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何故、運の強い人、弱い人がいるのか?
. 生まれた時から不治の病におかされていて、苦しみぬいて数ヶ月とか、数年で死んでしまう子供のいれば、 一方では、本人がそれ程努力していないのに、とんとん拍子に人生の幸運をつかむ人がいます。 芸能人の「藤田まこと」氏は、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%93%E3%81%A8 自分は、運の強さだけで、芸能界を生き残ってきたと言っています。 自分の回りを見ても、確かに、真面目に生きているのに、一人で数人分の不幸を背負っている人と、逆のタイプの人を知っています。 なぜ、人には、強運の人、運の悪い人が存在するのでしょうか? その意味は、何なのでしょうか? 哲学では解決できず、宗教的な問題なのでしょうか? 意見を聞かせてください。 .
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- yosiochan
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運がいいとか、悪いとかは身近の人の発言でもわかるとおり「その人のモノの捉え方」でしょう。つまり客観的な評価ではなく、主観的な評価でしょう。「生まれた時から不治の病におかされていて、苦しみぬいて数ヶ月とか、数年で死んでしまう子供のいれば、一方では、本人がそれ程努力していないのに、とんとん拍子に人生の幸運をつかむ人がいます。」も同様です。どうして、絶対的に前者が運が良くて、後者が運が悪いと言えるでしょうか?物事はよくよく考えてみると、運のいいことに思えることも非常に運が悪いとも考えうるものです。つまり、「なぜ、人には、強運の人、運の悪い人が存在するのでしょうか?」という問いの答えは、あなたがそう思っているから存在するが、ある意味ではそんな事柄は存在せず、あなたがあるいは本人がそう思っているだけ。と言えます。「その意味は、何なのでしょうか?」の問いの答えは、物事の意味は絶対的にはなく、自ら意味づける。「哲学では解決できず、宗教的な問題なのでしょうか?」の答えは、よくわかりません。私は事象を上記のように考えてますので、カルマとか因縁もそうとも言えるし、違う見方も出来ると思います。そもそも物事のあり方そのものが言葉によって制限されえるものではないし、言葉によって人はその幻想にひっかかっている思います。だからといって、私が「ついてない」「超ラッキー」と思わないかというと、しょっちゅう思います。私は私の価値観に縛られており、肉体的にも苦痛や快楽を感じ、心は体の感覚の影響を非常に受けて日々送っています。だから、あなたの質問は誰しも思うことです。とりわけ、人は人生がうまくいっていないときそう思うものです。
- Absons
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人間も動物です。自然の中で生きている以上、自然の法則に従うしか無く、行為の選択によってある程度一定の結果が生まれます。その選択のチョイスは、個体によってある程度無意識のうちに傾向があるとおもいます。良い結果を得やすいチョイスが出来る人が運のいい人ということになるのでは。 あと、動物の中でも生まれてすぐ死ぬ、と言う個体もとうぜん存在する。要は、生物学的に弱かったと考える以外ないと思います。環境に適さなかったと‥ しかし、人間はすぐ亡くなってしまう様な方であろと、その人生や、存在が弱いとは思いません。周りの人に一瞬で偉大な影響を与える、ということも有るからです。
お礼
. 趣旨がぶれていますね。 >良い結果を得やすいチョイスが出来る人が運のいい人ということになるのでは。 と言うことで、本人による運の存在を認めながら・・ >生物学的に弱かったと考える以外ないと思います。 と、本人による運の存在を認めていないと読めます。 >周りの人に一瞬で偉大な影響を与える、ということも有るからです。 と言うことは、影響を与えないということも有るわけですよね。 もう少し、主張を絞り込んで、突き詰めて書いて欲しかったですぅ。 .
