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宗教は人を救えるか?
現代人には漠然とした不安や恐れがあるという。 例えば、貧困になるかも、病気になるかも、老けるかも、孤独になるかも。 このような時に何が人を救ってくれるのか、何が人の助けにになるか。 ある人は心理カウンターと答えるかも、 いや、圧倒的な経済力だ、いや、誰もが羨む社会的地位だ、 答えは人それぞれかも知れません。 その中の選択肢として宗教は入ると思いますか? 現代社会における宗教の役割は何だと思いますか?
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- takefutsu
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救いでもあるし、お金儲けの手段でもあるのでしょうね
- yoruaru-q
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宗教は、ライフスタイルの手っ取り早いパッケージの1つなんだと思います。 ただ、宗教には、宗教および信者を維持するため、お金を集めたり信者を増やそうとしたりほかのことと競争になったりということがあります。そこに争いが発生するのだと思います。
お礼
ありがとうございます
- ま ま(@mimomon)
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アイデンティティーだと思います。 が、それが強すぎて、争いの火種になっているのよなきもします。 そういった意味では救えないかもと思ってしまいました。 救えるのは人とのつながりですかね。
キリスト教も仏教も「我欲」を捨て利他的であれと説いています。愛が人を救うということを誰も否定しないでしょう。 宗教とはいうまでもなく「教え」であり、教えを信じて生き方に取り入れることを「信仰」というのだと思います。 何が人を不安から救済するのでしょうか。 強い願望と信念でしょう。絶対になる。ではなくもうなっている。そういう気分で「努力を重ねる」と努力が苦にならない。そもそも、さほど自分が本気で欲していないことは努力も続かないし実現もしません。 貧困、病気、老化、孤独に対しては「なりたくない」というのでなく、「豊かになりたい」「健康でいたい」「若々しい容姿と体力」「家族と友人と仲良くしたい」という希望をもつことです。それも、「広い高層マンションに住んで、家族と毎年海外旅行にいきたい」とか『東京マラソンを完走したい。」「体重を5kg落として、毎朝鏡の前で笑顔の練習」「学生時代の友人に声をかけて同窓会をやる」など具体的な目標に置き換えていけば、いいのです。 「天は自ら助くるものを助く」 実体のない不安は、それを抱いているうちに現実になっていきます。貧乏な人は貧乏な生活のイメージにおびえているからいつまでたっても貧乏なのです。 そこから抜け出しどういうイメージの幸福をつかみたいのか具体的ビジョンがない。 最初から、そんなの自分には無理だとあきらめています。 そういうネガティブ思考を変えていくのに「宗教」は効果があります。 あなたは神の子であり豊かで幸福になる権利を持っている。そう宗教は教えてくれる。 幸福な未来を頭に描いていれば思い悩むこともなくなります。 皆そうやって豊かになり、社会的地位を得て、美人の奥さんをもらって幸福になっているのです。
宗教が人を救済した例は、古今東西ありません。おそらく将来にもないでしょう。 しかし、現代社会は主要な権力の背後に、様々な宗教が活躍していますので、救済例という虚偽を人々に押し付けても、犯罪になりません。 信じる者は救われる、という俗語は宗教でなく信仰に対して向けられた言葉です。 宗教が人を救済することはありませんが、信仰が救った例はたくさんあります。 ただし、個人の場合を信仰といい、集団の場合を宗教という、といったような単純なものではありません。 現代社会では、宗教経済や宗教権力の中枢として、限られた仲間に利益を再配分することが主要な役割です。生活習慣などを言語化することも重要な役割です。バチカンだけでなく、宗教によって生活を保障されている人々がたくさんいます。 日本の仏教でも、戒名、法事、などを決めたのは、江戸初期でそれによって僧侶たちの生活基盤ができました。 その代わりに、僧侶たちは管理者である武家たちのにとって、警察犬のような役割を果たすようになりました。バチカン、各国教会、なども同じ役割を担っています。 彼らにとっては重要な役割ですが、それ以外の人々にとっては迷惑でしかありません。
