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ゆとり教育諸悪の根源説は正しいか

ゆとり教育が諸悪の根源のように言われる事があるのは正しいのでしょうか。 ゆとり教育に反対するのは(賛成するのも)自由ですが、社会で起きている出来事についてあれもゆとり教育の悪影響これもゆとり教育の悪影響・・・と論法が陰謀論と同じに思えます。

みんなの回答

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.7

いわゆる「ゆとり教育」にも問題があることは確かですが、それは「世の中の変化に教育が対応しきれていない」ことの結果に過ぎず、「諸悪の根源」視するのは誤りだと思います。 例えば人間の知的能力そのものは50年や100年で大きく変化(退化)するものではないとしても、電卓がなくそろばんか計算尺しかない時代の人間の手計算の能力の方が、今のようにパソコンにも携帯電話にも計算機能がある時代の人の手計算の能力より優れていたのは当然です。(江戸時代の人の方が現代人より遠くまで歩いていくことを苦にしなかったようなものでしょうか) 具体的な例をあげますと、中学校の数学の時間に教えられた開平法(数の平方根(ルート)を筆算で求めるやり方)を私は今でも覚えていますが、それは必要に迫られてその後何回も使用し、実際に役に立ったからであり、電卓の√キーを押すだけで計算できる現代の中学生は仮に教えられたとしてもすぐに忘れてしまうでしょう。これを単純に「今の子どもたちの計算の力が落ちた」と考えるのは誤りで、問題の本質は「今の日常生活では手計算の能力があまり必要ではなくなっている」点にあると考えます。 これは数学(算数)だけのことではなく、他の科目でも同様のことがさまざまな場面で起きています。私が小学校に入学した約半世紀昔には、パソコンやインターネット、一般市民が使える携帯電話などは世界中のどこにもなく、(一般の固定加入電話でさえほとんどの同級生の家にはなかった)わからないことを調べるには、他人に尋ねるか図書館などで本を読んで自分で調べるほかありませんでした。 ある時事問題について調べようとするとき、昔は図書館で過去の新聞の縮刷版やマイクロフィルムを読むことから始めましたが、今はインターネットの検索のクリック一つで昔図書館で調べて得られたよりはるかに多くの情報が手に入れられます。大学で教えた経験のある知人は「普段目立たない学生の授業中の質問の答えが立派なので感心したら、とっさに携帯で検索し回答していた」と言っていました。 ただし、図書館で調べた場合には、直接関心がある項目以外の情報も自然に目に入ったり、デジタル化されていない情報も入手できたりする利点もありますので、現代の方がすべてよいとも言えません。こうした時代の教育をどうするのがよいか、これは難問で万能の特効薬などは見つかりそうにありません。

noname#152760
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.6

諸悪の根源は「老化現象」だと思います。 人間は、年をとると、新しい時代についていけなくなり、ジェネレーションギャップが出来、その違いを「ダメ」と言うようになります。 大昔から「今の若い奴は」と延々と言われてきた。 その流れでしかないと思います。 たまたま、現在の20歳前後の人が「ゆとり教育」と言われる政策が行われていたので、そのせい、と言われていただけでしょう。

noname#152760
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.5

 ただ息をして生きていくだけなら教育は不要です。しかし、今の若い世代を、将来の日本を背負って立つことのできる成人に育てるためには教育が必要です。  ゆとりは「学力」を完全に犠牲にしています。分数の計算ができない慶応ボーイがいるということが報じられました。当の慶応出身者はどう思うのでしょうか?そしてそのような低学力の成人が、知識を必要とする職に就けるでしょうか?  例えば裁判官。裁判をする時、「時速何キロで走れば、時間通りに犯罪の現場に到着できるか」ぐらいの計算はしてもらわなければなりません。下手をしたら「自転車で時速200キロで走れば犯行は可能」なんて結論を出すかも知れませんよ。医者なら薬の分量を誤って医療事故につながりかねません。ゆとり世代はこのような職からは排除されないといけません。国策の犠牲者と言えるでしょう。