一つは個性や境遇の差。 日本に生まれるかソマリアに生まれるか。神様のくじ引きか?という程の事でその後が大きく異なってしまいます。 親に薫陶される人もいればいびられ駄目になってしまう人もいるでしょう。 人生や境遇はそれぞれとしか言えません。 能力がある人なら「うまくいってる」と感じることは多いかもしれません。不器用なら逆かも。 運が悪いと感じるなら、もっとうまくいきやすいものを狙うため何か本をあさるのも良いです。 もう一つは解釈。 自分は運がいいと思うか悪いと思うか、結果が出せたと思うか出ていないと思うか。 試験に3回も落ちたから自分はやっぱり駄目なんだ?いえいえ、それでも少しずつは知識が付いてきていますよ。 事故にあった?いやでも死ななかったじゃないですか。 これしかないと思う人、これだけはあってよかったと思う人。 自分のペースと自分の解釈で良いことを実感すると良いでしょう。
お礼
. >神様のくじ引きか? そこを、突っ込んで考えて欲しかったですね。くじ引きか、何らかの意図があるのか、何かの法則があるのか、・・・・ #2の方も、「神様」を持ち出していますが、神様を持ち出すと、そこで思考停止になるのが残念です。 「神様」「業」「カルマ」「輪廻転生」等、キーになる言葉が出てきますが、そこから先に進まない。 進もうとする気がないのか? 進めないのか? 本人の解釈の問題で考えると、質問であげた、病気の子供の説明の壁に行き当たりませんか? 「神様」等の、キーになる言葉、この辺を切り込んで、先に進めたい。 そんな、意図がこの質問には込められているんですが・・・ .
『業』 http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E6%A5%AD/?from=websearch 因果 http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E5%9B%A0%E6%9E%9C まっ、前生が在ると考えれば、 『輪廻転生』 前生で死んだ時に取り込まれた(残ったというか)がエネルギーになり、 そのエネルギーが入るに相応しい体を選んで生まれ変わるというところでしょうか?。 『カルマの法則』だね。 前生での行いを自分で判断して生まれる身体を選ぶという訳。 そう、未来までも自分で選ぶ。 しかし、こうも考えられないか?、 そう、実は輪廻転生などは関係無い。 そう、自分で運を良くも悪くもしているとか。 未来の影は現在の姿。 しかし、人間は未来が見えていて未来を計画通り進めた結果だどか。 しかも、精子と卵子が受精した瞬間から環境を動かす能力があるとかね。 母親の体内で過ごした記憶を人間は持っているとか。 スポーツ選手がイメージ特訓を重ねて良い成績を出したりする様にね。 運の悪い人は運が悪く成るイメージ特訓をした事を忘れているかもね。 運の良い人も運が良く成るイメージ特訓をした事を忘れているかもね。 そう、深層意識が未来を予知して選択を常にしているとか。 で、 雨女/雨男 が、何か行動しようとした日に雨が降るのは、 未来予知で雨の日を感じて、雨が100%降る日を選んでいるとか・・・。 ね。
お礼
. 最初は、面白かったけれど、後半が残念。突っ込み所満載。 >しかし、こうも考えられないか?、 そう、実は輪廻転生などは関係無い。 そう、自分で運を良くも悪くもしているとか。 これは、自分が質問であげた >生まれた時から不治の病におかされていて、苦しみぬいて数ヶ月とか、数年で死んでしまう子供のいれば、 を、同説明するんですか? 最初の回答者へのお礼でも、疑問を呈していますが・・・ >スポーツ選手がイメージ特訓を重ねて良い成績を出したりする様にね。 スポーツ選手が、イメージ訓練をするのは常識でしょ。 そのなかで、常勝する、選手が存在するのは何故か? そこに、運というものを考える余地があると思うんですよ。 >雨女/雨男 が、何か行動しようとした日に雨が降るのは、 未来予知で雨の日を感じて、雨が100%降る日を選んでいるとか・・・ね。 知人との待ち合わせとか、集団での移動とか、本人の意思とは無関係に日にちが決まることがあるでしょう? 残念、輪廻転生等で、深く突っ込んで欲しかったですぅ。 .