宗教は人を救えます。それだけの力を持っています。 >現代人には漠然とした不安や恐れがあるという。 例えば、貧困になるかも、病気になるかも、老けるかも、孤独になるかも。 このような時に何が人を救ってくれるのか、何が人の助けにになるか。 人の不安の「意味」を正しく理解すれば、不安によって自分か傷ついたり元気を失ったりする必要はないということに気がつきます。 よく読むとあらゆる宗教は共通したことを語っています。すなわち 「あなたが考えることがあなたの現実を創っている」 ということ。 貧困になるかも・・という貧困に考えをめぐらせればめぐらせるほど、人は貧困を恐れるようになりその先にある家を売るだの、売ってもローンが残るだの、3か月返済が滞ったら競売だの・・不幸な想像が脳裏を駆け巡ります。 よせばいいのに、どうやって貧困に至ったのかその過程を想像してみます。会社のリストラだとか、思わぬ失態で馘首されるとか。これは不幸のシナリオプランニングを行ってるのと同じです。 ここまでくれば、もうお分かりでしょう。不安の実態は自分の思いを勝手な想像でふくらませた結果なのだということです。もう一つ重要なのは、そんな「恐怖」とらわれると、今の時間が無駄になるということです。 さらには、協力者を失います。人は明るい前向きなビジョンには力を貸そうという気になりますが、陰気な不安を語る人に共鳴する人はいません。 >このような時に何が人を救ってくれるのか、何が人の助けにになるか。 不安にならずとも大丈夫だという「教え」でしょう。理屈で理解するか、体験で納得するかは別にして、「あなたが考えることがあなたの現実を創っている」と納得したら、自分に起こることの根源は自分に責任があるとわかります。 「とはいえ、自分が望まない事件がいろいろ起こるのは、俺のせいじゃないよ」 と仰るでしょう。それはあなたの不安が招いた出来事だからです。もっと前向きに、積極的な考えを持てば、すこしづつよいことばかりが起こるようになります。 実は、具体的に目標を持って、例えば野口英世が医者になろうと決めても、カネがない、左腕が不自由だ、大学を出ていない、さまざまな壁が行く手をふさぎます。 国鉄の十河信二総裁が世界一の列車をはしらせる大きな夢を描いても、単年度予算の壁や、政治家の思惑でなかなかスムーズにことは運びません。島秀雄技師長や林専務理事の尽力で世の中が変わり動きだす。 どこが「あなたが考えることがあなたの現実を創っている」のだと反論されそうですが、それでも現実世界のベクトルの向きを変えることができるのは、人の描くビジョンなのです。それを共有する人の輪の広がりなのです。 >その中の選択肢として宗教は入ると思いますか? 別に宗教という名でよばれなくても『引き寄せの法則』とか『成功哲学』とか「ポジティブシンキング」「七つの習慣」あるいはニューエイジサイエンスとかさまざま形で 「あなたが考えることがあなたの現実を創っている」 ということを説いています。地下鉄サリン事件以来「宗教」に対する大衆の嫌悪感は極限まできていますから100年前の著作でもほじくりだして使っていたりします。 >現代社会における宗教の役割は何だと思いますか? 唯物論が共産主義を産み、資本主義との対立の中で自滅しました。共産主義は宗教は貧しい者のアヘンであるといい全面否定しました。 宗教は唯識論の旗頭です。工業化社会で人々の意識が物質文明の繁栄のなかに幸福を見出そうとして長続きしなかったなかで、情報化社会の中で人々は、さまざまな出来事に豊富な意味づけを行うようになっています。 宗教(信仰)はそれなしではビジョンの一貫性が保てないほど重要な思考の柱だと思います。哲学というのもその役割を担っていますが、多くの人の共通認識にたかめるには宗教という形態が一番いいのだと思います。
人それぞれであり、意味の無い問いだと思います。。 宗教はただの思想なので救われるも救われないも、一般的な答えは無いと思います。 じゃあ、中学生の時に論語を読んで救われたかとか、就職して社訓で救われたかというようなものだと思います。
- ks5518
- ベストアンサー率27% (469/1678)
>宗教は人を救えるか? 宗教によるでしょう。 また、その人間自身にもよるでしょう。
- nankaiporks
- ベストアンサー率23% (1062/4473)
ある程度は救えるとは思います。 が、宗教があるから世界中で争いがあるのです。 視野が狭くなり、寛容性がなくなるから。 ジョンレノンは宗教が無くなれば世界は平和になると言い殺されました。 信心は自由ですが過度なものは滅亡の道になります。
- takuranke
- ベストアンサー率31% (3923/12455)
救われたと思うかどうかは本人次第です。
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お礼
ありがとうございます