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幸福を願う心こそ諸悪の根源?
人はなぜ幸福を願い追い求めるのでしょうか。 それへの「執着の強さ」と「量で測られる価値の多寡」が指標になっている世界では「囚われたこころ」は満たされる時の訪れがないように思われます。 なるほど「足るを知れ」と先哲は教えてくれます。しかし「知足」は欲望には限りがないから「そこらへんにしておけ」との妥協とも受け取れます。 おそらく宗教というものがそういった欲望処理専門システムとして登場するのでしょうが、一神教は殺しあいに忙しく仏教は形骸化もはなはだしく、その分無駄な難解さと相俟って「信じない者は救われない」という宣伝(脅迫?)しか伝わってこないようです。 どうも「幸福を願う心」こそが結果として「不幸への道案内」をしているように思えます。 こういう考えは間違っているのでしょうかね?
お礼
再びの回答をありがとうございます。
補足
すみません。 理は理屈(ことわり)=筋道の意味です。 「理をお尋ねしている」とは、質問にあるように考えることの「当否」つまり「適切さ」をお聞きしたのです。当然、どなたかのような一行回答や箇条書き回答などの「ご宣託」を求めているのではありません。 「姿勢」は「問う姿勢」のことです。往々にして倫理的な質問は「問われた内容」よりも「問う人の姿勢」を問題にしがちです。それには「関心がない」と申し上げた次第です。 さて、よろしければ補足質問させてください。 >never-nessさんは幸福を願い追い求めないんですか? 最初に「人は…」と書き出しています。どうして質問者のことになったのでしょうか。わたしはどちらかというと「幸福」はよくできた「幻想」だという印象が強いですね。 >それにほとんどの人は質問にあるようなことにはなってないですよ。 「ほとんどの人」という根拠はなんでしょうか。そういうデータがあるのでしょうか。それとも回答者さんの印象でしょうか。 >普通の人は普通に幸せだと思いますよ。 この根拠は? 回答者さんの印象でしょうか。