- booter
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浅学の者です。 雑談程度ですが回答します。 私が学生の頃、周囲ではいたずらに蟻を踏み潰したり、あるいは生きた蝶を動けなくして蟻の巣の穴の近くに置いたりと残酷な遊びで楽しんでいました(ちなみに自分はそうした行為に引いていたので加わりませんでしたが)。 蟻や蝶達は「運が悪い」とか「どうしてこうなるんだ」と思っていたに違いありません。 しかし当の我々にとっては、虫達の運がどうのというよりも、人間が行ったただの事象に過ぎません。 その事象に該当する虫達がいたかどうかです。 これを神様視点で言い換え、例として落雷を考えれば、雷が落ちたという事象の範囲に人間がいたかどうか、という事になります。 ここから言いたい事は、運命というのは一番基礎的な部分では単なる確率論にすぎない、という事です。運命というのはその確率的に言える事象に遭遇してしまった人の主観的な意見だというのが私の考えです。 あるものごとを主観的に捉えるか客観的に捉えるかで運命か事象かという観点の違いなのですが、それでは神様ではない人間はそれにどう対処すれば良いのか、結論としては「人間が虫達に運命を辿るストーリーを用意していないのと同じに、神様は人間に運命を辿るストーリーを用意していない(大体60億人もいるのに面倒見切れないでしょう)、悲観も達成感も大局的に見れば本来は存在し得ず、運が良い悪いというのは人間の主観的な観測である。ならばその基準を人間で作ってしまって人間が勝手に達成すれば良いのではないか」と考えます。 とここまでが哲学的なお話です。 ここで終わると悲観的な話になってしまいますし、何より私は神様ではなく主観的観測から抜けられない人間の一人なので下記の二つのエピソードを書いて終わりにしたいと思います。 「うしおととら」の登場人物、二代目お役目様の言葉 人は与えられた天命を生きれば良いのです。他人と比較しても意味がありません。 「101匹名言大行進」より http://kajipon.sakura.ne.jp/meigen.htm 私は神が私のことを見捨てたとは決して思っていない。 神はきっと、唯一私だけがこの試練に耐えられると思ったのでしょう(ミニー・リパートン)ポップス歌手 ※名曲「ラヴィン・ユー」で知られるミニー。彼女は乳ガンが全身に転移して31才の若さで他界した。その晩年の言葉。
お礼
. 回答ありがとうございます。 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を連想させる話ですね。 参考にさせていただきます。 .
- makamokoma
- ベストアンサー率33% (1/3)
No.7のお礼の業とは何か? についてですが、行いという意味ですよ! 業という因が縁によって果を生じる、という事です。 突き詰めれば直ぐに気付くと思いますが、哲学の範疇を超えてますから 理論的なもので理解できませんよ。 矛盾が生じますから・・・ しかし理論によって思考したり探求したりするんですよね~ 自分の器で理解出来ないものは、否定してしまえば簡単です、それは自分にとっては楽な解決法ですが仏教はそんなに浅はかなものではありませんよ。 お釈迦様は平等でないのは平等だからだと仰いました。 自分の周りを見て哲学することは大切なことだと思います。 そこから門戸が開かれるのだと思います。 一見整然としてますが、確率や統計、主観と客観といった視点で人の幸、不幸を達観できるなら中学生程度の見識で充分理解できる事だと思います。 逆にいえば自分の見識が是なら理解している事になり、これも主体と客体の違いでしかないのかも知れませんが・・・ ともあれ、偶然に見える事にも必ず因は有り必然の結果である、と摂理の一部分が仏教の初期段階で説かれてます。 そういう過酷な現実からの救いを説かれ続けたのがお釈迦様や多くの仏弟子達のご生涯です。
お礼
. 回答ありがとうございます。 >No.7のお礼の業とは何か? についてですが、行いという意味ですよ! 業という因が縁によって果を生じる、という事です。 突き詰めれば直ぐに気付くと思いますが、哲学の範疇を超えてますから 理論的なもので理解できませんよ。 そうですか、最初から理解できないと言わず、どこまで理解できるか、どこから理解できないか、突き詰めて見たかったですね。 それが、哲学って感じもするんですが・・・・ .
