませんね。
お礼
有難うございます。 学校教育以前に、親のしつけや教育ももちろん影響していると思います。 学級崩壊も何が原因か分かりませんが、昔よりも目上の人に対する敬意のようなものが減っているのかもしれません。しかし、大多数の人は善良であると信じています。
- ranx
- ベストアンサー率24% (357/1463)
道徳心というのは、何かしら美的感性に似たところがあるように思います。 倫理的感性というものがあるのかもしれません。 いずれも、それが形成されるメカニズムはよく分かりませんが、およそ 人間である以上、何かしら備わっているものです。 感性は一人一人のものですが、多くの人の間で共感することもできるものです。 鋭敏な人もいれば、そうでない人もいます。 恐らく人間の本性と関わっているものだと思いますが、本能のように固定した ものではなく、成長に伴って開発され、それ自体成長していくものだと思います。 が、逆に麻痺してしまうこともあります。 > 宗教に入っている人なら経典や神父や牧師などによって基準が作られるのだと思います。 というのは、必ずしも正しいとは言い切れないと思います。教典や教導者の言動は もちろん大きな影響を持つでしょうが、それが内面化された時に初めて道徳心・ 倫理的感性となるものだと思います。それは、自覚的であるにせよないにせよ、 主体的になされるものだと思います。だからこそ、例えばマルティン・ルターは 自らの信仰的感性に従ってローマ教皇に反旗を掲げることができたのです。 無信仰者の場合も同様に、主体的に自己の倫理的感性を開発していくのだと思います。 その際、そのための素材というか滋養というか、それはその人を取り巻く社会的・ 文化的環境から取り入れるはずです。できれば日本の環境を、砂漠ではなく、 滋養に満ちたものにしておきたいものです。
お礼
有難うございます。 善悪を判断する基準に美的感性に近い感覚は、あるかもしれません。 良心は、本能を抑圧し、なおかつ内的美意識によって判断を行うことで養われる、ということかな。 戦後のイラクで窃盗やモラルの低下が起こるのも、社会的環境が変わったことが原因でしょうね。 日本は、モラルの他にマナー(お行儀)も悪くなった気がします。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
No.3の補足 道徳心については、やはり歴史に根ざした内容が多いと思います。 武士道の著者である新渡戸稲造は、アメリカ人の知人から 日本では欧米のような宗教教育が行われていないのに、 どうやって道徳教育をしているかと尋ねられました。 その答えを求めて著述したのが、あの「武士道」です。 神道・仏教・儒教など日本の歴史に根ざした宗教が、日本人 の精神性に深い影響を及ぼしているというのが、新渡戸の 出した結論であったかと思います。 しかし新渡戸の時代からさらに歴史は流れ、かつての武士道 精神も衰退しました。 武士道そのものは衰退しましたが、日本人の道徳観・倫理観 自体はまだ完全に衰退していないので、かろうじて日本人 の道徳観・倫理観が維持されているのではないかと思います。 |もっとも現状のままでは、道徳的に悪くなることは |あっても、よくなる可能性が見出せません。 |何か変革が必要なのは、わかっているのですが……
お礼
武士道は、今の日本人にはぴんと来ませんね。 サムライのような人は、イチローについては言えそうですが。 今の若い世代は、社会通念としての公共心が欠落しているかような振る舞いをします。子供の虐待しかり援助交際、親父狩り、学級崩壊。タガが外れかけているんじゃないかと思うんです。 日本のこれまでよかったところというのは、ワビサビに代表される精神と和を重んじる公共心の高さだと思います。
- Singollo
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自分がされて嫌なこと
お礼
ありがとうございます。 自己啓発セミナーのライフダイナミクスがよく使う、「イヤ感」ですね(笑)。
お礼
有難うございます。 自分がされて嫌のことを、ヤクザや犯罪者は簡単に乗り越えることができます。 彼らの良心と一般の人の良心は同じなんでしょうか?