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信用から甘えまで
少々心配?になってきたことがありまして、 信用する 依存する 期待する 甘える これらの腑分けについて、お尋ねしてみます。 たとえば 約束、契約などを履行されることを期待するのは、甘えである。
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- heartmind
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甘えと言えば甘えでしょうが、、、 契約不履行に対する損害賠償責任を求めることで解決できることもあるのでしょうが、、、そう簡単にいかないものでしょうね。 外在するモラルの崩壊はあくまで外在するモラルで解決するしかないとすると、いかにその法の目をくぐるかがモラルになっちゃいますね。 結局、内なるモラル、つまり信用に甘えるしかそれは解決できない。そんなの理想論?だって自分の体だって飲み且つ食うことで成り立っているのにどうしてそんな目に見えないものにゆだねられるでしょうか。肉体あっての精神なのだからって、こうなっちゃうのです。 どうせ矛盾だらけなのだから、楽しく生きましょう。
- amaguappa
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2です。 > かえってくるものもそれなりで、大したものではないのでしょうね。 いいえ。 あなたが、あなたのほぼすべてを失ってもいいという判断と覚悟で信用すれば、 相手がその信用にこたえて、大きな働きを遂げてくれるかもしれません 自分の器と相談するという意味です。 資金力なら資金力、業務提携ならリスクの補填、それに無理がない範囲ということで、「失ってもいいものを」。 ただ、信用というのは、誰かに対する他者の信用を信用するもので、連鎖させることによって成り立っていますよね。 社会的責任のひとつだと思うのです。スタイルとしてつとめるべき厳しい姿勢であると思います。 相手を信用するのではなく、相手と誰かの間にある信用を信用するのでもなく、 それを尊重しますよという自分を知り、自分の分をわきまえ、自分の能力を信じることが、 相手に大切なものを預けるという技術だと思いますから、「信用はしないほうがよい」と申し上げたのです。 自己責任と自力に、相手から見える側面に信用というオブラートをかけるようなものでしょう。 ビジネスライクな話と思って読んでいただいてかまわないと思うのですが。。。
お礼
> あなたが、あなたのほぼすべてを失ってもいいという判断と覚悟で信用すれば、相手がその信用にこたえて、大きな働きを遂げてくれるかもしれません ことにビジネスの場ともなりますと、冒険と呼ぶべき、随分リスクの高い「期待」ではありませんか? >資金力なら資金力、業務提携ならリスクの補填、それに無理がない範囲ということで、「失ってもいいものを」。 先と、この部分との繋がりが、すんなり行かないように思われました。 もう一つ、 >信用というのは、誰かに対する他者の信用を信用するもので、連鎖させることによって成り立っていますよね。 社会的責任のひとつだと思うのです。スタイルとしてつとめるべき厳しい姿勢であると思います。 > 相手を信用するのではなく、相手と誰かの間にある信用を信用するのでもなく、 この部分も、繋がりにくいように思われました。 >それを尊重しますよという自分を知り、自分の分をわきまえ、自分の能力を信じることが、相手に大切なものを預けるという技術だと思いますから、「信用はしないほうがよい」と申し上げたのです。 自己責任と自力に、相手から見える側面に信用というオブラートをかけるようなものでしょう。 素早い再回答をいただきながら申し訳ないですが、このあたりも、おっしゃりたいことが、いまいち理解できませんでした。 要するに、あんた自分自身を信用しない方がいいよ、ということですか。 本質問でお尋ねしていることとは異なりましたが、ありがとうございました。
補足
ところで、 わざわざ、全く無関係な人の過去のハンドルを無関係な場で持ち出して、それ同一人物だ云々と暴露してみたつもりになっているような下品極まる場面を見かけたことがあります。そうしたご仁の真意や目的は、他人にはあずかり知らぬこととは言え、「OKウェイブの良心」などと人前で称賛されたいならば、常々殊更に、学問的見識や教養を誇りたがる者にそぐわぬ、してはならない言動だったと思われますが、まあ、それが、ご本人本来の地なんでしょうね。まさに、信用してはいけない典型的人物だということでしょうか。(それにしても、元zさんなる人物も、なんともはや、、おっと、これは単なる呟きで 苦笑) ま、ともあれ、信用するに全く足りない者だったと気づく日は、たとえ遅過ぎるようでも、いずれは来るものだという悲喜こもごも万感の思い、それはそれとして、得難い人生勉強なんだなと思っています。
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
ご心配は体に悪いですよ。ほどほどに。 信用は、しないほうがよろしいでしょう。失って良いものだけ与えておくことが肝心かもしれません。 また、厳しい目を隠して持つことも重要だと思います。 些細な疑念に目をつぶらない為にです。他人の振る舞いというのは慣れてしまうと疑念が湧かなくなります。 依存は、依存をゆるすかどうかの側の問題かもしれません。力量差に自信がないときは依存を許すべきではないでしょう。 期待は、都合によって変化する甘美な夢であるところが期待です。期待するのがする側にとって楽しい、ということ以外に魅力はないと思います。 甘えは、環境が許すという要素もありますね。環境が甘えを許さなければそもそも甘えられません。甘えを受ける側は、必要に応じて、環境を選ぶべきではないでしょうか
お礼
質問本文で「少々」と申しているとおりです。 たしかに、心配のし過ぎこそが、「ほんものの病人」をつくりあげてしまうこともあるのかもしれません。 なにか殺伐とした印象のようでもありますが、 「失って良いものだけ与えておく」のであれば、かえってくるものもそれなりで、大したものではないのでしょうね。 依存の問題にせよ、期待や甘えにせよ、これらは、人間間の場合において、受ける側の問題だけではなく、受けさせる側についても同等ということになるかと思われます。そこが腑分けの難しいところでもあるかと。 ただ、こちらとしては、全体に、もう少しビジネスライクな観点からの質問でした。 アドバイス、ありがとうございました。
たとえばに関して、「期待する」は、実現性の意味とす。 約束、契約などを履行されることを期待するは、信用に値するからである。 こう表現が出来ると思う。
お礼
ご回答ありがとうございます。 信用に値する、と判断していたら当てが外れた→当てが外れて怒る→怒るは甘え、 こういう仕組みになっとるそうなんで。 そもそも信用しちゃいかんのでしょうか。 約束や契約自体、無効、ということですかね。
お礼
もともと法的な縛りである契約などというものは、甘えや期待や信用などとは、むしろ逆の方向から出てきたものじゃないのかと思います。 契約を結ばなくてもアテになるのであれば、その必要もないことですので。 どうせではなしに、楽しく生きてください。 アドバイス、ありがとうございました。