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折口信夫という人

・折口信夫という人は結婚したんですか? ・折口信夫は大学教授だったが、それを「毫も誇りを感じない」と記したそうですが、出典はどの辺かわからないでしょうか? 2番目の質問は難しいので、1番目の回答が運よく寄せられた数日後に質問を閉めます。

みんなの回答

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.2

二つめの御質問については、すでに御納得の いく回答が寄せられたようですので、私は、もっぱら初めの お尋ねのほうで。 と言いましても、まだ、著作そのものを読んだことはなく、何とはなしに、長年、一種の憧れを抱いてきて、もう そろそろ手に とってもいいだろうと思っている対象の一つです。 若い頃に、男性同性愛を題材に作家デビューなど目論んでいた過去がありまして、このような お題には、いまだに つい…叱られるので、ふだんは隠蔽しているんですが(苦笑) 氏が結婚していたか否かについては、「終生独身だった」との記述がありますが。。。 ◇国文学者・加藤守雄氏 「折口と同居していた藤井春洋が出征。これに伴い、終生独身だった折口の身辺を世話するために、折口の自宅に同居。面倒見のいい折口から論文代筆や就職先の斡旋などの恩を受けた。」 http://www.weblio.jp/content/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%AE%88%E9%9B%84 ~折口から…「師弟というものは、そこ(同性愛)までゆかないと、完全ではないのだ。単に師匠の学説をうけつぐと言うのでは、功利的なことになってしまう」と迫られ、~とあります。 功利的、って、せんせい、そんな(汗)と私なんかは思ってしまいましたが、守雄氏、トラウマを抱えるに至ったそうな。 折口先生も、そうとう危ないことをする面が あったみたいです; 折口氏は大変な女性嫌いで、きたない、などと言って、親しい御友人の奥さまが つくられた お料理にも手を つけなかったとか、結婚されている御友人には、自宅の おふろも使わせなかったほどだとか。あんまりじゃないかと思いますけど、育ての母であった叔母さまには、感謝の念が深かったそうじゃないですか、そのへん、どうなってるんだろ?と思いました。 ですが、先の御回答者さまも触れておられますように、女性の お弟子さんとの艶っぽい話も、ないわけではないようですね。 ウィキペディアにも、「ノート:折口信夫」というのが出ておりました。 ~参考までに 折口信夫門下に穂積生萩本名澤木数枝と申される女性がおられる。1978年にこの女性が「私の折口信夫」を講談社より出版している。2001年5月に文庫サイズで中央公論の新社より出版されている。内容は実に衝撃的なものでありまして、古式ゆかしき文章で、女嫌いで男色との噂のあった折口が、実はほのかに、この女性を慕いしのんでおられた事を、実に明瞭に書きとめて記載しておられるのだ。後書きの中にさり気なく下記のような言葉を述べておられる。「私がただひとりの女弟子であったかどうかは、真偽のほどはわからない。女の弟子はたくさんあったろうけれども、私と折口信夫の関係は、師弟でもありながら、私は、先生の男性を呼びさまし、意識させる役割をより多く持っていたと言えそうだ。その点ではただひとりの「女」弟子であったろう。…省略…中公文庫『私の折口信夫』より引用す~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%8A%98%E5%8F%A3%E4%BF%A1%E5%A4%AB ※穂積生萩 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%82%E7%A9%8D%E7%94%9F%E8%90%A9 ところで、私個人は、折口信夫、と聞きますと、いっしょに、折口氏の養子となった(旧姓)藤井春洋(はるみ)氏のことを思い浮かべてしまいます。 だいぶ、むかしの記憶になりますが、朝日新聞の文化面だったか学芸欄というのか、戦時中に召集を受けた春洋氏に関する記事を読んだことが あります。 (近頃でも、また朝日新聞が、同様の記事を掲載していたそうな ) そのとき、記事中の写真を見て、りゅうとしたオーバーコート姿の春洋氏の美丈夫というべきか、ハッキリ言って、「折口氏に渡してなるものか」と言いたくなるくらい、好みのタイプでもあったもので(笑)非常に鮮やかに記憶に残っています。 ◇国文学者・折口春洋 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%98%E5%8F%A3%E6%98%A5%E6%B4%8B http://spysee.jp/imgcache/21605276/%E6%8A%98%E5%8F%A3%E6%98%A5%E6%B4%8B 戦時中の春洋氏召集にあたっては、折口氏は非常に苦悶したとのことで、そのとき書かれたという、春洋氏を思う折口氏絶唱のような一文を併せて読んだ記憶もあります。 のちに、惜しくも戦死された春洋氏と二人の父子墓と称して、同じ墓所に眠られているそうですね。 「もつとも苦しき たゝかひに 最もくるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその 父信夫の墓」 というのが墓碑銘だそうです。

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.1

2番目から先に答えると、それは『古代研究 追ひ書き』です。 ネットでも読めます(下記のページ)。 http://novel.atpedia.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%80%80%E8%BF%BD%E3%81%B2%E6%9B%B8%E3%81%8D-%E6%8A%98%E5%8F%A3%20%E4%BF%A1%E5%A4%AB/page/1262.html 初めの質問に対しては、正確に答えられませんが、おそらくは生涯独身であったと思われます。 彼が同性愛者であったということを頭に置いてのご質問であろうかと思いますが、私はいまだに折口信夫を読まずじまいなので、ネットで見た範囲ですが、その範囲で判断する限りでは、結婚したという記述が見当たりません。 その代りに養子をもらったという記述はあります。 Wikipedia の年譜に、結婚したことを漏らすとは考えにくいので、そう判断しました。 それと、彼には唯一の女の弟子があったはずですが、その人かどうか、確かめておりませんが、持田叙子という人の書いた『独身漂流』という、折口に関する書物があるようです。 御参考までに。

b1d
質問者

お礼

感動しました;; どちらかというと二番目の質問の方が興味あったので、まさか判明するとは思いませんでした! 折口信夫のこの言葉も平家物語のわが世の春だからこそ言えたとも曲解できなくはないですけど、男色を恥じるところはないですから、いくぶんは真実性もあるのではと。 自分も折口は独身だと思うのですが、どなたか断定してくれないのかなあと・・・ 略歴から判断すると、前半生は折口は苦労してたみたいですね。 ありがとうございます。

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