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
感想を述べますので、よろしくお願いいたします。 地球上の生物にも「運」「不運」はあるようですが、 ここでは人間社会に限っての質問、と受け止めて考えてみました。 「運」「不運」も、 肉体的なことや、社会的なことや、突発的なことなど、いろいろあるようです。 肉体的には、いわゆる病気になることは不運です。そしてそれは先天的なものがあれば、後天的なものもあります。 社会的には、望まない環境に身を置くことは不運です。 突発的な事故や自然災害に遭えば、これも不運といえます。 不運ばかりを取り上げてしまいましたが。 「運」は本人の努力でつかめるものもあるようですが、どうにもならないものもあるようで、これも「不運」というのでしょうか。 「運」「不運」があるということに、理由を見いだすのは難しいので、それこそ思考停止といわれそうな、受け止め方をしています。 ☆人間が生きるという事は、動植物と同じである。例えれば“大河の流れ”のようなものであると。 本流に乗って海にたどり着くものもあれば、分流してあらぬ方へ行ってしまったり、瀞(とろ)に入って留(とど)まってしまったり。 こうした事は自然発生的なことで、個々に「理由、原因」を見出すのは不可能かと思います。 運、不運が有る事に「意味」が在るのでしょうか。 宗教的には在る、と云うべきかもしれませんが、哲学的には人間が意味を「作り出す、見出す」と云うことになるのではないでしょうか。 上手くいえませんが、人間が生きるということは“自然の摂理から逃れられない”と思えるのです。 (浅薄な考えである事は承知しています。深く追求しないでください)
お礼
. いつも、回答ありがとうございます。 >上手くいえませんが、人間が生きるということは“自然の摂理から逃れられない”と思えるのです。 そこに、ヒントがあるのかも知れません。 「上手くいえません」これを、なんとか哲学的に言葉にできないか? これが、今回の質問に込められた、「期待」でもあります。 .
- dogday
- ベストアンサー率29% (2313/7949)
>生まれた時から不治の病におかされていて、苦しみぬいて数ヶ月とか、数年で死んでしまう子供 生まれてこれない水子よりは運が強いし、 ぽっくり死ぬのと、苦しみ続けて死なないのは、主観にも客観にも幸運不運の線引きはないですよ。 シュレーディンガーの猫状態なので、物理法則にもあるわけで、そこに意味があるとは思えません。 >謎は、謎として。分からないことは、分からないと認めたうえで、思考する。 >それが、科学的な態度ではないでしょうか? 理解しているようですが。 この話題で気になるのは、人生の幸運をつかむのが運であっても、幸を継続するのは能力ですし、 運が強いほど、不幸のリスクも高いと思いますが。
お礼
. >人生の幸運をつかむのが運であっても、幸を継続するのは能力です そうなんですか?論理的に説明お願いします。 >運が強いほど、不幸のリスクも高いと思いますが。 これも、論理的に説明お願いします。 .
- tyk9
- ベストアンサー率15% (6/39)
>質問であげた例です。 >>生まれた時から不治の病におかされていて、苦しみぬいて数ヶ月とか、数年で死んでしまう子供 この事例を深く説明しようとすると、 既存の現代科学的な観点からは困難ですが、 神智学や擬似科学的な観点から話した場合は 説明する事ができます。 その不治の病で生まれた人生の枠を 超えて、前世や来世と枠を広げた場合 に説明づける事ができます。 不治の病で生まれた人生は、 その子の前世がそれを引き寄せたとか、そういった 人生一つの枠組みを超えた話でしか説明 できないはずです。 必ず、結果は原因の通りに現れます。 既存科学で思考を停止させて、解らないままで いるのか、疑似科学から思考を発展させるかの どちらかですね☆ >すべて、自分で引き寄せられるのでしょうか? 思考や感情にも量子波というものが存在します。 人間は思考する度に量子波を発生させ それに伴った現象が、後からついてくるのです。 それは人間から発生する量子波の度合い によって様々で、時間、場所 どのように現象になるのかは予測不可能といえます。 引き寄せの法則というものがあります。 非常に興味深いです。
お礼
. 来ましたね。 >既存の現代科学的な観点からは困難ですが、 >神智学や擬似科学的な観点から話した場合は >説明する事ができます。 >その不治の病で生まれた人生の枠を >超えて、前世や来世と枠を広げた場合 >に説明づける事ができます。 それでは、哲学カテの枠を外します。 前世や来世と枠を広げてください。 それで、説明してください。 哲学の限界が試される、いい機会だと思います。 宜しくお願いします。 .