noname#152760
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6195)
回答No.4

もともと『ゆとり』とは 学業に割く時間を少なくして、家庭などで自然や家庭とつきあう時間を増やして情緒ある、そして考える時間などを増やそうというものです。  しかし結果として家庭は子供を放置することが多く、学業で開いた時間がそのような時間に使われることが無いため学力の低下など悪い点ばかり目立つようになってきた・・というのが結論です。  本来『ゆとり教育』で培おうとしたのは  社会常識・道徳・判断力、感情の豊かさなのです それが結果というが家庭が子供を放置した結果逆の方向になったのですから、間違いなく製作としては間違っているのは確かです  

noname#152760
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • siriai
  • ベストアンサー率23% (50/213)
回答No.3

私はそれよりも若者の親ないし世間の風潮に問題があるのでは、と思います 何かおかしいと思いませんか? ゆとり教育と言っても土曜日を休みにして勉強の内容を薄くしたというそれだけです これだけの違いなのに、ゆとり教育を受けた若者は社会に出てから常識の無さや配慮の欠如が指摘されます これってなぜなんでしょうか? 原因は学校ではありません それ以外の場所です 一世代前では、親子の関係が極めて厳格でした。 子は親に、特に父親には口答えなどまったく出来ませんでした 幼少のころから当たり前に叩かれ、手伝いを強要され、かつ好成績を求められました こうして子供たちは自分がしたいことも何もかも抑圧して成長していきます。 そしてついに自立したとき、彼らの目の前には自由が広がっていました 自分の好きなことを、好きなようにできる世界が待っていました 彼らは抑えてきた欲望を爆発させることができました そして彼らは結婚し、こどもを持ちます。そしてこう思うでしょう 「自由に、したいことをさせてやろう。のびのび育てよう」と 上気したこと以外にも女性の社会進出に伴い家庭内の上下関係は消滅、同時に厳格な父親像・母親像も消滅していきました。 このような環境で育った子供は殴られも、手伝わされも、欲しいものを我慢させられもせずにそだちます 自分の感情を抑圧することを知らず、覚えたのは下らない友人関係を築くことくらいです ・・・どうでしょうか? これが私の考えるロジックです かく言う私も現役の「ゆとり世代」なのですが・・・

noname#152760
質問者

お礼

ありがとうございます。 私もそこはちょっと不思議でした。躾って家庭でするものですよね。 モンスターペアレントの人は学校に押し付けることもあるようですが。 反動で家庭が少し別の方向に行き過ぎてしまったそういう流れがあるということですね。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.2

 そろそろゆとりとそうでない世代をまたいで教えてるんですが、明らかに「下積み的作業」は、ゆとり世代は拒否的です。そうでない世代になって、同じ説明、特にすべてを教えずに考えさせる部分を持ち、ある程度までできるモノが揃ってから、次のステップの説明にうつるのが通りやすくなりました。以前は、「何故答えを先に言わないのか(失敗したじゃないか)」と答え「だけ」を求められましたね。  陰謀など現場では絡みませんが、明らかに違いがあります。可哀想なくらいに。

noname#152760
質問者

お礼

ありがとうございます。 なんらかの違いがあるという意見もありますね。 思うのですが、就職難や犯罪率やマナーや思考の変化はゆとり教育の影響なのでしょうか(就職難以外は良くなっているというのと悪くなっているという意見がある。)。 学校の授業時間の変化であれもこれも影響があるというのが何故なのかちょっと分かりません。

  • alterd1953
  • ベストアンサー率20% (239/1173)
回答No.1

ゆとり教育は全然悪くないと思います。 諸悪の根源は、若者が教養を身に付ける為ではなく 頭の良い人間をふるいにかける為にある 受験体制だと思います。

noname#152760
質問者

お礼

ありがとうございます。