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女神
以前、「女神にはあったことがあるとおもいます」 という文章を読んだことがあったのですが、どのような状況で会ったのか教えてください。 「神」が語れないなら、その体験だけでも「語って」もらえればと思います。
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A7.8です。 考えの整理が進んだので連続投稿です。 生々しく証言してみます。 森羅万象に神が宿ればそれは神ではなく自然そのもの。 という前置きのもとで、 そのような自然界で歩むと言うか散策する中で、喜びを歌いあげる観音に耳をすます事が出来れば、女神と連れだっているとも言いえます。 自然界に宿った精霊が、共に喜びを歌いあげるような感覚でもあります。
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- funkystuff
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見当違いの可能性が高いですが、ピエール・メナール(メネイルという表記も見かける)という人の回顧録「最期の懺悔者」(拙訳。直訳すれば「神は懺悔し、死をあざ笑う」)に出てくる作者のポーランドにおける友人のひとりJ・ランベレーの言葉に、「毎朝、食後の散歩のために家の扉をあける度、私は神を見ます。・・・(中略)・・・雑踏の中で、あるいはうらさびれた酒場の便所の中で、女神を見たような気もします」という言葉が出てきます。 ピエール・メナールはアルゼンチンの心理学者崩れの売文屋で、ちっとも有名じゃないので邦訳はもちろんありません。生活に困ってインドの神学や生物学に関するウソ記事を書きまくってたことがばれてニュースになったことがあって、そのせいで日本の詐欺話の本でたまに(本当にたまに)見かけることがあるくらいでしょう。 友人J・ランベレーの女神話はそんな大した話じゃないのですが、メナールいわく「認知科学における既存の結論と行動心理学のメソッド、そしてカトリックの教義(!)とが、実は同じ岸壁へと向かう一本道を逆行しようとするドンキホーテ的努力の空しさをひた隠しにするための小道具にすぎないことを確信させられる逸話」だそうな。 詳しいエピソードを知りたければいつ出るかわかりませんが邦訳を読んでください。
お礼
御存知だと思いますが、「あらゆる場所で見る神」は 神ではなく、自然そのものでしょう。 カッパの復讐を受けるも因果でしょうか。
補足
酒場の便所の落書き程度の「女神を見た気がします」と言う発言をした売文屋の詐欺師が、ドンキホーテ的な心情であっただろう と言うのは頷けます。 09/11/21 19:05
- pandaimon
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金髪だったらまっじい。
補足
金髪の女だったら誰でも女神ですか、 ※一応生きている人間ではない女神 ということでお願いします。
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お礼
しかし、観音の直接の喜び 安らぎは 音、音楽。
補足
自然の中で、自然を見て 美しさを感じる、歓ぶ