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何故、運の強い人、弱い人がいるのか?
. 生まれた時から不治の病におかされていて、苦しみぬいて数ヶ月とか、数年で死んでしまう子供のいれば、 一方では、本人がそれ程努力していないのに、とんとん拍子に人生の幸運をつかむ人がいます。 芸能人の「藤田まこと」氏は、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%93%E3%81%A8 自分は、運の強さだけで、芸能界を生き残ってきたと言っています。 自分の回りを見ても、確かに、真面目に生きているのに、一人で数人分の不幸を背負っている人と、逆のタイプの人を知っています。 なぜ、人には、強運の人、運の悪い人が存在するのでしょうか? その意味は、何なのでしょうか? 哲学では解決できず、宗教的な問題なのでしょうか? 意見を聞かせてください。 .
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- yasuya
- ベストアンサー率16% (35/216)
努力せずに成功する事が幸運なのかな? 全てが上手く行く人生って、達成感も無いし、唯だらだらと生きるのは地獄じゃないかな。 病気で数年で死んでしまう子供も居るだろうが、その分両親は子供のために一生懸命愛情を注ぐだろう。 結果的には、不幸だが本人はどう感じるだろうか? 現象だけを捉えて、肝心な本人の意思を見なければ不幸なのか幸福なのか、わからないね。 宗教は、説明が付かない事象を「神」という存在を使って 理由付けをしているだけだから、発生した根拠について 貴方が納得の行く宗教を選択したら良いと思う。 確かに、客観的に見て不幸と思える人は大勢いる。 頑張っているのに、彼にばかり事故や問題が多発する。 何もしてないのにね。 俺は仏教の言うところの「業」なのだろう。と処理している。 今は不幸だが、来世に期待・・・って他人事だけど そう思い込むしかないかな。と思っている。
- dogday
- ベストアンサー率29% (2313/7949)
運なんてサイコロの確率論と他人との比較論ですから、人生の平均的運の強さは、ほぼ同じだと思いますよ。 息災な平凡な生活だって、サイコロ振り続けて、運の悪い人より上を出しているんですから。 運を使う場所の運がいい人が成功する。 まぁ運の引きが弱すぎて、取り返しのつかない人もいるんでしょうが。 運は自分で狙えませんが、運を使う場所と回数は、自分の努力です。 勝負する場所に自ら立たなければ、他人が認める幸運はありません。 奇跡は、奇跡的にしか起こらない訳で、奇跡の起こりそうな場所を自分で狙わなければ立ち会えません。 家にいても奇跡はない。
お礼
. それじゃ、質問で例として出した >生まれた時から不治の病におかされていて、苦しみぬいて数ヶ月とか、数年で死んでしまう子供 の存在をどう説明するんのでしょうか? .
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
大多数は、「そこそこ運が良かったり悪かったり」しています。 だからこそ、「運の良い人」「運の悪い人」が話題になるのです。 もし大多数が「強運」であれば、「強運」という言葉さえ存在しないでしょう。 ただ、ランダムな確率分布に過ぎません。
お礼
. 一見、その答えは正しそうに見えます。 本当にそうなのでしょうか? 自分で、統計を取られたのでしょうか? それともソースがあるのでしょうか? 生きている今、謎はないかというとそんなことはありません。 生命の発生起源が分かりません。 意識の発生メカニズムも分かっていません。 何故、光の速度が秒速30万Kmであるか、誰も知りません。 そんな、解ける見込みのない謎を素直に認めるべきだと思います。 なんでも、合理的に説明しようと知ると、思考停止になると思います。 謎は、謎として。分からないことは、分からないと認めたうえで、思考する。 それが、科学的な態度ではないでしょうか? .
- tyk9
- ベストアンサー率15% (6/39)
簡単に言えば、 強運の人 = ポジティブ思考が強い 弱運の人 = ネガティブ思考が強い ポジティブな人はポジティブなアンテナで ポジティブなところに目が行くものなんです。 ネガティブな人はネガティブなアンテナで ネガティブなところに目が行き 不運の方向へと自分から入って行っているのです。 すべては自分が引き寄せるのです!
お礼
. それは、ある意味正しいのかもしれません。 しかし、ポジティブ思考と関係のない場合も冷酷にも存在します。 質問であげた例です。 >生まれた時から不治の病におかされていて、苦しみぬいて数ヶ月とか、数年で死んでしまう子供 すべて、自分で引き寄せられるのでしょうか? .
「個体差」の一つとも、考えられないでしょうか?。 肌の色、眼の色、髪の色を初め、身長の高低、体格など「外見的な個体差」は沢山有りますよね?。 「運の強弱」も、「眼に見えない個体差」と考えれば、何となく納得出来ないでしょうかネ。
お礼
. そう、「何となく」、「何となく」なんですよね... 哲学カテは、「何となく」を、クリアーな言葉にするのが一つの役目だと思いませんか? 「心とは何か?」「存在とは何か?」との広い、抽象的な問題に、具体的な言葉で説明をする。 具体的な言葉になるまで考える。 それが、哲学だと思うんです。 .
神様しか分からないと思います。 飛行機事故にあって、亡くなった方と奇跡的に助かった方。 なぜかはわからないですよね。 運としか言いようがないです。 よって、誰にも分からない。 わかるとしたら神様。 ちなみに私は無宗教です
お礼
. 回答ありがとうございます。 >神様しか分からないと思います。 そうかも知れません。 それでは、仮にあなたが「神様」だったとしましょう。 病で3歳で亡くなった子供に、「何故、私にこんな運を授けたのですか?」と、聞かれたとしましょう。 貴方は、どう答えますか? 奇妙な質問かもしれません。 しかし、「神様」を、持ち込むと思考停止に至ります。 哲学カテの立場として、「智」をもって、問題を追い込める所まで、追い込む必要性があると思います。 そこが、哲学の哲学たるゆえんだと思います。 簡単に思考停止に持っていかない。限界は、まだ、先のはずです。 .
- kentkun
- ベストアンサー率35% (1106/3092)
例えば、同じ場面設定で「焼きそば」を食べるグループがあったと仮定して、その人達の心理を分析してみると 「焼きそば」ってこんなちゃちなもの食わせやがって、と思う人と めっちゃ焼きそば食べれてラッキーと思う人もいるでしょう。 つまり、同じ場面に遭遇しても「ラッキー」と思う人と 「ついてない」と思う人がいます。 交通事故で足を骨折しても「骨折だけで済んでラッキー」と思う人がいるし、「なんで俺はついてないんだ」と落ち込む人もいます。 要するに強運や不運との関係は、その人の心の持ちようだと僕は思っています。 その意味では「自分はラッキー」と常に思える人の方が、なにかと強運に見えます。
お礼
. それでは、質問であげた例の >生まれた時から不治の病におかされていて、苦しみぬいて数ヶ月とか、数年で死んでしまう子供 が説明できません。 .
お礼
. 仏教の言う「業」って何だろう。 ここは、哲学カテだ。 哲学では、宗教も扱う。 じゃ、「業」を哲学で考えてみようじゃないか。 「業」の意味を教えて欲しい。 .