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幸福を願う心こそ諸悪の根源?
人はなぜ幸福を願い追い求めるのでしょうか。 それへの「執着の強さ」と「量で測られる価値の多寡」が指標になっている世界では「囚われたこころ」は満たされる時の訪れがないように思われます。 なるほど「足るを知れ」と先哲は教えてくれます。しかし「知足」は欲望には限りがないから「そこらへんにしておけ」との妥協とも受け取れます。 おそらく宗教というものがそういった欲望処理専門システムとして登場するのでしょうが、一神教は殺しあいに忙しく仏教は形骸化もはなはだしく、その分無駄な難解さと相俟って「信じない者は救われない」という宣伝(脅迫?)しか伝わってこないようです。 どうも「幸福を願う心」こそが結果として「不幸への道案内」をしているように思えます。 こういう考えは間違っているのでしょうかね?
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お礼
それで済めば万事解決ですね!
補足
哲学カテなので、何故「間違っている」かのご説明が可能であればお願いします。