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「心に驕りなき時は人を」の後、「救う」と「教う」どっちが正しいですか?

「上杉家家訓十六ヶ条」で調べて見ると、「心に驕りなき時は人を教う」の方が多い。 でも、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E6%B0%8F は「救う」です。一体どっちが正しいでしょうか 「育てる」のところも違うんです。「育つる」の方が正しいでしょうか?

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  • lions-123
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回答No.1

>「心に驕りなき時は人を」の後、「救う」と「教う」どっちが正しいですか?              ↓ 漢文や古語、旧かな使いを口語体に訳したものには、作成者の解釈や思いで、微妙な語彙・送り仮名の使い方に違いが出るのでしょうね。 他の上杉謙信の遺訓や上杉神社のお守り、上杉家家訓等の検索でも、それぞれ異なっておりますので、原本・現物の記載以外は使い方・大意を読み、活かし、伝える中でのニュアンスの問題かも知れません。 心に物なき時は、心廣く體泰なり (心に見失わせるような物がない時は、心が広々として、体がやすらかになるものだ) 心に我慢なき時は、愛敬失はず (心に他を軽んずることがない時は、慈しみや敬うことを忘れないものだ) 心に欲なき時は、義理を行ふ (心に貪り欲しがることがない時は、人を思いやるものだ) 心に私なき時は、疑ふことなし (心に密かなことがない時は、物事に疑うこともない) 心に驕なき時は、人を敬ふ (心に思いあがった気持ちがなければ、人を尊ぶ) 心に誤なき時は、人を畏れず (心に邪まなことがなければ、人を恐れることはない) 心に邪見なき時は、人を育つる (心に偏った見方がない時は、人を立派に育てる) 心に貧なき時は、人に諂ふことなし (心に欲深くない時は、人をへつらうこともない) 心に怒なき時は、言葉和かなり (心に怒りがない時は、言葉はもの柔らかになるものだ) 心に忍耐ある時は、事を調ふ (心に耐え忍び、努力することがある時は、物事は上手く行くものだ) 心に曇りなき時は、心静なり (心が晴れていれば、心は穏やかである) 心に勇ある時は、悔やむことなし (心に勇気がある時は、後悔することもないものだ) 心賎しからざる時は、願好まず (心に賎しい気持ちがない時は、無理な願いは好まないものだ) 心に孝行ある時は、忠節厚し (心に尽くそうとする気持ちがあれば、節義も深い) 心に我慢なき時は、人の善を知り (心に自惚れることがない時は、人のすぐれたことを知る事が出来るものだ) 心に迷なき時は、人を咎めず (心に信念があれば、人を責めないものだ)

su100
質問者

お礼

なるほど、元々訳したものなんだ。理解し易い説明もついて助かる、ありがとう~