- ベストアンサー
昔のお正月
最近、あるエッセイを読んで、気になるところがあります。 「一時、正月になると、高度経済成長の申し子みたいなのが、街頭を着飾って歩いていたが、さすがにそういう姿も少なくなった。戦後30年、ようやくあるべきものがあるべき場所に戻ったのであろう。」 という一節があるが、「高度経済成長の申し子みたいなのが、街頭を着飾って歩いていた」とはどういうことを指しているでしょうか。後ろの文から見ると、そういうのが街頭を着飾って歩くのはあるべき行為ではないみたいですが…ちょっと想像しにくいです。 お分かりの方、どうぞご解答よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
戦後30年たったころは私は24-5です。 よって、「街頭を着飾ってあるいていた」正月というなら 着物を着ていたというのが正直な第一印象でしょう。 私が小学生から中学生ぐらいまで、お正月といえば着物を着せられました。 よって、【晴れ着】ですね、まさに。 7歳の祝い着を仕立て直したりして着る。 ただ、正直言って学友に持っている女の子は少なかった。 ソレと、人にちゃらちゃら見せるような着物を着るには帯び結びに 技量が必要なのと、髪を結うのでお金がかかる。 さらに、その髪を壊さないようにというが日常と違って、 つらい。 高校生ぐらいになると、正月はすでに冬期講習やら模擬試験やらで 着飾るような余裕も無くて・・・です。 戦後30年たつと、家庭内に着物文化が残りませんので 今がそうであるように、着飾るための着物を着るのに「着付け教室」が 必然になる。 我が家は祖母も実母も着せてくれましたので「着飾ることができた」 だから、この文章を書いた著者の描写が女性の着物姿を「揶揄」しての 文章だとすると、相当に、底が浅いと思います。 着物は持っていても、 着られなくなったという生活習慣・技量・文化継承を見逃しているから。 【ようやくあるべきものがあるべき場所に戻ったのであろう】であるなら、物質的には持っているんですから、着ればいい。 そうではなく、根底から、「着物文化」が破壊されて、 アメリカナイズされたから、着付け教室に通わないと 着物文化を経験できない「日本人」になったわけで 【ようやくあるべきものがあるべき場所に戻ったのであろう】は 見当違いです・・・もし、着飾るということがすなわち【着物】をさして言うならです。
その他の回答 (1)
- take-plus
- ベストアンサー率42% (553/1302)
戦後30年と言えば、1975年ですよね。そして高度経済成長といえば1960年代あたりのことですよね。 当時まだ生まれておりませんでしたので、当時の資料を参考にしながらの回答になりますが、僕の見解は以下のとおりになります。 【舞台:田舎町】 高度経済成長の申し子 :集団就職で上京した男性および家族の帰省 街頭を着飾って歩いていた:都会のファッションと田舎のファッションが違う、給料も違うから持ち物からして田舎に帰ったら目立っていた。 さすがにそういう姿も少なくなった:オイルショックによる不景気が原因なのかもしれませんし、日本全国が裕福になったという描写かもしれません。 (戦後30年 :1975年) ようやくあるべきものがあるべき場所に戻った:都会で働く男性が帰省する事によって何もないような田舎がその間だけかき回されていたという描写ですかね? 都会で働く男性が帰省の際、見たことが無いような「車」に乗って帰ってきたとか、「家電製品」を買って持って帰ってきたなど、田舎の人にとっては「非日常」の生活が都会に行った人間が帰省することによって正月にはあったのではないのかなと思います。 【どうでもな推測でもう1つ】 #1の方とは逆になるかもしれませんが、正月の晴れ着は着物なのですが、都会から帰省してきた女の子は着物など着たことも無く、普段着なので地元の着物の女の子の中で目立っていた。1970年代に入り、人々にもゆとりが出てきたので、帰省の際おばあちゃんが着物を用意してくれていたりし、本来日本があるべき着物での正月と言う文化が戻ってきた。 全く持って自信無しです。