- mashumaro2
- ベストアンサー率58% (99/170)
こんにちは。 まず一つには、不可抗力、つまり自らの自由意思で抗えない運、不運というものは確かに存在すると思います。 その場合には「いかに与えられた自らの人生をどう前向きに過ごすか、自身と周囲との係り合いが大きく影響を及ぼし得る」と思います。 「精一杯悔いなく生き、自らの生を全うする」という点においては、人生の歳月の長短などは、さほど関係ないのかもしれませんね。 二つめとして、「強運を掴む」という場合。 まずはその「機会」を得ることが前提条件のはずです。 その際の「運」とは、「人の縁」を指すのではないでしょうか。 「人」という字の如く、誰もが皆、他人に支えられて生きているのだと思います。 人に支えられ、感謝し、そして自分も支えるというその繰り返し、つまり信頼関係の結びつきが「ご縁」となり、先々の強運を引き当てる機会を相応にもたらしてくれるのだと思います。 「運が良い」とは、確かにポジティヴ・シンキングや、運の良い出来ごとの記憶しか残らない楽天家器質、という意味にもとれるかと思います。 ですがやはりそれだけではなく、「自分の力以上に、多くの人に支えられて」という、目に見えぬ「感謝」「真心」によるところのものが非常に大きいように感じられるのです。 であるならば、不可抗力の病身であれ、強運を引き当てる身であれ、結局は、周囲との関係性、つまり「絆」「縁」が最も大きな意味を持つのではないでしょうか。 ps:「生と死」のご丁寧なお礼を拝見させていただきました。 哲学ど素人の私には、mintarou1様のご質問には、色々と考えさせられるものがあり、こちらこそとても有り難く思っております。
お礼
. 回答ありがとうございます。 お礼を言われちゃ、やりづらい。 コメントは、補足に書きます。 とりあえず、ほりゅうぅー .
お礼
. 貴方の言うことはよく分かります。 その様な答えも予想していました。 しかし、自分はひねくれているのかも知れません。 例えば、イエス・キリストが生まれた時の事が新約聖書に以下の様に記載されています。 >【マタイによる福音書 2.1-2.2】 >イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベッレヘムでお生まれになった。 >そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。 >「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。 >わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 と、占星術でイエス・キリストの誕生が分かっていたと言うことです。 自分は占いに興味があり、一時期、熱心に勉強したものです。 その結果、占いは否定できるものではないと、確信しました。 ですから、聖書の上の内容も一方的に否定的な立場を取っていません。 そういう視点も頭の中に入れながら、運命を考えています。 これは、個人の解釈の問題ではないと思っています。 例えば、左利きの人が存在します。 その割合は、時代、文化、地域に関係なく、ほぼ10%です。 これは、遺伝とか、科学で説明が出来ていません。 何かの、見えない力が、10%を保持しているのです。 分からないことを、分からないとし、無理に合理的解釈しない。 僕は、そういう立場を取っています。 また、僕がこのように考えたのは、身近でとても不幸な人を見たからです。具体的には書けませんが、それを見て「運」と言う物を考えました。自分のことでは有りません。 それから、お願いですが、改行、スペースなどを入れて読みやすくして書き込んでいただくと助かります。 .